悔しがる
今年、何回悔しがることができただろうか。
2021年がもう終わろうとしているのに、まだ年末感を感じていないのは、まだまだやり残したことがあるからなんだと思う。
・転職する
・コンペに応募する
今年思い描いてた挑戦は、トライこそすれど、今思えば本気度が足りなかったのか、全て中途半端に終わった。
「転職」は転職サービスにいくつか登録して、自己分析をしてやりたいことを考えに考え、応募する企業を選びに選び、応募して、落ちた。
今年35歳。今の会社での待遇に不満があるとか、人間関係で拗れてるとか、そういうことはない。上司にも評価してもらってると思うし、ある程度は自分の裁量で仕事をコントロールすることができている。でも、社会人思春期(6年ぶり2回目)なのか、「このままでいいのか」という想いが日に日に強くなっている。
今の年齢を考えたとき、これからの5年はその先の人生を大きく左右するものだと思っている。このままこの会社で今の仕事を続けるなら、安定したキャリア形成が見えているし、順調な人生なんだろうなと思う。でも違う。
建築が好きで、場づくりが好きで、空間が好きで、ものづくりが好きで。
モノができあがっていく過程が好きで、ドキドキする。今でも変わらないし、これからもずっと変わらないんだろうと思う。
それは建築の設計をしたいとか、ランドスケープデザインとか、職人とかをやりたいというわけではなくて、その過程に携わりたいという気持ち。自分で作ることは好きだし、今でも無性に何か作りたくなることがあるけど、仕事としてそれができるとは思ってない。でも好きだからこそ、携わるべきなんじゃないかと思う。
転職を考えたとき、今やっていることと同じ内容とか延長線上にある仕事であれば、わざわざ会社を変える必要は無いし、今の会社でアクションを起こせば何かしらできる。でもものづくりに携わるためには、場所を変えなくちゃならない。
そんなことを考えながら転職活動をしていたけれど、この年齢でしかも未経験となれば、応募できるところは限られていて、ほんの一握りしかなかった。しかも勤務地にまで縛りをかけたらほとんどない。それでも「本当にその会社に行きたいか?」を考え、OKと思たところだけに応募した。
誰もが知ってる大企業だったけど、今までの経験がこんなふうに活きるんじゃないか、出身業界的にはニーズのある分野なんじゃないか、もし受かったら上司に何て報告しようかな、とか取らぬ狸のとはよく言ったもので、結局は書類で落ちたり適性検査で落ちたりした。
心を込めて書いたラブレターがNGくらったみたいなものなので、まぁ凹む。◯股交際を同時進行できるような器用さは持ってないし、受かったら行くつもりで応募する企業を選んでいるから、たくさん応募できるわけではない。だから応募したい企業に出会えたときはラブレター出す前から嬉しいし、すぐ色んなことを妄想するけど、NGが続くとどんどん気持ちは落ちてくる。面接はいい雰囲気だったのになぁ。
色んなところで見たり聞いたりする色んなサクセスストーリーは、きっと自分とは無縁の世界のお話だったんだ。大した特殊能力も技術も資格もない自分が新しい世界にチャレンジすることなど無謀of無謀で、今の安定した場所でぬくぬくと暮らしておけばいいんだ。
試験に落ちて次の企業が見つからない間じゅうずっと、そう思ってた。今も思ってる。
でも今の仕事をこのまま続けた数年後の自分を想像したら怖くなって、はっと我に返って「いかん!」と踏ん張ってる。
きっと良い出会いがある。そのための助走期間なんだ。今感じてるモヤモヤもストレスも全部自分を強くする。そう思って毎日を生きてる。
とはいえ全く進まないのはやっぱりきつい・・・。
その悶々とした感情をエネルギーに変えて、何か作りたいと思い、コンペにも挑戦した。応募要項を読み込んで、思いつくことをワードに書きまくって、一日スタバをはしごして、参考資料も買ったりしたけど、ちゃんと案を完成させて応募できたのは一つもなかった。
新規事業がやりたいとか転職して新しいことに挑戦したいとか言ってる割には何か一つも成し遂げていないのはさすがに良くないと思って挑戦したけど、結局だめだった。そこでまた「結局自分は・・・」って思って、自業自得で凹んでた。いつものルーティーン。
思い出してたらすごく悔しくなった。冒頭で「本気度が足りなかったのか」って書いたけど、これだけ悔しいってことは、ちゃんと本気で取り組んでた証なんだろうか。
もうこんな思いはしたくない。今までの経験はその全てが自分を強くするためのものだと信じて、絶対に形にする。結果を出す。
一年後の2022年の今頃、この日記をどんな思いで読み返しているだろうか。何かに追いかけられる夢はもう見なくなってるかな?