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「学習者主体の授業を考える」事後研

昨日は、若松先生にお誘いいただき、先日の「学習者主体の授業を考える」に参加されていた先生方とお話させていただいたた。色んな先生方とお話をさせていただくことで、自分が意識していなかったことが意識できるようになる。今回、お話させていただいた事で学習者主体の授業を実現していく上での「教師のあり方」を改めて考えることができた時間であった。以下、私が考えたことを述べていく。

①背景を常に考える

「あの人と、自分の考えは合わない」
何か自分と違う意見や考えの人がいると、このような思考に陥ってしまう自分がいる。そんなときの自分を思い出してみると、目の前の子どもと関わるときも表面上だけを見てしまっているような気がする。

若松先生が、
「自分と違う考えの人がいた時、何が違うんだろう?何で違うんだろう?そいったことを面白がることが大切。」
という事をおっしゃっていた。

自分には、欠けていた視点だなと感じた。そもそも一人ひとりは違っていて、違うからと相手を拒絶することは簡単である。でも、そうすると見えるものだけしか信じないような思考になってしまう。子どもと関わるときも大人と関わるときも背景を見る。そこから、見えてくるものってとても面白い世界だし、そこが他者と関わることの本質のように感じる。

そういった、対大人に対しての思考を変えていくことで子どもに対しての見方も変わってくると思う。

②教師ができているか?

学校生活の中で、教師が子どもに求めることは多い。

「あいさつは、相手の目を見てしよう!」
「振り返ることは、とても大切なことだよ。」
「相手の方を向いて、話を聴こう」

でも、それらのことを本当に教師ができているか。あいさつ、振り返り、相手の方を向いて話を聴く大切さを教師が実感できているか。

私自身、振り返ってみたが正直できていないことも多くある。私が尊敬する先生方を思い出してみると、子どもに求めていることを教師自身ができている。

では、なぜ教師自身ができていることが大切か?それをできている(しようとしている)先生とできていない先生では、言葉の重みが違うと思う。目に見える事だけが大切ではない。何か、見えない空気感みたいなものが子どもたちに伝わると思う。私は、大人の肌感覚よりも子どもの肌感覚の方が敏感ではないかと最近感じることがある。子どもは、大人以上に多くの事を気付いている。子どもと共に私たち教師自身が成長していくことが非常に重要である。

③主語が「子ども」になっているか?

お話の中で、若松先生がおっしゃっていた言葉である。非常に感銘を受けた。
子どもとの関係性がうまくいっていない時のことを思い出す。

・教師の思いが先行してしまっている。
・子どもをコントロールしようとしている。
・子どものせいにしてしまっている。

つまり、主語は「教師」になっているのである。

・「教師」がこうしてほしいから。
・「教師」の思った通りにならないから。
・「教師」は、頑張っているのに。

こういったとき、「共に」という視点は消えており、「支配」になっていく。色んな本を読んだり、同僚の先生から教えてもらったりしていく中で「やりたい」という事が増えていく。しかし、それは「教師がやりたい」になっていないか。本当に目の前の子どもたちの事を考えられているか。それを常に振り返って行きたい。

前回のセミナーに引き続き、今回も本当に素敵な時間を過ごさせてただいた。見えていることだけにとらわれず、見えないことにも目を向けていける教師でありたいなと思う。


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