ルリタマアザミ
ここに越してきて最初に地植えをしたのはエキノプスだった。
エキノプス。和名はルリタマアザミ。アザミというとよく空き地やコンクリートの隙間からたくましく生えている雑草に近いイメージがあるが、ルリタマアザミはたくさんの小さな花が球状にかたまって薄紫に咲く花で、アザミとは仲間だと思うがより鑑賞価値の高い園芸品種なのだろう。
植物にハマり出した当初は鉢植えだけに甘んじていたが、徐々に物足らなくなり地植えをしようと思い立った。何を植えようかと色々と探している中にルリタマアザミを見つけた。ルリタマアザミの球状の花が、シャボン玉のようで、ジブリの世界にでてきそうな不思議な魅力を感じた。これが庭にポンポンと咲いていたら娘も喜ぶだろうなと、ロクにジブリも見たことないクセに妙な期待を寄せたのだった。
ヤフオクで安く見つけたのでさっそく四株落札した。春先に家に届くとすぐに庭の隅に植えたのだが、そこからが長い道のりだった。
その年はハサミで荒く切ったようなギザギザした葉を少しずつ増やすだけで花を咲かすことはなかった。
ロゼット状で冬を越し、春先にまた活動し始めた頃、妻に雑草と間違われて四株中二株引っこ抜かれてしまうという災難に見舞われたが、残った二株は春にはグングンと成長した。
(今年は咲いてくれるな)と期待を膨らませていたが、梅雨時期から調子を崩し始めた。二株とも出てくる葉が軒並み白いカビのようなものに覆われているのだ。うどん粉病か何かだろう。調べるとルリタマアザミは高温多湿に弱いという。酢や薬剤の散布、庇の作成、いろいろ試みたが出てくる葉は変わらずうどん粉病を患っていた。葉に黒い点々がついている場合もあった。
葉が出るたび(次こそは)と覗き込み落胆するのを繰り返すのは、期待を寄せていただけに、なかなかに気持ちに負担がかかった。
結局その年も調子の悪そうな葉をモリモリ茂らすだけで花は咲かさなかった。
日当たりも良く湿気も多い我が家の庭ではルリタマアザミは育てるのに適していないことは早々に気がついたが、当時のぼくはそんなことより好奇心が勝り、(来年はなんとかなるのでは)という根拠のない希望を抱き次のシーズンに夢を託した。
残念ながら翌年も結果は同じだった。そしてその次の年、つまり去年のこと。
(今年咲かなかったら破棄しよう)と決意し春を迎えた。
育てたい植物はたくさんあるのに限られたスペースで咲かない花を何年も育てるわけにはいかないのだ。
その頃になると他の花も増えていたので、二年連続で咲かなかったルリタマアザミに対し、期待や愛も薄れ(どうせ咲かないんだろ)とどこかで思い込み、ほとんど関心を寄せることもなかった。
そうして迎えた梅雨真っ只中の六月の末、ふと思い出しルリタマアザミを覗き込むと、二株とも膝の高さくらいまで伸ばした茎の先にオナモミのようなトゲトゲした蕾を拵えているのを発見した。
その日以来ルリタマアザミは、エキナセアやルドベキアを抑え庭の主役に一躍躍り出ることとなった。ほとんど気に留めなかったのが、一日に何度も覗き込むようになった。分枝した茎の先にもいくつか蕾をつけ、順調に蕾を膨らませていった。
蕾は白っぽい、無数の小さな棘で球体を形成していた。この時点で造形美的に完成されていたので、この状態が開花と思い込んでいたが、後に球体の上の方の棘の先から紫の小さな花を一つひとつ咲かせていった。
紫のモヒカンから、ツーブロック、五分刈り、といった具合に徐々に開花は球体全域に広がり、全面開花する前に頭頂部からくたびれ始め、枯れゆく様も徐々に球体を覆っていった。蕾から、開花、そして枯れ姿まで、その間二週間ほどだろうか。
その球体が二株あわせて十個ほど確認できただろうか。
娘は何も反応しなかったが、薄紫のシャボンがゆらゆらと浮かび、ゆっくりとしぼんでいく様は、当初思い描いていたジブリのような世界観かどうかはわからないが、多少なりとも幻想的な雰囲気を感じさせてくれた。
開花をよそに、その葉全体的には白いカビのようなものがビッシリと多い、所々茶色く朽ち始めていた。咲いてはいるが株全体としては限界のように見えた。
秋口に地上部を刈り取り、ロゼット上で無事その年も冬を越した。
そして今年の春、グングン葉を茂らせ元気に成長し、梅雨頃にまたしても蕾を無数実らせた。健康的な蕾とは裏腹に葉は去年にも増し調子が悪そうだった。うどん粉病に加え、葉にボコボコ小さな穴を開け、茶色くスケルトン状になっている葉もあった。
環境に合っていないのは一目瞭然だった。
それでも去年と同じくらいの数の花を咲かせてくれた。今年もこのシャボンは初夏の庭を優雅に漂い、僕の気持ちを満たしてくれた。
花だけ見ると美しいのだが、全体を見ると葉の状態の悪さが目立ち、正直見苦しかった。
「たのむ、もう楽にしてくれ」
そんなふうに訴えかけているようだった。
秋になったらまた別のものに植え替えることを決意し、花が枯れたところで早々に株元からバッサリルリタマアザミを刈った。
これまで「なんとしても咲かせてやる!」みたいな心持ちで植物に接していたが、それは人間のエゴなんだなと、瀕死の状態で花を咲かすルリタマアザミを数年育ててみて、ふとそんな思いに駆られた。
適した環境を与えることができなければ、無責任に育てるべきじゃないのは、
子供やペットだけの話じゃなく、植物にだって言えることだ。
「悪かったな。もう十分楽しませたもらったよ、ありがとな」
ルリタマアザミのギザギザした葉は思いのほか固く、残骸をゴミ袋に放る手にチクッと痛みが走った。
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