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時間は無限にある。

子どものころ、時間は無限にあると思っていた事を思い出した。

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大人になって、時間を有意義に使いこなせていると思ってた。
自分にとってそれは有意義なことか?
と問いながら人生の選択をして来たような気がする。
余計なものを持たないで暮らすことは、効率が良く、スマートで賢い選択だと思っていた。

そんな暮らしが、窮屈に感じるようになっていたと気づいた。

わたしは、1日が30時間あったらいいのに!とか思うタイプではない。
(9時間くらい寝ないと動けないロングスリーパーなので、そもそもそんなこと言う資格もなさそう。)
でも、起きている時間の中で、出来るだけ有意義に、来るべき未来のために何か役に立つことを一つでも多く吸収しようと、常に気張っている。
ぼーっとして過ごすことは、あんまり得意じゃない。
効率よく過ごすことによろこびを感じているんだと思う。

来るべき未来って一体何なんだ、って話なのだけど、それってつまり、「今」を生きていないんだってことに最近気が付いた。

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いつもの帰り道、子どもと歩いているときに、ふと「時間は無限にある」と思っていた子ども時代の気持ちが蘇ってきた。
その瞬間すごく自由な気分になった。

「なんだって出来る。だって今、生きてるから。」

こころからそう思えて、こころがふっと軽くなった。

「収入につながらないやりたいことは無意味」という自分でかけた洗脳が解けた気がした。

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母は建築設計の会社を持ち、バリバリ働きながら家事も完ぺきにこなしていた。出産子育てを理由にキャリアから遠のいてしまったわたしは、母と比較してしまい、自分を認めてあげられていなかったのかもしれない。

少しでも母に認めてもらえるように、母のように稼ぐ人になりたかったのかもしれない。
だから、時間を有意義に使わなければ、もっと遅れを取ってしまうという焦りがあったのかもしれない。

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時間を有意義に使えたかどうかって、どうやってわかるんだ?
収入につながれば有意義なのか?

そんなことを考えてたら、「時間を有意義に使う」なんて、なんと傲慢な考えなんだろうと思った。
時間に対して失礼だ。
飛躍すると、自分に対しても失礼だ。
「今」自分がしたいと思うことを、「今」出来ないやつに未来なんて無い!

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「なんだって出来る。だって今、生きてるから。」

そう思ったあの時、時間は無限だと思った。
無限にある時間の中のほんのちょっとだけをお借りしてわたしの命がある。
時間は自分のモノじゃない。時間という大きな流れに一時だけ乗せてもらって、旅みたいなことをしてるだけなのかも、って思った。

有意義な時間の使い方なんてそもそも無い。
イコール、無駄な時間もない。

そう思えると、時間は無限に感じるし、「今」をより濃く感じる。


意味が無くても、やりたいことやろう~って、こころから安心して思えた、スケッチブックと絵筆を買った帰り道。

グレーのスーツの人たちが、去っていった瞬間だったのかもしれない。

大人になって初めて読んだ、モモ。
時間貧乏なわたしに、時間の豊かさを教えてくれた本です。

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