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ジョージ秋山伝説 その3(完) ~『博愛の人』『捨てがたき人々』など~

※このページには、ジョージ秋山先生の漫画『博愛の人』『ドブゲロサマ』『捨てがたき人々』『生きなさいキキ』『WHO are YOU』『銭ゲバの娘 プーコ』『銭豚』『浮浪雲』のネタバレがあります。

この記事は、こちらの続きになります。

 

『博愛の人』

1993年~1996年、ジョージ秋山先生が『月刊ビッグゴールド』で連載したのが、『博愛の人』でした。

歴史上の人物、それも二宮金次郎を主人公にした作品。
それだけ聞くと、なんだかつまらない教育漫画に聞こえますが……。

「良く小学校校庭で見かける二宮金次郎像、あれが金次郎観を誤まらせた原因であると考えられる」
「(金次郎は)大宗教家、大思想家、大革命家、大経済人である」

ということで、聖豚女ラブリンの流れを引き継ぐように、42歳で神理を悟った人物として、金次郎が描かれます。
その精神性は、ジョージ先生のひとつの到達点のようではありました。

1970年の『アシュラ』では、作中で何度も、「生まれてこなければよかった」と繰り返されました。
それから20年以上の時を経た『博愛の人』では、

「何を生といい、何を死というのか、諸行無常であることがわかる。諸行無常と悟れば世界全体は空となって、恨むのもねたむのも憎むのも憤るのも ばかばかしくなるのだ

というメッセージが、何度も繰り返されます。
「生まれてこなければよかった」という苦しみへのジョージ先生の答えは、悟りなのでした。

1ページで2回。ページをめくるともう1回書いてあります

また、ジョージ先生ご自身のお言葉が語られる箇所もあり……。

わたし(作者)の考えをちょっと語らせていただきたいと思います」
わたし達は宇宙(空間)そのものであるという事です」
「これが分かるのが悟りです。それは瞑想以外に方法はないという事だけは申し上げておきます」

画面の左側にあるのは、惑星に見せかけたスイカ(意味不明)

ここでいう瞑想とは、「愛と慈悲の物差しできびしく自分の心を見つめる」「反省、あるいは懺悔する」みたいな感じだそうです。

 

ジョージ転生

なお、なぜ二宮金次郎を描いたのかというと、夢に見たからとのこと。

ジョージ先生は、二宮金次郎について勉強したことはないし、知るはずもないのに、なぜか二宮金次郎のことを知っているというのです。

そして、『博愛の人』の作中では、二宮金次郎の前世はシャリープトラ(釈迦の十大弟子の一人)だと語られて……。

二宮金次郎が現代に生まれ変わった存在こそが、ジョージ秋山先生なのだと示唆されます。

つまり、ジョージ秋山先生の前世は二宮金次郎で、過去世の夢を元に描いたのが『博愛の人』だったのです。

ジョージ先生……!

この「ジョージ秋山の前世はシャーリプトラ(舎利弗)」については、解釈が難しいです。

先生のインタビューでは、「ぜんぶを説明する必要はないし、また説明してはいけない。解ってはいるんですけどね。ただ、メッセージとしては送れない。そこに今の新興宗教の失敗がある」といった感じ。
ご本人も、明言すべきではないと考えているようです。

(『博愛の人』を読む限りでは、ジョージ先生の前世はシャリープトラだと、かなり真面目に描かれているように思います。
しかし、『スターダスト』という漫画では、山口百恵がジョージ先生の元カノだと示唆されていたりします。
『告白』をはじめ、ジョージ先生は常に本当のことを話すわけではありません)

現在、Googleで「ジョージ秋山 シャリープトラ」の検索結果は2件ほど。
ジョージファンのあいだですら、シャリープトラの件は、ほとんどスルーされています。

ともあれ、ジョージ漫画の中で、『博愛の人』がきわめて重要な作品であることは確かです。

ジョージ秋山先生が辿った経緯をまとめると、若いころから「生まれてきたことの苦しみ」に悩んで、色欲に向き合いながら内省を続け、ある種の悟りに至ったという感じで、ある意味で宗教家のようだったりします。

 

『ドブゲロサマ』

1980年代半ばから、ほとんど少年誌で描くことがなくなったジョージ先生でしたが、1995年~1996年、『少年ガンガン』に『ドブゲロサマ』を連載します。

それは、「魂の巨匠 ジョージ秋山」と紹介され、鳴り物入りでスタートした巨弾新連載。
しかし、90年代の子供たちは、それまでジョージ作品に接する機会がほぼなく、突然のジョージ初体験に困惑したみたいです。

※メモ

・梶原一騎先生(『巨人の星』『あしたのジョー』)
・永井豪先生(『デビルマン』『マジンガーZ』)
ジョージ秋山先生(『銭ゲバ』『アシュラ』)

……などと並べると、90年代の子供たちも、『あしたのジョー』や『デビルマン』は聞いたことがあるけど、『銭ゲバ』や『アシュラ』は知らない、という感じだったみたいです。

ジョージ作品はほとんどアニメ化されていないということもあるのかも知れません。
※アニメ化されたのは、1982年の『浮浪雲』(劇場)、1987年の『ピンクのカーテン』(OVA)、1989年の『恋子の毎日』(OVA)、2012年の『アシュラ』(劇場)など

『ドブゲロサマ』は、謎に宗教的な説教、キモい主人公、70年代のノリなどが90年代の少年に理解されず、8話で打ち切り。

主人公の口癖「おぉっ かーんしゃ」の謎の響きだけが、読者の心に残ったり残らなかったりしました。

 

『捨てがたき人々』

『月刊ビッグゴールド』では、『博愛の人』に続いて、1996年から『捨てがたき人々』が連載されます。

主人公は、見た目がブサイクで、性格も下劣な、非モテの無職。ほとんどのひとが、容姿だけで彼を嫌悪します。
それが、新興宗教にハマっているブサイクな女性と親しくなり、子供ができます。

「ブスとブ男の子だ!! そんな子を世に出しちゃあ! いけねーっ!!」
「俺にはわかるよ! 胎児はな、産まれ出たくねーっていってるんだよ!!

主人公がそう思った通り、生まれた息子は成長すると、「僕、あんたたちの子供で生まれてきたくなかった」と言います。
さらに、妻も不倫をしており……。

1977年の『俺の青春』では、ブサイクな主人公がブサイクと結婚して家庭を持つことで、いちおうのハッピーエンドを迎えました。
『捨てられた人々』では、その結婚に救いはあるのかという辺りに踏み込んでいきます。

妻が信仰している宗教や、主人公が前世で宗教家だったらしい伏線もあって、人間の業を描きながら、救いも見出していく感じに進めば、ジョージ先生の集大成になるかも知れない作品でした。

当時(1998年)の『マンガ地獄変』でも、「ジョージ先生は現在進行系で進化・深化しているのだ。だからこそ、現在のジョージ作品を読まずしてジョージを語るのは無意味なのだ」などと語られています。

しかし、物語は『月刊ビッグゴールド』の休刊によって終了。

「なんでハケに毛があって、ハゲに毛がねーんだよ」と終わるのでした。

 

『弘法大師空海』

1997年から『オールマン』で連載したのが、『弘法大師空海』です。

おおざっぱに言うと、『博愛の人』の空海バージョンみたいな感じ。
『博愛の人』では、瞑想によって悟れると述べられましたが、その実践編として、より具体的な瞑想のやり方を説明するのが『空海』です。

それから、「自分という存在が両親のセックスによって生まれた」というのが、ジョージ作品における、ひとつの苦しみだったのですが……。

※1973年の『日本列島蝦蟇蛙』の主人公が、「産んだ産んだって恩に着せるない 自分達がセックス楽しむためにやったんだろ いやらしいんだよ いやらしいんだよ」と、セックスへの嫌悪を表明するなど

『弘法大師空海』では、次のような感じで、

「セックスは生まれた原因ではない
「自分の魂の親は両親ではない

だから、私たちはいやらしい存在ではなく、神秘で厳かな存在なのだ……という思想に、ジョージ先生はたどり着いたらしいです。

ジョージ作品で繰り返される色々な苦しみが、上のような「悟り」で解決(?)することになります。

 

『生きなさいキキ』

2001年~2002年、『漫画サンデー』で『生きなさいキキ』が連載されます。

『捨てがたき人々』が、『俺の青春』系統の性愛モノを深化させた作品だとすれば……。
『生きなさいキキ』は、『銭ゲバ』『ギャラ』系統の、悪と金の物語を突き詰めようとしたのかも知れません。

主人公は、豚小屋で生まれて、売春婦の母親に虐待されながら育ち、だれにも愛されていない少年。

しかし、ある日、行方不明だったカッコイイ父ちゃんが帰還。
2億8000万円を持つ父親から「金は可能性へのキップだよ」「人間を信じるな 金を信じろ」と教えられた主人公は、父親と共謀して母親を保険金めあてに殺害しようとするなど、『銭ゲバ』な道を歩みます。

ジョージ作品といえば、主人公がクソオヤジに捨てられるのが基本なのですが、この作品は「主人公がカッコイイ父親を尊敬している」という地点からスタート。
「主人公と母親の殺し合い」「主人公を愛してくれる幼妻(謎の存在)」といった要素もどう処理されていくのか、興味深いところでした。

そして、『博愛の人』を経由したジョージ先生なら、この主人公を『銭ゲバ』とは違うラストに導けるのではと期待されたのですが……。

最後は、母親にはねとばされて、母親と一緒に崖から落ちた主人公が、なぜか飛翔して終わり。

Amazonの商品紹介とかには「壮絶なラストを迎える完結巻」なんて書いてあるのですが、どちらかといえばポカーン系のラストでした。

 

『WHO are YOU 中年ジョージ秋山物語』

2002~2005年、『ビッグコミックオリジナル増刊』で、『WHO are YOU 中年ジョージ秋山物語』が連載しました。
『告白』や『日本列島蝦蟇蛙』は、20代後半から30代前半の自伝的な作品でしたが、『WHO are YOU』の執筆時、先生は59歳~61歳。

この漫画も、「わたしは妻を殺した」という前フリで始まって、特にその説明はしないというジョージ・スタイルで進行します。
そうして、「ブスの悲しみが分からんような奴には、中年の資格がない」といった持論が語られました。

連載の途中からは、ジョージ先生が自分の漫画のキャラたちと対話をするのがメインになります。
登場するのは、デロリンマン、ほらふきドンドン、『捨てがたき人々』の主人公など。

「先を読む力もないのに、事業に手を出すからズラ」などと、銭ゲバに説教されるジョージ先生。

さらに、毒薬からは「おみィの漫画は最近面白くにィ!!」と指摘されます。

「おみィはよう、宗教だの思想だの哲学だのをよう、ちっとは知ったふうなよ、ポーズを取ってるけどよ、あのよう、人間っつうのはよ、欲望のまま生きるのがよ、真実なんだよ!!

「宗教、思想、哲学なんだっつうものは、このコンピュータ化した欲望の時代には、古代だ! 今に合わない。捨てろ!!

これを描いたジョージ先生の真意は分かりません。

ただ、『博愛の人』や『空海』が、『銭ゲバ』や『アシュラ』より面白いかというと、やっぱり難しいのですよね。
また、『捨てがたき人々』や『生きなさいキキ』は、『博愛の人』の精神的な内容が、性愛モノ・金悪モノと噛み合う前に終わってしまいました。

そんな感じで、60歳を過ぎた先生にも、自身の創作に思うところがあって、その一角が毒薬の説教となって現れたのかも知れません。

あるいは、『博愛の人』や『空海』で示された宗教的・思想的な解決を毒薬というキャラクターが拒んでいるということを、素直に捉えるべきかも知れません。

そして、毒薬に「おみィはオリだからだよう……」と抱きしめられて、2人で涙を流すジョージ先生。
毒薬も、銭ゲバも、捨てがたき人々も、同じ苦しみを持ったジョージ先生の分身なのです。

これを見た『電波男』の本田透さんが「読んでる自分も泣かずにはいられません」と述べているのも面白かったです。(ネットアーカイブ

なお、このシーンのあとは、

・毒薬が純真そうな女性に惹かれて愛を知ったと思ったら、セックスと引き換えに金銭を要求されて絶望する

という、1970年の『銭ゲバ』以来、何度も何度もジョージ先生が描いたシチュエーションの2004年バージョン(1970年から何も変わっていません)が、様式美のように9ページで流れていきました。

またしても、毒薬は盲目の聖女に出会えなかったのでした。

 

『銭ゲバの娘 プーコ』

そして、2005年~2006年、『ビッグコミックオリジナル増刊』で、『銭ゲバの娘 プーコ』が連載されます。

永井豪先生が『デビルマンレディー』を描いたように、ジョージ秋山先生は『銭ゲバレディー』に挑戦したと言えるのかも知れません。

主人公は、銭ゲバの実の娘。
父親である銭ゲバを殺そうとしますが、5000万円を手渡されて、これを10倍にしたら会社を譲ってやると持ちかけられます。

そして、『生きなさいキキ』の主人公が父ちゃんに言われたのと同じように、父から「銭は可能性へのキップズラ」と教えられる主人公。
さらに、銭ゲバの娘を自称する女がもうひとり現れて、父娘の関係はどうなっていくのか……。

と思ったら、特に何の盛り上がりもなく、軽く株で儲けた主人公が社長の椅子に座って、完。

ラストは『シャカの息子』や『海人ゴンズイ』と同レベルの唐突さで、何もかもブン投げた8話打ち切りでした。

『生きなさいキキ』や『銭ゲバの娘 プーコ』は、『銭ゲバ』の新生を試みたものと思われ、成功すれば究極のジョージ作品になっていたかも知れませんが、実りませんでした。

当時、『銭ゲバの娘 プーコ』は単行本化されず、アサヒ芸能で連載した『極道の娘』や、コミック乱ツインズの『岡っ引き天牛』も、2巻以降が発売されず。
大変遺憾ながら、2000年ごろから、ジョージ先生の新作に需要はなくなっていたようです。

※銭ゲバの生存について

『銭ゲバの娘 プーコ』は、『銭ゲバ』のラストで主人公が自殺せずに生き続けた世界線の物語。
個人的には、銭ゲバがいけしゃあしゃあと生きているという設定には納得できませんでした。

ただ、ジョージ先生としては、漫画が終わったあとも、キャラクターは生き続けているという感覚があるそうです。
そして、ジョージ先生が『博愛の人』を描いたことで、ジョージ先生の心の中で生き続ける、ジョージ先生の分身である銭ゲバというキャラクターの精神にも、変化があったのかも知れません。

そうして、銭ゲバが最終回で自殺せずに、ある種の境地に至って老成した世界線が生まれたと考えると、30年以上の執筆活動を経て、銭ゲバの苦しみに答えが出た結実が『銭ゲバの娘 プーコ』の世界だと、言えないこともないと思います。

 

余談

ちなみに、『銭ゲバ』のアナザーストーリーとしては、1974年に描かれた『銭豚』という作品もあります。
(こちらは、かわいい女子高生を主人公にしたのですが、やっぱり「真実の愛に出会えたと思ったら、そいつも金目当てだった」で終わる短い作品です)

 

『聖書』

2005年~2008年、ジョージ先生は、全6巻の単行本描き下ろしという形で、旧約聖書と新約聖書の解説マンガみたいなのを執筆しました。

元々、ジョージ先生は原作付きの漫画というものに否定的で、原作付きの仕事はほとんどしていません。
漫画家は「自分のもの」を書くべきというのが、ジョージ先生の主張でした。

その先生が、還暦を過ぎて、自身の新作を描く手を止めて『聖書』を描いたのは、それなりの思いがあってのことなのでしょう。
(とはいえ、正直、この『聖書』を読む意味はないと思います)

その後、2010年に、ジョージ先生は『養生訓』のマンガ解説みたいなのも描き下ろしました。
『養生訓』は、江戸時代に84歳まで長生きした貝原益軒が、83歳のときに書いたという健康指南書。66歳になったジョージ先生がそれを選んだのにも、思うところはあったのかも知れません。

 

『浮浪雲』の完結。そして…

雑に振り返ると、

デビュー当初は、基本的にギャグ漫画。
70年代、『銭ゲバ』『アシュラ』など、人間の業を描くストーリー漫画に。
80年代、『ピンクのカーテン』など、性愛ものが多くなる。青年誌中心に。
90年代、『博愛の人』『空海』など、ある境地へ。
00年代、『生きなさいキキ』や、『マンガ中国入門』『聖書』などに挑戦。

こうした経緯をたどるあいだ、1973年からずーっと『浮浪雲』が連載し続けているという感じでした。

2010年2月の『養生訓』のあとは、『浮浪雲』以外はあまり描いていないと思います。
(2016年に『くどき屋ジョー リバイバル』という読切を描こうとして、体調不良のため「途中まで」という形で掲載されたこともありました)

2017年には、その『浮浪雲』の連載も終了。(連載期間44年

最終話では、主人公がフラッと行方不明になり、神隠しにあったと噂されます。
しかし、実は家の押し入れで寝ていただけだったというオチで、最後に浜辺を歩いて終わりでした。

「そして今、ジョージ秋山は次に描くマンガを考えている」ということでしたが……。
2020年、先生は77歳で永眠。

個人的には、老境に入ったジョージ先生の、『浮浪雲』のあとの新作というのも、読みたかったです。

(「先生は描けるだけのものを描き切って逝かれた」という思いはあるのですが……、そんな言葉で総括してしまうのはイヤだとも思います)

(あるいは、「『捨てがたき人々』か『生きなさいキキ』か『銭ゲバの娘 プーコ』のコンセプトで、完成したものが描かれるべきだった」という思いもあるのですが……、「べきだった」とは何だって気もします)

 

付記:ジョージ作品の入手について

色々な関係者が頑張って「単行本化されていない作品の出版」「入手困難な作品の復刊」を行ってくれた結果、ジョージ作品は、昔よりは読みやすくなりました。
まあまあ電子化もされて、『海人ゴンズイ』や『戦えナム』といった無駄に希少だったマニアックな作品が簡単に読めたりします。

圧倒的に重要度の高い『銭ゲバ』『アシュラ』の2作は、 Kindle Unlimited で読むことができます。

なお、電子版を探す場合、『銭豚』や『くどき屋ジョー』など、Kindleで配信されていないけどebookjapanで電子化されている作品もあるので、要注意です。

『ばらの坂道』は電子化されていませんが、2011年に復刊されたものが入手可能でしょう。
しかし、『ギャラ』『ラブリン・モンロー』は、ジョージ作品の中でも非常に重要なのに、復刊も電子化もなく、入手が難しいです。

現状、『ギャラ』はヤフオクで2万~、『ラブリン・モンロー』は3万~といった感じです。

また、恋愛ものと思いきや心霊手術に至るカオスな作品『青春の河』とかも、復刊・電子化されていません。
『ゴミムシくん』『ほらふきドンドン』『ざんこくベビー』『ピコピコロボベエ』『コンピューたん』などなど、少年向けギャグの系統にも、入手困難なものが多いです。

『ジャンプ』で連載した『どはずれ天下一』、『冒険王』で連載した『サド伯爵』などなど、そもそも一度も単行本化されていない作品も数多く……。

そんなこんなで、復刊は進んだのですが、読めない作品も大量にあります。

 

おしまい

今回、ギャグ作品についてはほとんど触れず、ストーリー漫画が中心の話になってしまいました。
『デロリンマン』『花のよたろう』『スターダスト』『電撃ハリキリ娘ピンチー』『青の洞門』などなど、スルーした作品は数多いです。

本来、『デロリンマン』だけでも怒涛の長文になるところですし、『花のよたろう』も非常に重要な作品。『ゴミムシくん』も興味深いです。
(逆に、『戦えナム』の話とかは、必要性が薄いのに入れてしまったという感じだったりします)

できれば、もっとちゃんとした「考察」にしたかったのですが……。
私の考えを整理するには、まだ時間がかかりそうで、今回は、なんとなく輪郭をなぞっただけという感じになってしまいました。

でも、「この作品はこういうことを描いたものだ」なんて言葉にすると、なんか違うのですよね……。

あと、「ジョージ作品と幸福の科学」みたいな話は、たぶん私の領分だと思うので、いつか取り組むべきなのかも知れません。

(ジョージ先生の本、大川隆法さんの本、両方読んでいる人って、それほどいなさそうな気がするので)

もしもジョージ作品に触れてみる場合、やっぱり、まずは『銭ゲバ』と『アシュラ』からだと思います。それから、『告白』『ばらの坂道』『ギャラ』など、1970年代の作品にオススメが多いですが……。
80年代ジョージ、90年代ジョージ、00年代ジョージもまた、捨てがたき作品たちです。

ネットアイドルちゆは、ジョージ秋山先生を応援していました。

 

ジョージ先生の読切『食べ物がなくなる』の話を、こちらに書きました。

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