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五分

誰のものでもない、
なにかのためのものでもない、
比較する必要もない命そのものの
尊厳性を明らかにすることは、
私たち人類の普遍的な課題であります。
        尾畑 文正

明らかにしないと
理由が付けられないと
命がすべて平等であり
比べられるものではなく
犯罪者の
釈迦の
親鸞の
わたしの
虫の
動物の
なにものの命であろうが
五分であり
同等であり
尊いものである
なんてあたり前のことがわからない。

明らかにする
理由をつける
そこには
必ず思惑がはたらく。
個人の都合が働く。
分別・差別がある。

頭を使って
言葉を駆使して
法を整備して
そんなことをしなければ
平等に扱えないことを
まずは恥じ入ることから始めなければ
何百年たとうが
何万年たとうが
どれだけ優れたコンピューターを駆使して証明しようが
いのちの平等なんてやってこない。

人間にいま必要なのは
羞恥心だ。

いま国を動かしていると言われている人間たちを見ればよく分かる。

彼らに最も欠けていて
最も必要なのは
羞恥心だ。

羞恥心がないから
学ばない。
動かない。
人の話を聞かない。
差別・人権侵害をする。
愚かであることにまったく気づかない。

羞恥心を持って
申し訳なくなって閉じ籠もるのではない。

羞恥心を持てば
学ぶ気になる
人の話を聞く気になる
動ける時は動く
発言をしてみる
自分を見つめることができる。

命の価値などという言葉があること自体が
人間が愚かしく、
悲しい生き物であることの証拠だ。

取り敢えず
「命」の前につける
「〇〇の」を取って命を考えてみよう
人間の
虫の
釈迦の
殺人者の
あなたの
わたしの
取ってしまえば
残るのは
「命」だけだ。

一寸の虫にも五分の魂

ミミズだって
オケラだって
アメンボだって
みんなみんな生きているんだ
友達なんだ

モンクはない。
まさにそのとおり。



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