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もう生きたくないですもう生きたくないです

母親からの差し入れが入れられていたビニール袋が二つ、準備は万端だ。
二本繋げたビニール袋は、これまでの練習を顕すように細く長く扱いやすい形状になって、まっすぐな無数の皺をこちらにみせていた。

ベッドの手すりは輪っかになっている。
足元のレバーを回すと地面からの高さは1mにいくかどうかというところだ。

体が、震えてきた。

すごく寒い。布団を敷かずに寝てたみたいだ。
側には、錠剤の入った未開封の瓶が3つ転がっていた。
ハンガーからパーカーを取り外しながら、この寒さに似た感覚を思い出す。

死ぬ前は、いつも寒い。
そうだ。それに恐怖と名付けたがる人もいるが、男は違うと信じている。
足がすくむ、などではなく、寒いのだ。どれだけ着込んでも、部屋が適温でも、ガクガクと震えが止まらなくなるのだ。

記憶の再深層で出会うのは、いつもあの日の事。

男は恵まれていた。学生でありながら8階のワンルームに一人暮らしをさせてもらう程度には。
同時に、「恵まれていない」と愚痴をこぼすことは彼には出来なかった。
そして、「そんな悩みすら贅沢だ」と悩む権利すら与えられていなかった。
あの日、男の友人らは部屋に招かれて、いつものように不幸自慢と酒を口にした。
彼は他人の飲酒には口を出さないが、彼自身は純潔の身体を守りたかった。
前日、いや普段から飲まない主張はしてきたにも関わらず、その日の酔っぱらい共は質が悪かった。

友人らが帰った深夜、ベトベトになったフローリングに散らばったピザや酒の残骸を片しながら、彼は言い聞かせるように呟いていた。
「俺は絶対飲んでない俺は絶対飲んでない」
「今日は楽しかったナァ」

誰にでも通したいこだわりというものはある。
彼にとって未成年飲酒することは、処女を喪失することに等しかった。
彼にとってこだわりを捨てるということは、自身を投げ捨てることに等しかった。

マンションは8階建てである。
屋上への扉は、彼にとっては容易に越えられるものだった。
風が、強い。コートを着て正解だったと感じた。
心が病んでから幾度ここに足を運んだだろうか。
この屋上へ来て、下を眺める、それだけで彼には充分な自傷行為だった。
痛いのは嫌だ、即死したい、だからこの方法を選んでいるのだ。

男は身を乗り出して下を見下ろす。
住宅街の中にあるこのマンションの近くには、深夜はあまり車は通らない。
通行人を見つけた彼はサッと身を隠した。そして思った。
「この高さじゃ死ねないかもしれない」体が、震えた。
しかし男は確信していた。今日やるしかないのだ。今。気持ちが薄れる前に。
今日は特別な日だ──

──体感ではすごく長く感じられた。
7階と3階は、まだ灯りがついていた。
ビニール袋が、電柱にひっかかっていた。
通行人は、もういなかった。
男は、もう考えられなかった。



目の横に涙痕が残っていて乾燥していた。
「泣いたのなんかいつぶりだろう」男は呟いて昨夜の興奮を思い返す。
昨夜は確か、今日こそ特別な日にしてやらねば、そう思いつつも一歩が出なかったのだ。
確か、足がすごく震えていた。そうして葛藤している内に、身体全体がガクガクと大きく震え出したから仕方なく帰ったんだ。
インターホンが鳴ると同時に、コートを着たままだと気付く。
そのまま玄関を開けると、業者が二人立っていた。
「すみません、昨晩から電柱にビニール袋がひっかかっていたようでして停電させてもらってます、ご迷惑をお掛けします。」


あの日から、何をやっても死ねなくなった。


「また泣いてる」
病院のベッドで震えながら仰向けになっている男、目の横についた涙痕をこする。目やにがたまっている。ここのところよく気付けば寝ながら泣いている。何も悲しいことはないのに。
しかし男は涙の理由を察していた。枕元にクシャクシャになったビニール袋が二本置いてあるのを見て呟く。


「また、死んだのか。」


違うな、


「また、死ねなかったのか。」

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リズムの書き遺し
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