進路指導のこと ~指定校はあくまで奥の手に~
今回は高校卒業後の進路指導について語っていきます。就職するか専門学校に行くかはたまた大学に行くかの進路指導ですね。
まず私が一番言いたいことを。
保護者は自分の子どもに早いうちから指定校推薦を薦めるべきではない。
これ。これが言いたいだけです。ですが、そもそも昨今の大学入試制度がどうなってるのかわからないという方のため、その概観から説明してまいります。
もはや大学などラクに入れる(※一部を除く)
まず大学に入るには筆記試験で学力を示すことが鉄板だとお考えの方が多いと思います。実際、その通りですし、とくに昔はそうでした。
1990年代前半の私大バブル期がピークだと思いますが、この時期は大学に入ることが非常に難しかったため、浪人は当たり前、予備校業界も大盛況でした。高校3年生を受験生と呼んで夜中までハチマキを巻いて勉強しているといったステレオタイプなイメージも浸透しました。
ところがもはやそういう時代ではありません。大学に入ること自体は難しくなくなりました。
一部の難関大学に入ることは相変わらず難しいんですが、大学の数が増えたことと子どもの数が減ったことから、大学なんて選ばなければ誰でも入れるようになってしまったのです(そして今の保護者はちょうど私大バブル期に受験生だった方=団塊ジュニアが多いため、自身の受験経験とのズレの修正が必要です。)
そうすると、筆記試験の難易度が下がったんだと推測されるでしょう。ある程度はその通りなんですが、実は少し違います。
筆記試験で入学する方法を一般選抜といいますが、そうではない選抜方法が増えているんです。高校からの推薦による学校推薦型選抜や、自分自身を推薦する総合型選抜(かつてAOと呼ばれていたもの)のことです。
これら推薦入試を突破して大学進学する生徒が増えていて、難関大学でなければ推薦で入れる時代になっています。
さっきもいったように元凶は少子化です。
話は逸れますが、少子化という厳しい変化を真正面から受け止めることってわりと難しいですよね。よく「今の東大生はバカばかりだ」とおっしゃる大人を見かけます。1年に200万人が生まれていた世代と100万人が生まれていた世代、その上澄みである3000人を比較してこのような発言をされる方こそバカだと思います。
そりゃそうだろ。人口が減ったんだししょうがないじゃん。別にトップ層を選抜することが大学の目的じゃないんだから、入学者の学力アベレージが下がることは織り込み済みでがんばれよと思います。
評定平均をとりたがる高校生
ともあれ昨今、推薦で大学に入学する高校生の比率が増えています。
学校推薦型選抜や総合型選抜は年内(9月~12月)に行われるため、これらをまとめて年内入試と呼称します。この年内入試で入学する割合が大学入学者全体のちょうど半数を超えたことが昨今ニュースになりました。
つまり現在の大学入試は、筆記試験を突破する高校生よりも推薦で入る高校生の方が多数派になったわけですね。
学校推薦型と総合型でいうと、どっちかというと影響が大きいのは学校推薦型の方です。総合型選抜もたくさん語りたいところがあるんですが、今回はひとまず学校推薦型のことだけ語ります。
高校生にとっての内申点のようなものを評定平均といいますが、学校推薦型の場合はこの評定平均が最も重視されます。高校入試で内申点が必要なのと一緒ですね。
評定平均とは、その生徒が3年間で履修した科目すべての評定の総和を科目数で割ったもののことです。高校になると国語数学理科社会といったように決まった数の教科を履修しているわけではなく、高校ごとに違った数の科目を履修していますから、その差をなくすために科目数で割って平均をとるという操作をしているわけですね。
学校推薦型の中には公募推薦と指定校推薦というのがあるんですが、特に話題なのが指定校推薦です。大学側が特定の高校に決まった人数の生徒を推薦してくださいと「お願い」する制度です。ほとんどの場合、文学部は2名、法学部は1名といったように上限があります。
高校側はいわれた通りその人数の生徒を送る必要はありませんが、大学の「お願い」を無視し続けているとその指定校枠そのものが無くなってしまいますので、ある程度は指定校枠を充足させることを望んでいます。
この指定校推薦という制度、驚くべきことにほとんど落ちません。
大学と高校の信頼関係で成り立っている制度なので、もし落としたらその関係にヒビが入るからです。指定校推薦で不合格になることもあるんですが、その場合は大学側も高校側に詳しく事情を説明してくれます。つまり、落とすのが失礼にあたるくらいの鉄板な入試です。
高校生や保護者からすると、この「ほとんど落ちない」という部分が甘い甘い蜜の味に感じるようです。ですから、多くの高校生や保護者が早くから指定校で大学に入ることを目論みます。「あんた高校入ったら評定平均あげて指定校で大学行きなさいよ」と子どもに訴える親の姿が目に浮かびます。
これが現代の大学入試です。
多くの高校生と保護者が、自身の第一志望合格に向けて一般選抜や総合型選抜で受験するという冒険を恐れます。その代わり、自身の第一志望であるかどうかはともかく、安心して合格できるところがあるならそこに行きたいと考えます。(ここに問題があると思うんですが、そのことは後述します。)
そのため、高校在学中は評定平均を上げることを考えます。つまり、学校を休むことなく通い続けて、定期試験を一生懸命勉強して高い点数を取り、提出物を期限に間に合うように出して、高い評定平均を維持することを考えます。全国的にそのようなモチベーションで高校生活を送っている生徒が増えています。傍から見れば品行方正です。
ところが、私はこの状況をあまり良いことだと感じないのです。
進路指導ってそもそも何?
そう感じてしまうのはなぜでしょうか。進路指導が成り立っていないように思うからです。
そもそも進路指導とは、生徒が自ら進みたい道について調べて、選び、努力して実現させる、その過程に適切なサポートを加えることです。指定校推薦の利用を早くから薦めることの問題点は、このうち調べて、選ぶという行程が欠けてしまうからです。
指定校推薦をねらっている生徒は、自分が何をやりたいのか考えて、世の中にある進路先を片っ端から調べて、こういうのがおもしろそうと思って希望進路を選んでいるんじゃないんですね。偶然、いま通っている学校に指定校の枠が存在するところを調べて、その中からマシなものを選んでいるだけです。
昼ごはん食べるのならそれでもいいです。何食べたいかよく考えもせずファミレスに入って、メニューみて「おろしハンバーグでいいかあ」とかって注文するので構わないです。
ですが、進路はダメでしょう。自分の人生設計そのものなんだから。何がやりたいのか、どういうところでどういう学問が学びたいのかから出発しないと。
もちろん、結果的に指定校を使うこと自体はいいんです。努力するうちに第一志望には行きたくても行けないなあとわかってきて、行けるところからマシなのを探すみたいな選択はままあるでしょう。
結婚でさえそうかもしれません。すごい美男美女と結婚したかったけど、見た目普通なこの人と付き合っているうちに別にこのままでもいいかなあと思ってきた、みたいに結婚する人も少なくないでしょう。
だから、幅広い可能性から自分の進みたいところを選んだけど、努力をするうちにそこに届かなそうなことがわかってきて、あまりリスクを負いたくないからと最終的に安全な道(指定校)に流れるのはいいんです。でも、最初から指定校を前提として高校生活を送るのは違うと思いませんか。人生設計ってそういうもんじゃないよね、と。
極論をいえば、指定校推薦は進路指導の否定です。
実際に志望していますか?
これって理想論の話じゃなくて、実態としてそうなんです。
私の見る限り、指定校で入学する高校生の多くは、本当にその大学のその学部学科を志望しているかが怪しいです。行けるから受けるのではなくて、行きたいから受けるのだと確信を持っていえない生徒が多いです。
たとえば法律に関心があり弁護士になりたいといっていた生徒が、残念ながら、ある大学が指定校で出している法学部の条件、評定平均値4.0以上というものに届かなかったとします。そのときどうすると思いますか?
普通なら、別の大学の法学部に入ろうとするはずだとか、総合型選抜や一般選抜でその大学の法学部を目指すはずだと思いますよね。ところが、法学部に進むには評定平均が足りないけども経済学部だったら足りているからそっちで出しますといわれることが多いんです。
唖然としますよ。
さっきまで法律に関心あるっていっていたのになんでって。他の方法で法学部に入ればいいのに、そういう選択をせずすぐ別の学部を選ぶのって。
でも、思考回路がそうなっちゃっているんです。
自分の進路、人生設計という極めて重要なテーマに対して、「何をしたいどうなりたい」ということよりも「選択肢からマシなもの選ぶ」ことを優先させる。それが正しいと刷り込まれてしまっているんです。よくいえばリスクヘッジですが、そういう問題じゃない気がしませんか。このような選択を卒業後もずっと続けていくとしたら、その子の人生は幸せになれるんでしょうか。
保護者の意向だと思うんだよなあ
この問題は、教師として声高に主張したことがありません。
なぜなら、保護者こそがそのような消極的な選択を望んでいるからです。このことを問題視すると、最終的には保護者と全面戦争することになっちゃうから避けているんですね。
ですが、この件は保護者が大きな原因だと思います。やっぱり。
実際、中学生の段階で「指定校推薦で大学に」なんて考えている子どもはほとんどいません。保護者だけです。保護者がそれを望んでいるんです。そして数年かけて刷り込まれていき、高校3年生になるとそのような消極的な選択をするように育ってしまう。リスクを恐れる保護者の気持ち(よくいえば親心)が、子どもに伝染してしまっているんです。
でも、それが本当に正しいのか。それが我が子の将来にどのような影響を与えるのかはよく考えてもらいたいと思います。その発想を刷り込んで、変化が激しい世の中に対応できるか、努力して困難を乗り越えるようなバイタリティが身につくかどうかですね。
なんだか子どもが中心にいないような
もっというと、指定校って子どもが軽視されている進路選択のような気もするんです。
少子化という事情により定員を確保したい大学が、高校に「生徒を送ってください」と頼む。その依頼を受けて、高校は生徒を選んで送る。めっちゃ悪くいえば人身売買っぽくないですか。進路というイベントにおいて、主役であるはずの子どもが中心にいない。子ども=受験生の意志が中心にないような気がします。
これは法的にどうこうという話ではなく、あくまで印象です。だけれど「18才になったら自分の意志で何かを決定し、それを実現させるのが大事なんだ」って教えてきた身としては、なんだか肩透かし食らったような気持ちになるんですよね。
大学受験って個人的な思い出としても自立イベントなのに、指定校推薦はなんだかパターナリズムに感じる。親と高校と大学が結託して本人の進路を決めてあげる的な。
そういう意味でも、指定校推薦での大学合格は、手段の一つとしては正しくても真っ先に目指すのは間違っていると思います。
世の中の事情を踏まえてうまく立ち回るなら
こう書くと、「じゃあおまえはどうするのがおススメなんだよ」っていわれますよね。
世の中の事情から、自分が得をするようにうまく立ち回るのは大事なことです。このご時世で、私ならどうするでしょうか。
圧倒的な元凶としての少子化、それに逆行する大学の乱立と定員増。こうした基礎的な条件から、大学入試という冒険を過度に恐れる必要はないと思います。
一般選抜であれ総合型選抜であれ、それほど不利な勝負だと思わないので、戦えばいいんじゃないでしょうか。昔の人はもっと不利な条件で入試を戦ったわけですから。
あなた自身のリスクを恐れる気持ちより、まずは世の中全体を冷静に見渡しましょう。指定校制度が広まった最大の要因は、大学側のリスクヘッジです。昨今の入試においては、受験生より大学の方がよほどリスクを負っている、つまり弱い立場にあります。
大学は少子化の中にあって、何とかして定員を確保したい、少子化になっても潰れないようにしたい。これが大学側の思考です。その深刻さたるや察するに余りある。
そのため、青田買いといわれようと、指定校推薦を乱発する形で入学定員の半数を年内に確保してしまうわけです。この状況を冷静にみたら、どうです。あなたのとるべき最適な行動は、流れに乗っかって指定校で進学することでしょうか。
就職の世界では、売り手市場と買い手市場という言葉がありますが、それでいうならまさに今は超絶売り手市場です。受験生=高校生が有利なんですから、安易に入れるところに入るのよりも、より理想を追い求める選択をしてもいいのではないでしょうか。
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