見出し画像

電車内で体調不良の女性に見た日本語の難しさ。

私は人混みに酔いやすいので、普段は満員電車を避け、少しでも空いている各駅停車を選ぶようにしている。だが、今日はどうしても遅刻できない用事があり、意を決して急行電車に乗り込んだ。

 冬の車内は暖房が効いていて、上着を着たままだと逆に不快なくらいだ。満員の中、つり革につかまりながら「乗り換えまであと10分の我慢」と自分に言い聞かせていた。発車して2〜3分が経った頃だろうか。ドア付近に立っていたマフラーをした女性が突然しゃがんだ。何かを落としたのかと思ったが、彼女はドアに片手をついている。

 隣にいたカップルの女性が「大丈夫ですか?」と声をかけると、彼女は「大丈夫です」と返答した。しばらくして彼女は立ち上がり、私はほっとしてスマホに目を落とした。だが、その1分後くらいに、彼女はまたストンとしゃがみ込んだ。「本当に大丈夫?」と左側に立っていたおばさまが心配そうに声をかける。「大丈夫です、大丈夫です」と、今度ははっきりと答える彼女。再び立ち上がり、カバンから水筒を取り出してゴクゴクと水を飲んだ。

 彼女の顔色は悪くなく、言葉もしっかりしている。私も「大丈夫そうだな」と思い直し、再び車内に静寂が戻った。しかし、もうすぐ停車駅というところで、彼女はまたストンとしゃがみ込んだ。これにはさすがに周囲の人たちも「これは大丈夫じゃない」と確信したようで、座席を譲ったり声をかけたりする人が現れた。彼女は「すみません」と謝りながら譲ってもらった席に座った。

 私はちょうどその駅で下車したが、彼女はそのまま電車に乗り続けていってしまった。

 ホームを歩きながら、あの女性は本当は体調が悪かったんだなと思った。同時に、日本人特有の「大丈夫」という表現の難しさについて改めて考えさせられた。すぐに「具合が悪い」と言えば、もっと早く周囲が動けただろうに。そして、さらに言えば、今日は「体調が悪いので休みます」と会社に連絡することだってできたはずだ。

 日本人の勤勉さや責任感の強さ、人に迷惑をかけたくないという誠実さ。それらの裏には、”自己犠牲”が隠れていることがあるのかもしれない。普段耳にする「大丈夫」という言葉のうち、どれほどが本当に大丈夫なのだろうか――そんなことを考えた朝だった。

最後まで読んでいただきありがとうございます。この記事を楽しんでいただけた方はスキとフォローをよろしくお願いします。また、記事をご購入いただくと応援と励みになります!よろしくお願いします。

ここから先は

0字

¥ 1,000

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?