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私のうつ病は。④

 うつ症状について、詳しく書くのは少々辛いけれど、前回の③についての補足として書き留めたい。しかしかなり曖昧な記憶しかないという前提のもととして。

トリガーワーニング(Trigger Warning):この文章には、私が過去に経験した自傷行為や、薬の乱用について記述していますが、これらを決して推奨するものではありません。薬の乱用は非常に危険であり、健康を損なうだけでなく、精神的な問題をさらに悪化させる可能性があります。適切な医療の下で処方された薬を正しく使用することが重要です。もしも薬の使用に関して不安や疑問がある場合は、必ず主治医や専門家に相談してください。

心療内科受診での主治医との出会い

 心療内科受診で、診断がついてから3ヶ月間の休職中については、飲み始めた抗うつ剤の効果もあり簡単な家事などは出来るようになっていた。主治医に対しての注*1)陽性転移もあった。なにしろ、生まれて初めて私の話をすべて否定や説教もせずに全部聞いてもらえるという経験をしたのだから、主治医に対して好意を持ってしまうのは客観的に見ても仕方がないことのように今は思う。生育歴にまで遡って話を聞いてもらえた。いくら時間がかかっても全部話したいことは話を遮らずに聞いてもらえた。私の主治医は傾聴の能力に優れた医師だと思う。
やっと私のことをわかってもらえた、嬉しいという気持ちも生まれる。医師との相性は結構重要だと思う。
でもこれはうつ病との闘いの最初の一歩に過ぎない。
主治医は医師として、患者に向き合ったいるだけだ。ともだちや家族ではない。
それでも自分が受け入れられたという喜びは自信にもつながった。
陽性転移も主治医にはバレていたと思う。「カウンセリングを受けてみる?カウンセラーは、わたしの奥さんなんだけどね」と。

注*1)
転移は精神分析の用語で、過去に重要であった人に対して抱いた感情を、医師などの治療者に向けることをいいます。感情がプラスの場合は陽性転移、マイナスの場合は陰性転移と呼ばれ、精神分析では一般に陽性転移が最初に出て、関係が深まってくると陰性転移が出てくるといわれています。

想像以上のうつ症状との戦い

 休職期間が終わり、復職しなければという義務感で復職する。しかし仕事は思わしくなく、職場内で腫れ物に触るような扱いや、怠けているという評価で、さらに自己評価が低くなり、再び自信喪失。辞めるという選択は出来ないと思い込んでいたことに気がついて、やっとの思いで仕事を辞めた。そののち、家でぼーっとする日が続いた。
だんだん自分の存在は無意味だと思うようになる。

 治療開始からの3ヶ月での寛解を期待していたが、根が深いためにそう簡単にはいかなかった。それは後日、書けたら良いと思うけれど、今はあまり気が進まない。
被害者感情が私の心の中にあって、今はそれを掘り起こすのはあまり良いこととは思えない理由がある。薬の作用で気分は良くなっても、すぐに沈んでいく原因がなくならない限り、絶望感は消えない。そのことがよくわかっていなかった頃、私は叫ぶようにmixiの日記に自分が思うことを書き続けていた。mixiが全盛期だった頃だ。
その行為は長年かけて封じていた、過去から引きずる被害者意識を全面に出すこととなり、心の傷口を自ら開くことになった。その傷が徐々に深くなるように、抉り、または抉られていってしまうということを経験していたからだ。
あまりにも感情的に日記に書くと精神状態が悪くなっていったように思う。自分の気持ちを深いところまで貶めていくだけだった。そこから抜け出せなくなった。
苦しみを紛らわすのと同時に同情を引くためにリストカットまでするようになる。
私はこんなにも病んでいる、とその傷口を見てしばし満足感を得る。自堕落になった私を利用して欲望を満たそうとする者もいた。おそらくリストカットよりもひどいこともあった。

効果的な薬の探求と副作用の苦しみ

 ドグマチールという薬はよく効くが、私は食欲が出過ぎてかなり太ってしまった。
プラス30kgまでは簡単に体重は増えてしまった。体が重くなり、自分で靴下を履いたり、足の爪を切ることも出来なくなった。服は全部着られなくなってしまった。少し腹部に力が入るだけでも尿漏れもした。これは本当に自分で自分が情けなかった。
すぐに睡眠導入剤のハルシオンも効果がなくなった。診察は合う薬を探していく作業にもなった。それまでは頭痛薬を飲むくらいで、それも月経痛がかなりひどい時のみに使っており、あまり薬には頼りたくないと思って来たため、少しでも不快な副作用が出るものには変更をしてもらっていた。
 パキシルについては、身体の感覚がおかしなことになって戸惑った。頭を振ったり動かしたりすると、頭蓋骨の中にある脳が、遅れて動いているような感覚になり、気分が悪くなる。
 デパスもよく効いていたと思う。デパスさえあれば良いと思っていたけれど、どっぷりと薬に依存してしまうことをいつも恐れていたのに、いつの間にか、もう薬を飲まずに過ごすという選択肢は私にはなくなっていた。薬の変更には主治医はよく応じてくださって、薬の知識も豊富な医師だったので、それは良かったと思う。薬の副作用はあると考えた方がいいだろう。どの薬の副作用かはわからないが、時々記憶がないこともあった。
お薬辞典を購入して、薬の作用と副作用を調べていたけれど、今はネット上にもあって、すぐに調べることが出来る。処方されている薬について知っておく方が安心出来ると思う。

家庭崩壊と孤独の深まり

 私の病状は部屋の荒れ方やmixiの日記の内容にも現れていた。現場逃避のために大量の睡眠薬を服用するなど、ますます悪化していく。自分の存在に疑問を抱き、どうにか一瞬にして煙のようにフッと消えてしまえないだろうかなどと思うようになる。
 そういった現実逃避しているあいだに、家の中はショウジョウバエが大量発生していく。白ごまがあちこちに落ちてる、ばら撒かれているって思っていたのが、実はショウジョウバエの卵だったと知る。夫に離婚を思い直してもらうどころか逆効果だった。
娘に対しては、学校に送り出すこと、食事させることのみ生きていたとしか言えない。
「あんたが出て行かないなら、俺が出ていく」と言われるようになる。

この頃は旧約聖書のヨブ記を何度も思い出していた。
私は正しい人でもなんでもないが、自分がこの世に生まれて来たことを呪った。
ヨブは神に愛されて、誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっていたのに、全財産を失い、子どもを亡くし、病に冒され、ヨブはその妻から「神を呪って死になさい」とまで言われる。

”私が生まれた日は滅び失せよ。「男の子が胎に宿った」と告げられたその夜も。
その日は闇になれ。神も上からその日を顧みるな。光もその上を照らすな。"

旧約聖書 ヨブ記 3章3~4節


 なぜ私はこの世に生まれたのか、人から疎まれるためか?それともこれは試練なのか?

"あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。"

新約聖書 コリント人への手紙第1 10章13節


 信仰や宗教に依頼むのは弱い人間がすることだ、馬鹿げていると言われることもあるけれど、これが与えられた試練であったとして、いつか脱出の道も見つかると信じて待つことが出来そうにないと絶望してしまう。この苦しみを黙ってこらえることはヨブにも出来なかった。私なら尚更、黙ってこらえることは出来なかった。黙って忍耐出来ないというのは私の弱さだ。私はすぐにダメになる弱い人間だ。その通りだ。寝逃げといって、眠剤をまとめて飲むなどして現場逃避を繰り返してしまう。そんなことをしている間にどんどん取り返しがつかない事態になっていくのにやめられない。大事にして来た聖書を力任せに破いた。薄い紙が手のひらを切っていった。白い紙が薄い赤色に染まっていくのを見ながらビリビリに破き切った。

続く。

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