粉瘤かも?と思ったらやっぱり違った話。
Untitled 2 私のうつ病は。の話が終わったら、身体に出たさまざまな症状を書いていこうと思っていたけれど、一番記憶に新しいので書き留めることに...。
うつ病でどんよりしつつ、お風呂に入れずにかなり酸っぱい匂いを漂わせていた頃。あの時は寝室のお布団からお風呂場までが、ヨットで単独太平洋横断、またはチョモランマ単独登頂のレベルくらいのハードルの高い行動だった。冒険家には申し訳ない。ごめんなさい。大袈裟なようでも、行動に移せるまではかなりの気力と体力が要ることは本当だった。お風呂に入らなくなると不思議なことに頭は痒くはならず、そんなに身体はベトベトしなくなっていった。私本人は不快なわけでもなく、下着だけは数日おきに履き替えて、ビデで洗浄するくらいで間に合ってる感じだった。本当は全然間に合っていないのに。
お風呂入らなくても大丈夫!と、身体が慣れていくのが不思議というか、おそろしい順応。
そうも言っておられず、娘の中学校卒業から支援学校入学までの期間は動かざるを得ず、抗うつ剤を幾度となく変更しながらゆっくりと動き出せたような気がする。
そうやってあちこちに出かけるため、伸び切ったざんばら髪を自分で短くカット。くせ毛なので真っ直ぐに切れなくてもくりんと内巻きになって、わりと馴染んだ。お風呂にも入って、会う人に失礼のないよう身支度を整えるようになった。それは本当に良かった。状況は何一つ良くはなっていないけれど。
毎日腸が捻れるような苦しみの日々には変わりなかった。それを圧しても白か黒か決めろと決断を迫られ、その決断で正しいのかもまったく自信はなかったけれど、娘と離ればなれになっても良いという覚悟は遂に決められずじまいだった。
電動自転車でどこへでも疾走していたある日。
突然、肩の凝りが気になって気になって、むずむずするところを指で押さえていないといられなくなって来た。枕を変えたり、ハンディタイプのマッサージ機を当てたり、シップを貼ったりしてもいっこうに良くならず、マッサージ機を皮膚が擦りむけるほど強く当てるようになり、首の後ろ周りの肌がズルむけになって色素沈着し、ただでさえきめ細かい肌ではなかったのに、あわれ。
肩が治ったら次は肩甲骨の中がむずむずし始めて、ずっと背中に手をやって指で引っ張り続けるように。少し痛みもある。しかもその痛みがあちこち日によって動くことに気がついた。なんだ?この不快な症状は!引っ張っていたらなんだかみみず腫れしてる?と、触り引っ張りしていたら、かさぶたが何本も何本も出来ていて、痛い!それなのにかさぶたをわざわざ剥がしていた。
むずむずする→触り引っ張る。みみず腫れを指で確かめる→細長いかさぶたが何本も出来る。痛い!、かさぶた剥がし→痛い!かさぶたが周りの皮膚をひきつらせるから、剥がしたくなってしまう。むずむずのゾーンが広がっていく...のループ。固いものが中にあるできものもたくさん出るようになり、痛みが増していく。いったい私はいつから痛い痛いと言うようになった?ずっと痛いよね、どうしてよ?中身を出そうとして潰したりしてたけれどキリがない。背中の皮膚をペロンと一枚めくって、固い粒々をピンセットで取ってほしい...。眠れない夜に身体を硬直させながら耐えていた。歯を食いしばる。その時の心の応援歌はTOKIOの「宙船 そらふね」。
「私」という船は、私の手で漕いで行くんだ、でもいったい何の試験の時間?
私は裁かれるの?何の秤で量られるの?(自分が量った秤で、量り返されるのだ)
ただし、このオールは他人に任せちゃダメなんだと思った。励みになった。この曲を聴いたことで、すっかり消えていた私と音楽の線が再びつながった。本当にどうもありがとう。でも行くべき方向はいろいろ間違えた。
なんでよ、どうして?と皮膚科受診。
ドクター曰く、「自分で引っ掻いてるね。漢方薬出しましょうか?」
心では、
はぁぁぁぁぁぁぁぁ?そんなわけないでしょぉぉぉぉぉ?
せんせー、ナニイッテンノー?と、不満でいっぱいだったが言い出せず。
ドクターは言葉少なく。
さてはうつ病の副産物か何かって思われている?こんなの気のせいなんかじゃないはず。せめて何かお薬を!と心の中で叫ぶも口には出せなかった。
それまでに何件もの整形外科で、背中の痛みの原因がわからずに絶望して泣き叫んでドクターと受付に盛大に八つ当たりした後だった。えと、2件くらい?
動く痛みと皮膚症状はまったく別物と思い込んでいた当時。
「自分の病気は自分で治せ」と拝命していた当時。自分の船を漕いで行くべき時に、私は自分の背中を自分で引っ掻いてる?そんなバカな。
一刻も早く、一点の曇りもなく、かつての元気な日常を取り戻せるなら何でもしようと思っていた。本当に申し訳なく思う次第...ごめんなさい。あの時まだ私は全然大丈夫じゃなかった。
皮膚科と整形外科受診は前後しているかもしれない。動けるようになってからは、どんな不調も許せずに、原因を突き止め完治を目指すと意気込んでいたから、特に打つ手なしという診断は到底受け入れられなかった。背中の痛みは線維筋痛症、皮膚症状は自分で引っ掻いてる自傷行為。そんな答えは求めておらんのですよ、ねぇドクター?
仕方がないのでドラッグストアで、毛包炎に効くらしいドルマイコーチ軟膏を買って帰った。軟膏を塗る前の手洗いと背中の清拭は必ずやっていた。
自分由来の不潔は余裕で許容出来るのに、そうでない不潔は許容出来ない癖が良い方向に働いていた。これは何年前のことだったか。まだmixiで日記書いていた頃だから10年以上前。背中ニキビは一気に治そう♪の塗り薬も使った。パジャマの下に着ていたヒートテックの肌着も良くなかった。寝汗をかくと背中がヒリヒリ痛む。最悪。綿の肌着を着るようにした。当時100個くらいあると言われた湿疹?は、10年以上経て今は背中の真ん中にひとつ、右二の腕にひとつを残すのみになった。
このマガジンを書いていて、自分が強迫性障がいだったと気がついて、どういうものかと調べていたら、強迫性皮膚摘み取り症とか、強迫性皮膚むしり症とか、ショーゲキの症状があることがわかった。きっかけはむずむず、おそらく血行が悪く、ドロドロ血の始まり、その違和感が原因であるらしかった。身体の深部感覚が敏感になっていったのは、不調は自分で治すんだという強い思いが悪い方向に働いてしまっていたのだろう。
つまり、「自分で引っ掻いてる」との皮膚科のドクターの診断は正しかった。早くズバリ言ってほしかった。そうなら心療内科のドクターに相談出来たと思うのだけど、それは専門医以外が易々と診断を下すわけにもいかなかったのだろう。皮膚科での診断は報告していたし、背中も診てもらったけれど、地道に自分で手当していくことになった。
あと、ふたつ。でもまだ治らないっておかしい。
このふたつはもしや粉瘤というものでは?もしそうなら切ってもらうしかない、というかやっと積極的に切って縫ってサッパリ出来る!そう期待しながら十数年ぶりに昨日、皮膚科受診。
初診なので2時間待ち。その間、スマホで粉瘤の手術動画を見続けてイメトレをした。
グロですね、グロですな、中身はいろんな色してるのね、赤と黄色、または白と黒、そしてなんと何由来か不明な灰色まで...。なんで袋作ってせっせとゴミを溜め込むのだ?人体の不思議。人体の不思議展。ずっとそんなことを思いながらグロ動画を見続けた。グロ耐性がちょっと付いた。覚悟は出来た。今日は切られないだろうから、次ようやく切ってもらえるかも♪という期待はあっさり裏切られた。
ドクター曰く、「湿疹かなー。100個からふたつまでになったんだから、きっとこれもそのうち消えるよ?一応カビ検査しましょうね」
はぁぁぁぁぁぁぁぁ?
せんせー、ナニイッテンノ?
今回は、そんなわけないでしょぉぉぉぉぉ?とは思わなかった。そうかも。
そういえばドルマイコーチ軟膏を切らしていて買うの忘れてたんだった。
カビは検出されず。良かった。カビてなくて。ゲンタマイシン軟膏を処方された。
治るのかどうか...。あたしゃもう疲れたよ...。
END.
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