鬱と共存

音は嫌な記憶と結びついている。
その音を聞けば嫌な人物を思い出す。
アルミ缶のカラカラいう音、ドシンという足音。
誰が聞いても普通の音が辛いのだ。
兎角、鬱病患者は生きづらい。
これは医者にも理解されない。
家ではノイズキャンセリングヘッドフォンを電源オフでかけている。
これでもかなりの生活音は遮蔽できる。

自転車恐怖症もある。
これは自転車があらゆる方向から自分に向かって来るのではないかという不安。
自動車やオートバイの急な音やクラクション。
極めつけはハイブリッド車の忍び寄る音すら脅威である。

子供の甲高い声、鳴き声、学生の大きな声もストレスになる。勿論、頭ではそういう世界が当たり前だと理解はしている。が、如何せん身体が強張り身構えてしまう。

大きな音が鳴るのを聞くのも嫌だし自分で大きな音を鳴らすのも嫌なのである。
隣の住人はしょっちゅう大きな音を立てる。
戸や窓を音を大きく鳴らし開け閉じ、しょっちゅう大きな音を立てて物を落とす。

香りが強い芳香剤入の洗濯水を垂れ流し周囲に香りを撒き散らす人間もいる。香りに鈍感なのか自分の存在感をアピールしたいのか知らないが、これもまた香害である。香水が強すぎる人も苦手である。

そんなある日、強い芳香剤入りの洗濯水を流す隣人への対処法を見つけた!強い芳香の花を育てベランダに置くのである。ハゴロモジャスミン、藤、カロライナジャスミン、沈丁花、クチナシ、金木犀、いくらでもあるではないか!
ベランダから空気を入れる度に芳香剤ではないナチュラルな花の香に癒やされる。
洗濯のタイミングをずらすのも手段だ。
臭い芳香剤入りの洗濯水が流れる間は毅然?として窓を開けない。
はっは!

自分の人生は自分で選んだ結果だから人を恨むな?ふざけるな!!クソ野郎がいなけりゃまだましな人生だったよ。
クソ野郎が自分らを正当化する為の戯言だよ。
俺はとことん恨むね。藁人形に釘を刺してもいいよ。
どうせ碌な人生を歩まないクソ野郎の為には藁も釘も勿体ないがね。
糞野郎に出会ってしまった人生に泣けるよ…。