遠離ヶ島
遠い遠い御代の話である…。
この国がまだ近代の扉を開く前に起こった事で、後世には記録として伝わっていない話である…。
この国は万世一系の王家を中心として栄えてきた。地方の様々な豪族や実力者は、決して王家を倒そうなどとはゆめゆめ思わず、時には王家を支え、時には王家と血縁的、または政治的な優位性により結びつき、その実力で世に生き残ってきた。
王家を中心とした中央集権体制は、この国の穏やかな気候と同じく民の平和を約束し大きな反乱もなく700年余の間保たれていた。あの日までは…。
第一章 謎の漂流者達
「おめぇ、本当に見ただか?」
焚き火の炎を中心に村の者が輪を作っている。
しばらく唇を舌で湿らせて嘉兵衛が口を開いた。
「あぁ、間違いねぇ」
嵐の夜に嘉兵衛は、この島の沖合数キロ先にある朱鼻島(あけはなじま)で漁をしていた。
が、湿気の日に漁をする事自体が無謀なのである。
暫くして、あまりの海の荒れ様に身の危険を感じて引き上げる準備を始めた。
降りしきる雨が視界を遮り遠くは霞んでいる。
嘉兵衛は観た。得体も知れない数人の者達が
波の中で波打ちを朱鼻島に向かい上陸するのを…。
三十人近くは人がいようか、いずれも嘉兵衛の数倍近い身の丈をしている。
時々、雷光が閃き、その者達の姿を朧気に照らし出す。
嘉兵衛は驚いて船から海に落ちそうになった。
いずれも異様な姿で目をギラギラと光らせて、髭だらけの顔をし、筋骨隆々、何と頭の両脇から天に向けて角が生えている…。
「ば、化け物だ…。」
嘉兵衛は思わず声を失った。
命を取られるに違いねぇ。あれは人を喰らう化け物に違いねぇ。
第二章 謎の流刑者
この洞窟からは外の波の音が遠くに聞こえる。
あたかもそれは、お経の様に一定の旋律で響く。
昨夜来から嵐の気配があり波が岩を打つ音が激しい。
「嵐か…。」
男は呟いた。
誰が聴く事もない。この洞窟には、この男の他は人はいない。洞窟の奥にいる蝙蝠が聞いている位であろう。
洞窟内は、ひんやりしており、熱帯のこの島では特別な環境であり思考するには適している。
男の脳裏を反芻しているのは、数年前に彼が関わった中央政権での政治の失敗の苦い思い出である。
あの時の自分の判断は果たして正しかったのか、何故今の境遇に至ったのか、他に道は無かったのか…。
今となっては、どう仕様もない後悔が絶えず込み上げては消えてゆく。
生き別れになった妻子は今、どうしているのだろうか。
考えは想いになり、想いは考えになり、頭の奥底に落ちて行く。そして、また考えは頭をもたげてくるのである。
この朱鼻島に流罪になり、はや二年が経とうとしている。
もはや中央で彼の名前は忘れ去られているだろう。
この島はカルスト台地で出来ており、この洞窟の奥は鍾乳洞になっている。大地に降り注いだ雨が岩に染み込み、時折、雫となり鍾乳洞の池に滴り落ちる。
ポチョン…。
「沙耶か…。」
人の気配を感じて男が闇に耳を傾けた。
「はい…。」
女の声が闇に聞こえた。
「また来てくれたのか。」
女が近づく気配がする。
「お食事をお持ち致しました。」
「いつもすまぬ。」
沙耶は朱鼻島から離れた猿島の住民であり、度々、こうして男の元に食べ物を運んで来るのである。
「海の案内は今日も猿蔵がしてくれたのか。」
「はい。」
一人で海を船で渡っては来れぬ。毎回、同じ村の沙耶と同じ年の猿蔵が船を漕いで渡って来るのである。
「そなた達には、いつも済まぬと思うている。」
沙耶は切れ長の一重の目を伏せた。長い睫毛が無いので表情が直ぐに分かる。
男は、ふと妻の千代を思い出した。千代は、沙耶と違い二重瞼の大きな目をした女であった。
沙耶とは違い、どちらかと言えば感情を表すのが得意であった。
しかし、男が千代を思い出したのは一瞬であり、再び今の暮らしに思いを戻した。
沙耶は千代よりふた周りは若い。村でも器量良しであり、村人の中でも沙耶に懸想している者は多いであろう。
そんな沙耶が自分の身の回りの世話をしてくれるのを男は心から済まないと思うのである。
暫く沈黙が二人の間を流れた。
男にとっても沙耶にとっても、その沈黙は苦痛では無い。
暗闇の中にお互いに明かりを探る様な、そんな瞬間なのである。
「おんりさま…」と言いかけて沙耶は口籠った。
この朱鼻島は古代より流刑者の地である。
流刑者は、皆、「遠離(おんり)」と呼ばれている。
「良い。そのまま話して良い。」
男は頷いた。
沙耶は再び口を開いた。
「おんりさまのお世話をする事は私の家の代々のお役目にございます。」
「そうであったか…。」
男はそれ以上の追及はしなかった。
この朱鼻島は古来、中央政権から流刑された者、政治的に追放された貴族や時には王家に縁のある者なども多いのである。
その様な流刑者を分け隔てなく面倒をみている家の者が代々いる事を知り、男は胸が熱くなった。
第三章 猿島の悲劇
朱鼻島から100km程離れた猿島は、島民50人程の貧しい村である。
代々、漁業を主として暮らしを営んできた。
朱鼻島に行っていた沙耶と猿蔵が漕ぎ船で帰ってきた。
遠くからそれを観ていた犬千代は慌てて海岸線に駆けつけた。
「沙耶、またおんりに会いに行ってただか。」
船が着く前に犬千代は大声で訊いた。
「それがわしの役目じゃもの。」
猿蔵は黙って船を浅瀬につけた。
手を差し伸べる沙耶の手を取らず、沙耶は猿蔵の手に捕まり船から降りた。
猿蔵は寡黙ながら律儀な男なのである。
沙耶の家とか遠い親戚に当たり沙耶とは小さい頃から兄弟の様に育ってきた。
犬千代も沙耶とは同い年で昔から恋心を持っているが、沙耶は相手にしない。
「あまりおんりの相手をしていると手篭めにされるぞ。」
犬千代は恨めしそうに沙耶の後ろ姿を眺めながら叫んだ。
舟場にいた数人の村人がそれを聞いて笑った。
誰かが、
「お前に手篭めにされるより良いわ。」
とつぶやいた。
「なんじゃと!」
犬千代は、その声の主を探して拳を振り上げた。
沙耶は取り合わずに家へと向かった。
その手には、先程の流人者の汚れた衣服を包んだ籠を持っている。洗濯もしているのである。
村の食糧小屋が襲われたのは、その夜である。
数隻の船に乗った謎の者達が島に押し寄せて上陸し、島の北東部にある食糧小屋を遅い、大量の食糧が奪われた。
小屋の扉は破壊され、中にあった海藻や魚の干物や野菜、酒などがことごとく盗まれた。
村の者達は皆、眠りについていたが、海辺を散歩していた雉丸はその一部始終を観ていた。
大勢の身の丈は雉丸の3倍はあろうかという者達が押し寄せ、扉を棒の先に刃物がついた物で打ち壊して押入った。
雉丸は、その怖さに腰が抜けてしまい草むらにへたばりただただ草や岩陰から眺める事しか出来なかった。
月の明かりで浮かび上がる多くの者達は筋骨隆々で頭から天に向けて二本の角を生やし、目はギロギロと闇の中に光り、眼窩はくぼみ、頬は張り出し、鼻は尖って付きでており、顔中な髭だらけで異形である。身体には毛皮を纏っている物もいる。
手には剣を持っている物もいる。
「ば、化け物じゃ…。」
雉丸はかすれ声でつぶやいた。
倉庫の荷物はたちまちの内に運び出され、船に載せられた。
船は戦隊を組み朱鼻島に向けて漕ぎ出した。
船の両側に舵が見え、またたく間に船は沖へと漕ぎ出し、小さくなっていった。
第4章 鉄舟
「あの島におられる人について聞きたい。」
一人の坊主が村人に訪ねた。
「いつ、こちらに参られたのか。」
村人の一人が答えた。
「もうふたとしにはなるだ。」
坊主は考えこんだ。
間違いない。道文様だ…。
「あの島に渡れるか。案内を頼みたい。」
村人が再び答えた。
「そうさな。猿蔵に頼むといい。時折、あの島に船をやっておるでの。」
「猿蔵とやらに会わせてもらえんか。」
村人は、坊主を猿蔵の元に案内した。
第5章 再会
猿蔵と沙耶と坊主は、洞窟の奥へと歩いている。
坊主は沙耶に、洞窟に住む男についていくつか訊ねたが、沙耶も詳しく知らないらしい。
男は普段は瞑想や書物を読んだりして過ごしているらしい。
外と比較して洞窟の中はひんやりとした空気が満たしている。
やがて洞窟の奥にかすかに明かりが見えた。
「おんりさま…。」
沙耶が洞窟の奥にいる男に話かけた。
暗がりの中に髪が肩まで伸び、髭が伸びた男の姿が見えた。
坊主は確信した。
「道文様…。」
坊主は口を開いた。
奥にいた男は、坊主に気が付き目を見開いた。
「そなたは、倉坂三郎…。」
「菅原道文様…。しばらくでございます。」
二人は、お互いの名前を呼んだ。
無論、中央政権では知らぬ者がいない二人の名前を
沙耶も猿蔵も知る由もない。
「今は、出家して、鉄舟と名乗っております。」
坊主は身の上を語った。
第6章 菅原道文
菅原道文は、中央政権の右大臣を勤めた人間である。
時の帝とも信頼関係を築き、政治に長けて名声を馳せた。
出自は高くない身分であったが、その才覚を現し、たちまちの内に位を登りつめた。
政治の停滞に喘ぎ苦しんでいた庶民は拍手喝采し、政道の各人も当初は道文の才覚と政の能力に溜飲を下げ、帝の善政をお助けする道文を慕い付き従った。
しかし憧れは羨望や妬みを買い、時の帝の娘と道文の息子の縁組が決まる頃には道文の才能に危機感を覚える者達が増えた。
左大臣の梶原忠宗は、一計を案じ道文を謀反人に仕立てあげた。先の帝の寵愛を後ろ盾に王の座を奪う計画を立てているとでっち上げたのである。
道文の才能を妬み、己の実力の不甲斐なさに引け目を感じていた周囲の者達はたちまち道文に背き、政道から道文をたちまち追い落としてしまった。
第7章 沙耶さらわれる
道文に新しい着替えの衣装と食べ物を届けに朱鼻島に向かった沙耶がさらわれたのは、それからふたつき後であった。
猿蔵が朱鼻島に数百メートルまで近づいた時であった。
強烈な勢いで見た事もない巨大な船が近づいてきた。
猿蔵はその船から離れる為、力一杯船を漕いだがたちまちのうちに追いつかれた。
そして巨大な船から現れた猿蔵より倍はあろうかという男達によって、あっという間に沙耶はさらわれてしまったのである。猿蔵の首元には男達の一人が太刀をかざし、刃をつきつけていた。
さすがの猿蔵も身動きすら出来なかったのである。
第8章 村人の相談
沙耶がさらわれた事を知った村人は集まり、今後について
話し合いをした。
謎の怪物達については、村人の備蓄していた食糧を奪われている事もあり、憤っている者が多い。
そこに今回の沙耶がさらわれた事で村人達の怒りは頂点に達している。
しかし、謎の怪物達については嘉蔵や雉丸からの話を聞き想像するだけて皆が身震いする程に恐れている。
「わしにひとつ考えがある。」
矢平次が話を始めた。
「朱鼻島にいるオンリに救いを求めてみてはどうじゃ?」
村人達は互いの顔を見廻した。
「いや、無理じゃろう」
木にもたれていた猿蔵が口を開いた。
「あのオンリは、都で文武に秀でていたそうじゃぞ」
「そなた?誰に聞いた?」
弥平次が尋ねた。
「テッシュウとかいうボウズが申していた」
「そのボウズは何処におる?」
矢平次が訊いた。
「オンリのおるところじゃ」
村人達は顔を見合わせた。
「わしらは戦を知らん。武器もろくに無い。わしらだけでは無理じゃ」
又造がつぶやいた。
「わしならボウズもオンリも知っておるので頼んでみるぞ」
猿蔵が言った。
猿蔵にとっても目の前で沙耶をさらわれた上、ほのかな沙耶への想いもある。だが、自分の力だけではどうにもならない。村人やオンリの力を借りて仇を取りたいのである。
「お主の責任でもあるしの。頼んでみるがよい」
村人達も猫の手も借りたい有様なので猿蔵に一任した。
猿蔵は、他にも説得しに合力してくれる者を探す事にした。
第9章 真文、島を渡る
真文を説得しに朱鼻島に渡ったのは、猿蔵と嘉蔵と雉丸の三人である。
真文は鉄舟と書物を読んでいたが、二人の来訪を受け村に起きた出来事を聞いた。
村の食糧庫が襲われた事は無論の事であったが沙耶がさらわれた事が何よりも真文の心をざわつかせた。
第10章 斥候
オンリの詳しい情報を探る為、真文は斥候を放った。
地理に明るい人間が最適と言う事で嘉蔵、馬乃助が選ばれた。
彼らが目撃したオンリの姿は村人を驚愕させた。
オンリ達は焚き火を囲み、何物かの肉を喰らい血をすすり酒盛りをしていたというのである。
第11章 鍛錬
鉄舟の教えにより、村人達は戦に備えて戦い方を学んだ。
また、斥候を元に得た情報などを総合し、今後の策を練った。
地理に詳しい嘉蔵、馬乃助は戦う場所を想定して鉄舟と相談した。
第13章 オンリが島へ
菅原真文は、謎の怪物達を成敗する為に村人の加勢を頼んだ。
恐る恐る村人の中から、沙耶の守り人の猿蔵、雉丸、そして犬千代が加わった。鉄舟も勿論随行している。
怪物どもにさらわれた沙耶を救い出す為に一堂は波の静かな晩を選び朱鼻島に向かった。
猿蔵が一番気負っている。「オンリ退治じゃな。猿島始まって以来の大戦じゃ。」
猿蔵と雉丸が漕ぎ手である。二人は息を合わせて手慣れた手つきで船を漕ぎ始めた。
道文は愛太刀の奉國と小太刀の猫影を腰に差している。
帝より拝領した着物を着ている。背中には梅の紋が刺繍されていた。
波は差程に高くはない。
しかし真文の心は高く波打っている。
その心中に沙耶への熱い想いが渦巻いているのを真文は認めていた。
第16章 死闘
道文は名乗りを上げた。
「わしが菅原道文である。いざ立ち会え!!」
洞窟の中から首領とおぼしき男が一際前に出でた。
道文の倍近い身の丈にして顔の半分は髭で
覆われており、頭から角が天に向かい伸びている。
眼窩は窪み目鼻立ちが切り立つ崖の様に深い。
眼は海の様に蒼い。
オンリは何やら言葉を発したが全く意味が分からない。
オンリの言葉であろう。
道文は太刀の奉國を構えた。
オンリの首領は両刃の幅広い剣を構えた。
道文は、距離を取りながら静かに進み出た。
オンリの首領は物凄い雄叫びを上げながら駆け寄ってきた。
道文は咄嗟に右に交わした。
オンリの剣が左から胴を薙ぎ払いに来たのである。
何という速さと勢いであろう。
道文が体を交わすのがいま一時遅れていれば身体は胴から真っ二つに割られていたに違いない。
道文は、奉國を右斜め下に構えた。
謂わば誘いの形を取ったのである。
オンリは再び唸り声を上げながら飛びこんできた。
オンリの刀は上段から全力で振り下ろされた。
道文は身体を左に素早く反らしながら左上に刀を天へ向かい薙払った。
刀はオンリの首領の右腹あたりをかすめたが如何せん太刀を避けながらなので当たりは浅い。
カチンと金属の音が響いた。
オンリは鋼の鎧を着ており太刀を弾いたのである。
道文とオンリの首領の一騎打ちが終わらぬ前に鉄舟と猿蔵、雉丸、犬千代、村人達はオンリの首領を遠巻きに、オンリが潜む洞窟へと向かう。
洞窟の中には沙耶が捕らえられいるのだ。
ところが鉄舟達が洞窟に辿り着く前に洞窟から、オンリ達がやおら躍り出た。
オンリ達は皆、身の丈が村人達の倍か三倍程あり赤ら顔や髭面の者もいれば白皙にして青白い表情の者もいる。髪は金色や赤茶色しており、長さは肩ほどもあったり結って肩から垂らしている。
各々が鍬の先が付いた棒や棘のある鋼の玉を持つ者、両刃の剣を持つ者、弓を持つ者など様々である。
一方、村人達は、鍬や鋤が精一杯である。かろうじて刃先は鉄で鍛えてある。
鉄舟は自前の一騎の刀、猿蔵、雉丸、犬千代は流浪者の佩刀を拾ったものを所持している。
鉄舟の作戦で一対一は避け、一人に対して三人であたる事にしているが、如何せん、相手の人数が多いのである。
なるべく相手を個別撃破していくしかない。
鉄舟が正面からオンリの一人に対峙した。オンリが剣をふりかぶり、鉄舟に襲いかからんとした、その時、背後の洞窟の上から村人が二人上からオンリの背後に襲いかかった。洞窟の上からだとオンリの高さも気にならない。
たちまちのうちに村人によって取り押さえられてしまった。
また鉄舟は世に知られた弓の名手である。背中に背負った矢籠から矢を引き抜くやいなや、シュッと弓を放った。
狙うはオンリの鎧の継ぎ目の急所や顔の防御の薄い目や口である。
たちまちのうちにオンリの二人〜三人を射抜いてしまった。
その度にパッ、パッと赤い血飛沫が天を染める。
一方の猿蔵は素早さと身軽さが持ち味である。
素早くオンリの懐に飛び込んでは、オンリも容易に猿蔵を仕留められない。鉄舟の教え通りにオンリの防御の薄い鎧の隙間を刀でついてゆく。
オンリも流石は幾千の戦いを切り抜けただけあり、防御も堅い。なかなか急所を狙わせない。
雉丸の持ち味は、その卓越した視力である。遠くから押し寄せるオンリに対して素早く腰に用意した袋から石を取り出しては相手に目がけて投げつける。
所詮は小石なので致命傷にはならないが相手をひるませるくらいは出来る。その間に他の村人二人で左右から斬りつけるのである。
足元に縄を張り、オンリの足を絡めとる村人もいる。
村人の武器の無いものは、舟の櫓の先を削り尖らせた物を武器としている。
村人達を苦しませたのは、オンリ達が鋼で作られた盾で防御している事である。これでは中々攻撃が致命傷を与えるには難しい。
オンリは攻撃にも防御にも最強であった。
道文も鉄舟に引けを取らぬ弓の名手であった。
オンリの首領と対峙している最中、横から入ってきたオンリの喉元に素早く背中から取り出した矢を弓に番えて矢を射て、至近距離でオンリの一人を射倒してしまった。電光石火の早業である。
一方、戦に不慣れな嘉蔵は、オンリの一人の力任せの攻撃に押されていた。棘のついたオンリの棍棒により、嘉蔵の櫓の槍はへし折られてしまった。嘉蔵は、その衝撃で吹っ飛ばされ地面に尻もちをついた。すかさずオンリはとどめを刺さんと棍棒を振りかぶった。嘉蔵の頭上に棍棒が振り下ろされ頭蓋が叩きつぶされかかった刹那、オンリは「ウギャッ!!」と叫び顔をのけぞらせた。
嘉蔵がすかさず懐にある袋からオンリの目を目がけて白い粉を振りかけたのである。
これは鉄舟が考え出した瞬時の目くらましである。
朱鼻島はカルスト台地で出来ている為に大量の石灰がある。
鉄舟は、その石灰を武器に使う事を考えた。
オンリの目に入った石灰は涙に混じり、水分を吸収して熱を生じ火傷を負うがごとく痛みを生じさせた。
オンリがひるんだ空きをついて嘉蔵は、オンリの足を力いっぱい蹴飛ばした。オンリは背後に尻もちをついた。
そこへ、矢平次が馬乗りになり殴りかかった。
矢平次は怪力である。オンリは数発殴られて気を失った。
猿蔵のもう一つの任務は、沙耶の居場所を見つけ救い出す事であった。オンリの隙間を素早く通り抜け、洞窟の中へ入っていった。
第19章
道文とオンリの首長が大詰めを迎えていた。
両者とも肩で息をしている。
道文は右肩に切り傷を受け、血が衣を赤く染めている。
一方、オンリの首長も左脇腹に創傷を受け、血が滴り落ちていた。
猿蔵が沙耶の姿を見つけ、洞窟の外へ共に出てきた時は、その頃である。
「道文様…。」沙耶は二人の様子を見つけた。
沙耶はオンリの息子が謎の熱を出したのを長い間看病していた事を猿蔵は沙耶から聞いた。
この島ではよく知られた風土病であったが、未知の島に辿り着いたオンリは罹患してしまったのである。
オンリ達が沙耶をさらった理由はそこにあったのであった。
沙耶は付きっきりで看病していた。
第21章
道文の刀はオンリの首長の心の臓を狙い突いた。
が、刀が突いたのは、横から飛び出したオンリの首長の息子の喉であった。
剣は頸動脈を切り裂き血しぶきが上がった。
道文は相手を間違えた事に気づき刀を引いたが最早遅かった。
オンリの首長は我が子の喉元に手を当て血を止めようとしたが既に血はオンリの息子の口からも溢れ言葉を発する事も出来ない。顔はみるみる青ざめていった。
「何という事だ…。」道文は膝を地に着いた。
第22章 恩讐の彼方に
オンリと菅原道文、猿島の村人達の戦いは終わった。
オンリの首長はただ一人の息子を失い、戦意を失った。
オンリの首長を殺めた引き換えに、己の命を差出した道文をオンリの首長は許し、お互いの戦いに終止符を打ったのである。
オンリと村人の亡骸は手厚く葬られた。
オンリ達は、仲間の亡骸を舟に載せ、オンリ達が大きく掘った海岸沿いの穴へ埋めて葬った。彼らが信じる神の下に十字の印が立てられた。
村人達の亡骸は、道文と鉄舟により他の村人の協力により朱鼻島の高台に葬られた。
何故かオンリの首長の息子も高台に葬られた。
オンリの首長の意思により、天へ一番近い高台が選ばれたのである。
オンリ達は、己達の来た海へと帰っていった。
手負いのオンリや猿島に残る事を選んだオンリ達はそのまま余生をこの国で過ごした。
猿島の人々とオンリは言葉は違えど通じる心が芽生えたのである。温暖な気候は、残ったオンリ達を慰め、心を開かせた。
この島に後世に伝わる複雑な文様や彼らが残した哀しい旋律を伴う歌は島の歌へと形を変えて残る事になる。
菅原道文は、余生を自らが殺めたオンリの首長の息子を始め、オンリや村人達の霊の為に経を唱えながら過ごした。
その傍らには、共に経を唱える沙耶の姿があったという。
道文は60を過ぎて亡くなった。
沙耶は最後まで独り身で94歳で長い人生を終えた。
生涯、彼女が面倒を診たオンリの首長の子を始めオンリや村人の亡骸を弔い続けたという。
後の世に知られた、中央政権が菅原道文の亡霊だ、祟りだと騒いだ事はあくまでも遠く昔の作り話であった。
この時期の後に、中央の国で広まった数々の鬼や天狗の伝説も、この島の「オンリ」の話が音を変えて伝わり「オニ」になったとも云われている。またオンリの浄土を表す言葉の「Tempu」の音読みが形を変えて鬼の一種の「テング」「天狗」となったともいう。その者は翼を纏い空を飛べると噂された。
朱鼻島は、「オンリの島」と呼ばれ、後に「鬼ヶ島」と伝わる。
番外編〜オンリの船出〜
彼らの行く先は遥か東の地である。
古代には繋がりがあったとされる地へ彼らは向かっている。
20隻の船団が激しい波濤を砕き向かう。
彼らは海の民である。その力は周辺の国々を震え上がらせ、その高い文明は周りを畏怖してきた。
新たな未開の野蛮な地へ新たな文明を築くのだ。