尋ねる文化 vs 察する文化|Ask culture vs Guess culture
周囲から無理な頼みごとをされた経験はありませんか?
例えば、紹介したくない相手に「〇〇さんを紹介してくれ」と頼まれることや、泊めたくないのに「終電がなくなったから泊めてくれ」と言われて、渋々友人を受け入れることになることなど、様々な場面を想像できるかと思います。
こうした頼みごとを受けると、真剣に考えなければいけないという気持ちや、自分の快適さを犠牲にしてでも要求に応えるべきだという義務感が生まれることはありませんか?
おそらく、そのような依頼を引き受ける一方で、その結果としてストレスがたまり、関係が悪化する可能性もあることでしょう。そして後になって全てが明るみに出た際に、「なぜ断ってくれなかったの?断れば良かったのに!」と相手が不満を言うこともあるでしょう。
一方で、あなた自身も、「申し訳ないけどその週は忙しくて…」や「今はお金を貸せない…」と言わざるを得ない状況に置かれることに対して、不快な気持ちを抱いているのではないでしょうか?
これはまさに、Ask文化とGuess文化が衝突する瞬間なのです。
Ask文化(尋ねる文化)とGuess文化(察する文化)
「Ask culture vs Guess culture(尋ねる文化 vs 察する文化)」という概念は、2007年にMetafilterのユーザーであるtangerineさんによってオンライン上で共有されました。
これだけ前にこの概念が存在しているのにも関わらず、多くの人にとっては新しい発見のように感じるかもしれません。
Ask文化とGuess文化は、行動と期待において大きな違いがあります。
Ask文化(尋ねる文化)の期待
求めるものは何であれ、手の届かないものであったり、大きな無理な要求であったりしても、相手に求めること
自分のニーズを自分でケアし、他人も自分のニーズをケアする
断られるであろう要求を相手にしても問題ない
人々は皆、自分自身が本当に良いと思う要求は受け入れ、そうでないものは断る
Guess文化(察する文化)の期待
他人がおそらく受け入れてくれるだろうと、かなり確信がある場合のみ、相手に何かをお願いする
自分の要求が妥当かどうかを判断するために、間接的な文脈のヒントを豊富に読み取る
相手をノーと言わざるを得ない状況に追い込むのは失礼
適切な文脈が整えられていれば、要求自体をする必要はない
いかがでしょうか?
私はちなみに、完全にGuess側の人間で、必要に応じてAsk文化側の人間を演じることがあるって感じですかね……ゆえにいろいろなことを考えすぎてしまって、つらいと感じるときが多々あります。HSPとかの方は特に、Guess文化の人なのではないでしょうか?
もっとわかりやすい例を考えてみましょう。
尋ねる文化と察する文化の具体例
あなたは近々引っ越しを控えており、友達に手伝ってもらって引っ越し費用を少し節約したいと考えています。
Ask文化(尋ねる文化)の場合
あなたはFacebookなどのSNSに引っ越しをすることを周囲に知らせ、手伝ってほしいことリストを作成します。移動用の箱やテープ、荷造りの手伝い、トラック/バンの使用、引っ越し当日の身体的な作業などについてですね。
また地元の友人にも連絡を取るでしょう。Facebookには何人かの人が「手伝うよ」とコメントし、友人が荷造りの手伝いに来てくれますが、引っ越し当日の手伝いには誰も時間が取れません。そのため、結局、引っ越し業者に頼むことになります。
みたいな感じです。
Guess文化(察する文化)の場合
まず、独り身で週末には暇なことが多そうな友人に対してのみ、引っ越しの日に手伝ってもらえるか尋ねようと連絡します。
しかし、予定を尋ねると、その友人はその日家族が訪問するということがわかりました。そのためあなたは、引っ越しの手伝いのことは話さないでしょう。
逆に忙しい友人が「少し時間作れるから、手伝うよ」と言ってきたとしても、「あなたは迷惑をかけたくない」と言って断るでしょう。しかし、再度申し出てくれるので、最終的に受け入れることにします。
みたいな感じです。
あなたがAsk文化かGuess文化のどちらに傾向があるかによって、シナリオのどちらかが非常に不快に感じるかもしれません。
Ask文化の人はとりあえず断られる事も想定の範囲内で聞きます。
一方で、Guess文化の人は「聞かれたということは相手はYesを想定して聞いてる」と察してしまうので、断られる確信が低い場合にのみ、尋ねることが多いでしょう。
Ask文化とGuess文化の衝突
私自身はおそらくGuess文化に寄りの、Guess文化とAsk文化の中間地点で動いていると思います。基本的にはGuess文化に傾きますが、必要に応じてスイッチを切り替えてAsk文化に近づこうと努力している、というかできるようになってきたって感じが正しいですね……
日本はGuess文化強めだと思います。
日本の諺「出る杭は打たれる」は、社会的な集団主義の考え方と、個人のニーズや欲望を自己に抑えるという概念を強調しており、これは多くのアジア文化で共有される価値観です。
一方、西洋社会は非常にAsk文化強めだと思います。典型的な例はことわざに見られます。「The squeaky wheel gets the grease.」というアメリカのことわざは、個人主義のアイデアと、欲しいものを求めることが自分に利益をもたらすという考えを強調しています。
Ask文化とGuess文化の世代間の衝突は、イライラやストレスをもたらすことがあるでしょう。
Guess文化の方の多くは、実際に欲しいことを言わないでいることが多いです。見方を変えれば思いやりがあるとも言えるでしょう。ただ、誰かが本当に何を望んでいるかという正直な答えが欲しい場合は、少なくとも選択肢を挙げてその反応を測る方が良いかもしれません。
Ask文化の友人が「え、その飲み会おれも行っていいの?(行けるのか行けないのかの単なる確認)」 をしてきたとしても、受け取り側がGuess文化の人だった場合、「行きたいです」という意味と受け取ってしまうので、回答に困ってしまう。
逆に、Guess文化の人は、その飲み会っておれも参加していいのかな?あ、でももし参加できない場合、これ聞いたら相手の回答を困らせちゃうな、気を遣わせちゃうな……黙っておこう。
こういう見えない部分でコミュニケーションの衝突とズレが発生することに、双方の理解が必要かもしれません。
Ask文化とGuess文化のどちらが良い悪いという話ではありません。
現代、特に社会や企業、組織、仕事では、Ask型の方が外交性が高く、優秀とみなされる傾向があるかもしれません。
しかし、Ask文化の人はコミュニケーションの摩擦ゼロを前提としすぎる傾向もあり、Guess文化の人のように、あれこれ考えるべきケースもあって単純化は難しいと思います。
Ask文化の人は「ただ聞いただけ」という感覚なのかもしれませんが、そこには自分の期待があるでしょう。これによって期待が裏切られたとなり、Guess文化の人を悪し様にいうモチベーションになってしまっているケースを多々見受けられます。
ただ、一方で、Guess文化の人の、「空気を読む」「行間を読む」ということを高いレベルで相手にも強要してくる、あるいは他人も当然のように読んだり織り込んだりしているとの前提の下でコミュニケーションを図るのも、押し付けになってしまうでしょう。
状況に応じた対応と、自分も相手もストレスを感じない自分なりの立ち回り方を、日々のコミュニケーションの中で見つけていくということが必要だと思います。まあ、難しいですよね。ぶっちゃけAsk文化の方が生きやすいでしょう。
職場におけるAsk文化とGuess文化
西洋の企業の多くはAsk文化で運営されています。
日本の場合は、最近はAsk文化を必要としつつも、Guess文化がベースであれ!みたいな独特な感じでしょうか。
仕事において、Guess文化ではうまくいかないことがあり、自己認識や自己アピールが低いと見られていると感じることがあるかもしれません。職場環境から求められるためには、Ask文化にもっと近づく必要があるかもしれません。
Guess文化で育てられたがAsk文化の組織の中に放り込まれた場合、とてもストレスを感じると思います(その逆も然り)
Ask文化に適応するためには、人々が断ることを前提に受け入れる必要があります。助けが必要なことを提案し、人々があなたを不機嫌に助けるのではなく、断ることを信頼する必要があります。
Guess文化の人としてAsk文化に生きる方法
私なりですが、最後にGuess文化の方がAsk文化への移行を少しでも促すいくつかの小さな方法を紹介して終わりにしたいと思います。
無理にAskではなくSuggest(提案)してみる
Guess文化の人々は、誰かの邪魔になるのではないか、誰かが何かを途中でやっている最中に迷惑がるのではないかと心配します。
しかし、助けてもらえるなら助けてもらいたいときはたくさんあります。
その際、無理してAsk文化の人のように気ままに他人に尋ねようとせず、自分の中でちょうどいい尋ね方を探してみてください。
たとえば、「現在〇〇で行き詰まっているのですが、今日か明日に30分程度の一緒に作業できる時間を教えていただきたいです」と言う形で、Yesという回答を前提とするのではなく、提案の形にしてみるとか、直接言うのがしんどければ、社内チャットに状況投稿してもいいでしょう。
興味を示すというワンクッションを置く
次回のイベントに関して参加してもいいのか聞きたい場合は、いきなり「私も参加していいですか?」と聞く前に、「そのイベント興味があるので、詳しく聞いてもいいですか?」とAskの前にワンクッションおいてみる。その先で「ちなみに、私も参加できますか?」とAskしてもし断られたとしても、相手はイベントや自分の話に興味を持ってくれたという積極的でポジティブな印象で終わる可能性が高いです。そうすると、次回は、相手の方から誘ってくれるようになるかもしれません。
断れることに対して快適になる
これはまだまだ私自身も練習中です。やはり断れることに対する恐怖は人よりも大きいので、自分なりの距離感を探しているところです。
相手がYesと答えるとわかっていることしか尋ねることができない場合は、まだまだ自分の殻に閉じこもってしまっているとも言えます。悪いことではないですが、過度な場合は、もったいないコミュニケーションですし、むしろ生きづらささえ感じてしまうでしょう。
自分は他人になることはできないですし、Guess文化の人がいくらAsk文化の人を真似をしても、同様なコミュニケーションを生み出すこと、同じ温度感で話すことは難しいはずです。逆のパターンも然りです。
今回はAsk文化とGuess文化の二つに分けて考察しましたが、もっといろんなパターンがあるでしょう。それこそ人の数だけコミュニケーションのスタイルは存在すると思っています。Ask文化とGuess文化は、あくまで傾向の話です。
いろんな人やスタイルがあるということを理解し、その中で自分はどう立ち回るのが心地よいのかハックしてみてください。その際に、今回の内容が少しでも役に立てれば幸いです。
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