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AIによる創造化社会と教育--情報消費から創造へのシフト

情報があふれる現代社会では、インターネットとスマートデバイスの普及により、私たちの学び方や思考のスタイルが大きく変化しています。特に、AI技術の進化は、情報の取得と活用を劇的に効率化しました。ごく一部の限られた人たちだけが享受していたAIの恩恵を、ある日突然、誰もが受けられるようになりました。これを「革命」と呼ぶ人もいますが、これは「AIの民主化」と捉えることもできます。
しかし、その一方で、AIのようなテクノロジーに頼るあまり、私たち自身の批判的思考や創造力が損なわれているのではないかという懸念も広がっています。

ここで、私はこの新しい時代を「創造化社会」と呼ぶことにします。
この社会では、単なる情報消費者ではなく、情報をもとに新しい価値を創造する力がますます求められます。
しかし、簡単に手に入る情報の洪水に流され、私たちはいつの間にか主体的な探求心を失いがちです。果たして、創造化社会で真に必要とされる教育とは何でしょうか?私たちが持つべき批判的思考とはどのように育まれるべきなのでしょうか?

本記事では、「創造化社会」という概念を基に、AIとテクノロジーが私たちの学びに与える影響を探りつつ、これからの教育に求められる新たな視点と、私たちが身につけるべき力について考察します。情報消費から創造へのシフトが求められる今、どのようにして主体性を持ち、豊かな思考を育むべきなのか、一緒に考えていきましょう。

情報化社会から創造化社会へ

21世紀に入り、私たちの生活はインターネットとスマートデバイスによって大きく変化しました。情報は瞬時にアクセス可能となり、誰もが容易に情報を発信・消費できる時代です。これにより、ビジネスや教育の領域でも効率化が進み、知識やスキルの獲得が以前よりも容易になりました。しかし、この利便性の裏側には、受動的な情報摂取が増え、主体的な探求や深い思考が薄れるリスクも存在します。ここではこれを「情報化社会」と定義しましょう。

「情報化社会」では、膨大な量のデータやコンテンツが次々と消費されますが、情報の本質やその背後にある洞察にまで目を向ける機会は減少しています。Youtubeなどでも根拠の薄い美容法の紹介が人気だったり、「心理学的には」「科学的には」などと恋愛やビジネスのハウツーを紹介しているのにも関わらず、そのリソースについては触れてなかったりしているのを見ると、情報発信がメディアから個人に移り変わっても、結局は発信者の質次第だと感じます。

インターネットとSNSの発展によって、情報が民主化され、より多くの人が情報にアクセスすることが可能になりました。もともとは、論文や研究成果を世界中の研究者と共有し、さらに科学や社会を発展させることを目的として誕生したWWW(World Wide Web)でしたが、バブルによって商業利用が進むと、企業は自社の経営合理性・経済性を優先するために、いかに自社サービスに人々を依存させるかばかりに力を注いでいったわけです。マーケティングと呼べば響きはかっこいいですが、多くの場合、そこには企業が競争で勝つための視点しか含まれていません。
InstagramやX(旧Twitter)、TikTokなどで、今や当たり前になった無限スクロール機能(下にスクロールすれば、永遠にコンテンツが表示され続ける仕組み)によって、人々は、ベッドに横たわり意思がなくてもコンテンツ消費に依存するようになっています。

SNSで、新しい繋がりや情報を取得できることが便利ですが、それに乗り切れない人は疎外感や劣等感でつらくなります。プラスマイナスを測って足し合わせると、SNSがユーザー全体の幸福度に与える影響はマイナスのようです。人類の幸せのためには、SNSは存在しない方がもしかしたらいいのかもしれません(参考文献)。

このようにスマートデバイスの通知やSNSのアルゴリズムが、私たちの注意を細切れにしたり、幸福度を下げたり、深い思考を妨げる一因となっています。結果として、人々は簡単に手に入る情報に依存し、自らの思考を形成する機会を失いがちです。

この傾向は、教育やキャリア形成の現場でも顕著に表れています。AI技術が進化する中で、情報は自動生成され、知識の表面的な取得が目的化する現象が拡大しています。

ここで私は、次の社会を「創造化社会」と呼びます。
「創造化社会」では、単に情報を消費するだけではなく、それをもとに新しい価値を創り出す能力が問われます。情報をただ受け取る受動的な態度ではなく、情報を精査し、自ら問いを立て、独自の視点で価値を創出する姿勢が重要になるのです。つまり、誰かの真似をするだけでは飽き足らず、自分なりの工夫をして、「人のやらないことをやろうとする能力」です。
この「創造化社会」への移行は、単に技術的な進歩だけでなく、私たち自身の思考様式と教育の在り方の根本的な見直しを迫ります。

たとえば、従来の教育では、知識の暗記やテストの得点が重視されがちだったり、社会に出ても、数値化しやすい技能ばかりに重みが置かれています。「普通の人」や「普通のエリート」に求められるようなことは、AIならほぼ全てできます。個性のない仕事は、今後は全てAIが担っていくでしょう。テストの成績が高いという能力は、AIの持つ本質的な能力に勝てません。
そのため、「創造化社会」では、複雑な問題に対して質的にも量的にも新しい解決策を生み出す力が求められます。
ここで私が指す新しい解決策というのは、既存のアイデアや、フレームワーク化したようなものを活用するやり方ではなく、全く新しい可能性を含んだ、もっと独特なものを指します。これには、問いを立てる力や批判的思考、そして創造的発想が鍵を握るでしょう。これらを駆使して「理解」と「分解」そして「創造」という作業が求められます。

ビジネスの世界でも、単にデータを解析し、効率的に活用するだけでは、競争優位性を保つことが難しくなってくるでしょう。膨大な情報に埋もれることなく、その中から価値ある洞察を見出し、創造的な解決策を提供できる企業や個人が、新しい時代のリーダーとなるのでしょう。

「創造化社会」へのシフトが進む中で、私たちが取り組むべき課題は明確です。それは、情報を単に消費するのではなく、そこから新たな問いを生み出し、新しい視点を含む創造性を育む力をいかにして磨いていくかということです。
この視点を基に、次章では「創造化社会」における教育とテクノロジーの役割についてさらに掘り下げていきます。

第1章:創造化社会とAIの進化がもたらす変化

「創造化社会」において、AI(人工知能)の進化がどのように社会を変革しているかを理解することは重要です。21世紀の初頭において、アルビン・トフラーが提唱した「第三の波」という概念が示すように、情報社会への移行は生産と消費のあり方に革命をもたらしました。
農耕革命が起きるまで、知能が高いことはほとんど役に立ちませんでした。無価値と思われていたかもしれません。そして、今後はAIによって人間の知性は無価値化されるかもしれません。

筆者作成

そうなってくると、現在私たちが目にしているのは、その延長線上にある「創造化社会」、つまり新たに創造的なアイデアと価値を生み出すことが中心となる時代になるのではないかと思います。

AI技術の発展は、情報処理と創造のプロセスを大きく変えました。従来、人間が時間をかけて行っていたデータ分析やアイデア生成が、AIのサポートによって瞬時に行えるようになりました。たとえば、生成AIの登場により、テキスト、画像、音声、動画といったコンテンツが簡単に自動生成される時代が到来しています。これにより、アイデアの大量生産が可能となり、ビジネスのスピードが加速しています。コスパ(コストパフォーマンス) -> タイパ(タイムパフォーマンス)ときて、今度は、アイデアパフォーマンス(アイパ)とか言われるのでしょうか?

筆者作成

しかし、こうした技術の進展にはリスクも伴います。AIが生成するコンテンツの信頼性や倫理性についての懸念が広がっています。フェイクニュースやフェイクコンテンツの増加は、社会の分断や混乱を引き起こす要因となりつつあります。AIが生み出す情報の中には、信憑性が低いものや、偏った視点に基づいたものが含まれるため、受け手には情報を精査する批判的思考力がこれまで以上に求められます。
これはAIの登場以前から存在するインターネットに溢れるフェイク情報の問題とあまり変わりはないですが、AIは情報をもっともらしく発信してしまうという特徴があります。

また、AIの進化によってアイデア生産が効率化される一方で、創造性が安易に自動化されることへの危機感も存在します。
いくつかの研究では、生成AIツールの使用が学生の批判的思考能力に与える影響について報告されています。ある研究では、生成AIを活用した場合、批判的思考が向上したと感じる学生がいる一方で、その影響は学習プロセスの取り入れ方によって異なるとされています。例えば、AIツールを活用した反省的な課題が組み込まれたコースでは、学生がAIの利点や倫理的な課題を評価することで、批判的思考が深まることが確認されました​ (MDPI)​ (Emerald)。
一方で、生成AIツールが創造力を高め、個別学習を支援する一方で、AI生成コンテンツへの依存が進むことで、独立した批判的思考力が弱まる可能性があることも指摘されています​ (SpringerOpen)​ (GBEN)。

このような現象が示唆するのは、「創造化社会」における人材育成の難しさです。AIが提供する利便性と、独自の思考力や創造力の育成とのバランスをどのように取るかが重要な課題となります。
ビジネスにおいても、AIによって自動生成されたアイデアをそのまま活用するだけでは、競争優位性は保てません。むしろ、AIを補完的に活用しつつ、その人ならではの独創的な視点や深い洞察を加えることが、差別化のポイントとなるでしょう。

さらに、AIは私たちの生活や仕事において、より包括的な役割を担うようになっています。これまで専門家の知見に依存していた領域でも、AIが新たなインサイトを提供するケースが増えています。医療、金融、教育といった領域で、AIはデータを解析し、従来の人間の判断を補強するだけでなく、新たなアプローチを提案する能力を持つようになってきました。この流れは、情報の消費から創造へのシフトを後押しする一方で、私たちがどのようにAIと共存し、創造力を高めるかという課題を浮き彫りにしています。

「創造化社会」においては、単なる情報処理や効率化にとどまらず、AIと共に新しい価値を生み出す力が重要です。これを実現するためには、AIを盲目的に信頼するのではなく、それを活用しながらも、独自の問いを立て、深い思考を通じて新たな視点を見出す力が求められます。
この視点を基に、次章では「創造化社会」における教育の役割についてさらに掘り下げていきます。

第2章:教育における批判的思考と「問い」の力

「創造化社会」において求められる人材は、単に知識を習得するだけでなく、それを基に新たな価値を創造できる能力を持つことが重要です。その鍵となるのが、批判的思考と「問い」を立てる力です。クリティカルシンキングとリサーチクエスチョンとも呼ばれます。これらは情報をただ受動的に消費するだけでは身につかない、主体的かつ探究的な学びのプロセスから生まれます。

例えば、学術研究において、リサーチクエスチョン(研究課題)の質が結果の質を左右することはよく知られています。質の高い「問い」を立てる力こそが、問題解決の出発点であり、学びの深さを決定します。

教育においては、知識を外部から得るだけでなく、それを内省し、さらに外へと発信する往還プロセスが重要です。この「内化=>外化=>内化」のプロセスを忍耐強く繰り返す中で、学生は自らの考えを深め、批判的思考力を磨いていきます。テクノロジーの進化により、情報が簡単に手に入る環境が整うと、学びの過程が短絡化するリスクが生じます。だからこそここで重要なのが、「問い」を立てる力です。自分自身や他者に対して適切な問いを投げかけ、その答えを探るプロセスが、主体的な学びを促進します。
「問い」を立てるときに、「内化=>外化=>内化」のプロセスが重要なのは、それを繰り返すことによって、まだ答えが出ていない課題や、答えが出るのかもわからない課題にたどり着くことができるからです。「問い」を立ててた後、調べたりAIに聞いたりしてすぐに答えが得られるものは、価値が薄いです。だから、「内化=>外化=>内化」のプロセスを繰り返し、誰もまだやっていないこと、誰もまだ答えを出していないことに辿り着けば、それは一つ独自性の高い取り組みになるでしょう。少し調べたり議論した程度で、なにか知った気になったまま放置しないことが大切です。

さらに、教育者側がどのように「問い」をデザインするかも重要です。画一的な問いではなく、学生がこれまで考えたことのない新しい視点を提供する問いや課題の作成が、深い学びを引き出す鍵となります。学生が自発的に「問い」を生み出し、他者ときめ細かい議論しながら、より高度な批判的思考を育んでいきます。
その点で、答えが存在するかどうかわからない、答えが出るまでに時間とエネルギーがかかるような課題を学生に与えることは効果的かもしれません。これには、答えが出るのかどうかわからない課題に対して、思考を行ったり来たりし続けることができる忍耐力と探究心が必要なので、このような力を持つ人を育てる必要があるでしょう。
シェイクスピアは、ネガティブ・ケイパビリティ(消極的能力)を持っていたと言われています。これは、人が不確実さとか不可解さとか疑惑の中にあっても、事実や理由を求めてイライラすることが少しもなくていられる状態にあること指します。この能力を持っていたから、彼は歴史に名を残すような創造ができたのだと思います。

「創造化社会」における教育の役割は、情報を単に伝達することにとどまりません。むしろ、学生が自ら問いを立て、思考を深めるプロセスをいかにサポートするかが問われています。AIやデジタル教材を活用しつつも、その背後にある洞察力や批判的思考を鍛えることが、教育の新たな使命です。

また、問いを立てる力は、教育現場だけでなくビジネスにも直結します。ビジネスの世界では、従来の枠組みにとらわれない発想が求められる中、複雑な問題に対して新しい視点を提供できる人材が重宝されます。その基盤となるのが、論理的かつクリエイティブな「問い」を立てる力です。この力が、ビジネスにおけるイノベーションの源泉となるでしょう。

「創造化社会」では、単に知識を吸収するだけでなく、自ら問いを立て、それを追求する姿勢が、教育においてもビジネスにおいても不可欠です。
次章では、テクノロジーと教育の間に生じるジレンマについて掘り下げ、その解決策を探ります。

第3章:テクノロジーと教育のジレンマ

テクノロジーが過度に依存されると、人々は受動的な学びに陥りがちです。例えば、AIによって生成されたレポートをそのまま使用する学生が増えると、自らの手で情報を集め、分析し、考察するというプロセスが省略されます。これにより、教育が本来持つ「学ぶ喜び」や「発見する楽しさ」が薄れてしまうのです。
インターネットは広大なんて言われますが、インターネットには世界はなく、「世界の情報」があるだけです。そこで得た情報をどう生活に活かしていくかは、個人が考えなくてはいけません。

このジレンマを解消するためには、教育者や学習者が、テクノロジーをどう活用するかを再考する必要があります。AIを単なるツールとして利用するのではなく、それを「問いを立てる手助け」や「創造的発想を引き出すサポート役」として活用する視点が求められます。たとえば、AIを使って広範な情報を集めた後、その情報をもとに新たな問いを生み出し、独自の見解を形成するプロセスを重視することが必要です。

私は、AIと議論をする際、自分の考えについて痛烈に批判するようAIに促すことがよくあります。現在のところ、AIは利用者に寄り添ってくれますし、インターネットは自分に都合の良い情報をおすすめしてきます。その状態に慣れてしまうと、他人は自分と異なることを前提とした上での論理的な思考が育まれません。
社会や科学は、高度な相互批判によって発展してきました。しかし最近は、特に個人でできることが増え、自分の意見と合わない人間とは関わらず、居心地の良い人と場所にだけ固まって生きることも以前より難しくありません。そのような世界では、気を抜くと自分に都合の良い考えや情報ばかりを取り入れるようになってしまいます。だからこそ、いかに自分の視点と異なる意見に耳を傾けるかが重要です。

テクノロジーが教育にもたらすメリットを最大限に活かしながら、その弊害をどう克服するか。これが、今後の教育における大きな課題です。
「創造化社会」では、テクノロジーを上手に活用しつつも、人間が持つべき創造性や批判的思考をどのように育むかが鍵を握ります。次章では、この「創造化社会」において求められる新たな教育の形についてさらに掘り下げていきます。

第4章:創造化社会で求められる新たな教育の形

情報が簡単に手に入る時代において、単なる知識の習得では、創造的で独自の価値を生み出す力は養われません。「創造化社会」では、問題解決力や批判的思考に加え、未知の問いに挑戦し、新しい視点を生み出す創造的思考が求められます。この章では、そのために必要な教育の再設計について考察します。

1. 内外往還のプロセスと「問いを育む力」

創造的な学びの基盤は、知識を「内化」し、それを自らの視点で「外化」し、再び新たな視点で内化するプロセスにあります。この「内化=>外化=>内化」という往還のプロセス中で、重要なのは「問いを育む力」です。質の高い問いを立てることが、新しい発見や視点を引き出し、学びの深度を一層高めます。

従来の一方的な知識伝達型の教育ではなく、対話的な学びやピアラーニング(仲間からの学び)を活用したカリキュラム設計が、今後の教育には欠かせません。そしてこの対話的な学びはAIとの対話という意味でも実現が可能です。

2. ファシリテーターとしてのAIと教育者の役割

AIの進化により、教育者の役割も変化しています。これまでは、教育者は知識を伝える「伝達者」としての役割が中心でしたが、「創造化社会」では、教育者は「ファシリテーター」としての役割がより重要となります。
具体的には、学生が自らの問いを発見し、その探求をサポートするガイドとしての役割です。AIは、学生が問いを立てる際の情報源として機能し、広範なデータから新しい視点を提供するツールとして活用できます。しかし、AIが提示する情報はあくまで素材であり、その情報をどう解釈し、活用するかは教育者と学生の対話に委ねられます。

たとえば、AIが提供するデータや分析結果をもとに、学生が新たな問いを立て、それを検証するプロセスをサポートすることが考えられます。AIが主導するのではなく、あくまでAIは人間の創造的思考を補完し、深化させる役割を果たすべきです。教育者は、学生が迷いながらも自分自身の考えを形成していくプロセスを支援し、過度な正解探しに囚われない学びの場を提供することが求められます。

3. 哲学的思考とセンスを磨く教育

「創造化社会」では、合理性や効率性だけではなく、センスや哲学的思考がより重要視される時代に入っています。どのような分野でも独自の視点や洞察力が価値を生むのです。教育においても、ただ知識を詰め込むのではなく、学生が自分なりの価値観や美学を持ち、それを磨いていくプロセスが重要です。

具体的には、哲学的な問いを取り入れたカリキュラムや、アートやデザインを通じて「センス」を育む機会を増やすことが挙げられます。たとえば、「なぜ存在するのか」といった抽象的な問いや、「美とは何か」といったテーマを通じて、学生が深く考える場を提供することが考えられます。こうした教育は、単なる技術や知識の習得を超えた、創造的な思考を育む土壌となります。

少し今述べた哲学的思考とはズレる話になりますが、あらゆる物事が効率化・合理化、そして画一化されていく一方で、世界中の人々と自分を比較し、「じゃあ自分にはなにができるのだ」「自分の強みはなんだ」といったようにアイデンティティを失い始めています。そこで求められるのは哲学的なこと、あるいは宗教的なことかもしれません。
インターネットやイベントでは毎日、どこかで聞いたことない人たちが言論を披露している様子が伺えます。日本は一般的には無宗教ですが、数多のオンラインサロンが存在し、主催者をまるで教祖のように慕い、そこに所属意識が生まれています。

今後、哲学ブームが加速するかもしれません。

4. 知識の統合と多角的視点の育成

「創造化社会」では、専門的な知識を持つだけでなく、それを他分野と結びつける統合的な視点が求められます。異なる領域の知識を掛け合わせることで、新たな価値が生まれるからです。このため、教育の現場では、分野横断的な学びを促進し、多様な視点を持つことの重要性を強調する必要があります。

たとえば、デザイン思考とエンジニアリング、ビジネスとアートなど、異なる分野を横断するプロジェクトを通じて、学生が複雑な課題に取り組む機会を提供することが考えられます。これにより、創造性を高めつつ、実社会での問題解決力を養う教育が実現します。

広範囲にわたる学問・芸術・科学に触れ、教養を深めつつ、グローバルな視点で各々が創造的な研究することが重要で、そしてそれがやりやすい時代になったとも言えます。今後は、社会や文化に関する課題解決を主眼に、人文知とや科学、工学などを融合した領域横断的な取り組みに期待できます。

第5章:自己探求と幸福のバランス

「創造化社会」において、自己探求と幸福のバランスをどのように取るべきかという問題は、教育やキャリア形成、そして個人の成長において避けて通れないテーマです。現代社会では、自己探求や自己実現が強く推奨される一方で、それが過度に追求されると、自らの幸福を犠牲にしてしまうリスクも伴います。ここでは、創造的なキャリア形成や個人の幸福追求をどう両立させるかについて考察します。

1. 内発的動機と持続可能な学び

幸福と学びの関係において、重要なのは学びたいという内発的動機です。内発的動機とは、自らの好奇心や興味から生じる学びの意欲であり、これこそが長期的な学びの持続力を支えます。
逆に、欲望を含まない勉強は不健全です。外部からの評価や他者との競争が主な動機となる場合、短期的には成果を上げることができても、やがて燃え尽きてしまう可能性があります。

「創造化社会」においては、単にスキルを習得するだけでなく、その過程を楽しみ、深く没頭できる環境が求められます。
たとえば、伊能忠敬氏は晩年、20代の解剖学者に弟子入りをしました。49歳で隠居し、そのままのんびりと余生を過ごすと思われた彼は、なんと50歳で天文学者に弟子入りしたのです。レオナルド・ダ・ヴィンチ氏も生涯を通じて新しい知識を探求し続けたことは有名です。

学びや創造は個人の幸福に直結するものです。自己探求を通じて得られる充実感が、長期的なキャリア形成と個人の幸福を支える基盤となるでしょう。

2. 比較と競争の罠からの解放

現代社会では、他者との比較や競争が避けられない環境にあります。特に、SNSやメディアの影響で、他者の成功や自己実現と絶えず比較し、自らの価値を測る傾向が強まっています。しかし、このような比較や競争に囚われすぎると、自己探求そのものが疎かになり、結果的に幸福感を失うリスクが高まります。

自己探求を成功させるためには、外部からの評価や他者との競争を一時的に脇に置き、自らの興味や好奇心に従うことが重要です。他者との比較ではなく、自分自身との対話を深めることで、持続可能で内実のある成長が可能になります。
創造化社会では、他者と違う視点やアイデアを持つことが価値となります。そのため、競争に勝つことよりも、自らの独自性を磨くことが幸福と成功への鍵となるのです。
一方で、創造の民主化によって、誰でも簡単に創造できるようになると、全員が同じ「創造」というゲームボードで競争することになるでしょう。そうなると、またそこで比較が発生し、不幸に陥る人も生まれる可能性があります。
だからこそ、比較ではなく、エネルギーを自分の内側に向けて独自性を探求していくような好奇心を育む必要があります。

3. 自己没頭と外部世界とのバランス

自己探求を進める中で、もう一つの重要な課題は「自己没頭」と「外部世界」とのバランスです。自己探求に没頭することは、クリエイティブな活動には欠かせない要素ですが、それが行き過ぎると、孤立感や閉塞感を引き起こすことがあります。これは、自己中心的な思考や過剰な自己評価に陥るリスクも含んでいます。

創造的なプロセスを維持するためには、自己探求と外部世界との「行き来」が必要です。自分の内側にある問いを深めつつも、他者との対話やフィードバックを取り入れることで、バランスの取れた成長が可能になります。例えば、批判的なフィードバックを積極的に受け入れることで、新たな視点を得られると同時に、自らのアイデアをさらに洗練させることができます。この行ったり来たりのプロセスが、「創造化社会」における豊かな自己探求を支えるのです。

4. 価値観の再評価と持続可能なキャリア形成

「創造化社会」においては、キャリア形成の在り方も変わりつつあります。かつてのように一つの専門分野に絞ってスキルを磨き続けるのではなく、柔軟で多様なキャリアを積み重ねることが推奨されます。その中で、持続可能なキャリア形成を実現するためには、自らの価値観や幸福感を軸にしたキャリア選択が重要です。これは、単に効率や成果を追い求めるのではなく、自己実現と幸福が両立する働き方を模索するプロセスでもあります。

例えば、自分が本当に価値を感じる活動に時間を割き、それを中心にキャリアを組み立てることが考えられます。このアプローチでは、外的な報酬や社会的ステータスに固執するのではなく、自らの内面に基づいた判断が重要になります。創造化社会では、自己探求を通じて得られた価値観こそが、キャリアの持続力と幸福感を支える柱となるのです。

次章では、この「創造化社会」における人間とAIがどのような関係を築けば創造化社会をより豊かにできるかについて掘り下げていきます。

第6章:人間 vs AIではなく、人間らしさ&AIらしさ

AIが話題になるとき、必ずと言っていいほど「人間はAIに仕事を奪われる」というネガティブな話が一緒に上がります。
しかしこれは、間違ってもいるし、正解とも言えます。
もともと川で洗濯していた人が、洗濯機の登場によって、わざわざ川で洗濯をしなくてよくなった。このようなことは歴史を振り返ればいろんなところで見られますね。
こうしたゲームチェンジャーが登場すると、それまでは弱かったモノ・困っていたモノが瞬く間に力を持ちます。
AIによって仕事を奪われる側の人もいるのかもしれませんが、その代わり、今まで弱い立場だった人にとってはAIを使って逆転するチャンスでもあります。
つまり、AIによる改革を恐れるのではなく、それを楽しみ、一緒に社会を作り変えていこうという創造意欲が大事です。

人間が文章を書くときには「相手にこういうことを伝えないから、この話をしよう」と考えますよね。しかし、AIが生成する文章には、そのような意図や表現欲求はありません。

人間の思考能力や言語活動、創造性などを支えているのは、欲望や情念、ホメオスタシスのようなものであるにもかかわらず、私たちはそうした基礎をAIに持たせないまま、言語能力や知性といった部分だけを実力させようとしています。

アランチューリングが1949年に発表した「知能機械」というレポートには、もし機会が知能と呼べそうな振る舞いをすることがあるとしたら、それは人間と同じように身体を持って、人間と同じように街の中を歩き回って、いろいろなケンケンをさせてあげる必要があると書かれていました。

つまり、知能は世界と結び合うのです。そして知能には身体性が必要です。
小さい頃の身体感覚には、無意識にある程度勝手に身につくものと、教わって真似をして身につくものがあります。もっとたくさんあると思いますが、あまりにたくさんあるので、ここでは省略します。
例えば、幼い頃公園でやった缶蹴り。上級生が空き缶を正面から蹴るふりをしながら横に蹴る。そうすると確かに逃げやすい。なるほど、あっちに蹴ればいいんだと真似をして上手になりますよね。蹴る瞬間の足の角度をこうすればあっちに飛んでいきそうだと予想してやってみる。うまくいくことも失敗することもある。うまくいった時はこうだったからこれでやってみようという具合に学習していったと思うんですね。缶蹴りに限らず、生活のいろいろな場面で身につくべき身体感覚が乏しい場合、勉強して学力を上げていく過程ではっきり限界みたいなものがありますね。

このように、完全に人間のようなAIを作るためには身体性が必要です。また、「知能とはなにか」「意味を理解する」とはどういうことか、ということを定義しなければいけません。しかし、誰も理解してない。たとえば、「編集する」ということそのものを定義できれば、AIが編集者を刈り取ることは可能ですが、「編集する」ということを定義するのは難しいです。
そのため、AI vs 人間 という発想自体、少しズレている可能性もあります。

最近はAIのような人間も増えてきましたが、人間がAIになる必要も対抗する必要もないですし、AIが完全に人間になることもないでしょう。
AIは人間ができないこと・不得意なことをサポートしてくれますから、我々人間は、AIが持ち得ない人間らしさ、もっと言えば「思いやり」をもつことも重要です。
現在のところ人間の美徳とされているけれども、ほとんどお金につながらない能力はなにかということを考えた時に、出てくる答えは「真心と思いやり」にしかなりません。
どれだけ知性をもっていても、どれだけ情報処理のスピードが速くても、AIには敵いません。これからは「どれだけ難しいことを理解しているか」ではなく、「どれだけ相手のことを思いやれるか」に大きな価値がある時代が来るでしょう。
教育現場で価値を認められなかった能力「他人を思いやる力」いわばホスピタリティ。AIが苦手とする「人のやらないことをやる」「他人の気持ちを思いやる」ことを大切にすること、そしてそれらを教育で伝えていくことが、これからの時代の重要なのです。

結論:創造化社会における教育とキャリアの再定義

「創造化社会」が到来する中で、教育とキャリアの在り方はこれまで以上に大きな変革を迎えています。これまでの知識伝達型の教育モデルや、効率性を追求するキャリア戦略は、急速に変わりつつある社会のニーズに応えられなくなりつつあります。私たちが向き合うべき課題は、情報をただ受動的に消費する時代から、情報をもとに新しい価値を創造する時代へのシフトです。このシフトがもたらす変化に対応するために、教育とキャリアの再定義が求められています。

そもそも書物というものができた時代にも聖書以外のものを読むことがよしとされませんでした。文字を知り、神の言葉以外を記述できるようになった17世紀、18世紀、神の存在が揺らぎ、19世紀後半には文字情報は次第に大衆に広がっていきました。市民革命、産業革命を経て、情報の価値は変わります。
21世紀になり、生成AIもそのような社会の変化を生み出すものと考えられます。生成AIは、さまざまプログラムと組み合わせられ、拡張機能も搭載できるようになりました。このように人間の社会とは常に変遷していくものです。その中でどのような在り方ができるのかが常に問われるものなのです。知識が基盤の社会において、知識がアウトソーシングできるともいえる状況が予想できる世界において、何が教育であるか、ということが今問い直されていると言えます。

ここまで色々と御託を並べてきましたが、いつの時代も、本質的に求められるものは同じでしょう。いつの時代も好奇心や探究心、独自性、そして創造性は大切で、それらを備えている人が時代を切り開いています。

「創造化社会」では、知識を受け取るだけの時代は終わり、情報をもとに独自の価値を創造する力が真の競争力となります。
創造というのは競争するものではないと思う人もいるでしょう。私もどちらかといえば、その考えに近いです。しかし、どうしても避けられそうにないこの変化に対応するためには、教育とキャリア形成のあり方を根本から再考する必要があります。教育は、批判的思考と創造力を育てる場となり、キャリアは柔軟で多様な選択肢を提供するものへと進化します。そして何より、個人が自らの好奇心と価値観に従い、幸福と自己実現を追求できる社会を目指すことが、これからの時代における私たちの目標となるでしょう。


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