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無意味・不可知・不可思議
命は元来だれかのための命ではない。
命は何かのための手段ではありません。
目的そのものです。
尾畑文正
今日の言葉と直接は関係ない話から。
言葉選び。
今日は、「命は何かのための手段ではありません。目的そのものです。」
にしようと思ったのです、最初は。
が、それだと、尾畑文正さんの言葉の意図が伝わりづらいのでは、と。
それで、前段にあった「命は元来だれかのための命ではない。」という言葉を頭につけたのです。
そこでハタと思った。
尾畑さんの思いをなるべく正しく伝えたいのなら、それは、この本を読んでもらうしかないよな。
第一、この言葉を選んだ時点で、この言葉は尾畑さんの思いではなく、わたしの思いでしかないよな。
選ぶということは、そこにあるのは「わたしの裁量」。
こういう事を言いたいのだな、という勝手な思い込み。
言葉は、やっぱり、受け手のものでしかないのか。。。
ま、今日に限らず、いつも気にしていることなんだけど。
気にしていたら言葉選びも、会話も、対話もできなくなってしまうから、基本あと付けで気にすることにしているけど。
選んでUPするまでの間に気をつけているのは、やっぱり、今この世相でこの言葉、あまりにも得て勝手に受け止められてしまったっら、一歩間違えると間違いを犯す人の何らかの引鉄になるかも?、なんて少しでも思った場合はボツにはしている。
伝える難しさと面白さ。
みんな簡単にわかっちゃったら、面白くないもんなぁ。
さてと、で、今日の言葉。
結局、他人事でしか生きていないんだよね、人間は。
誰かに、社会に、会社に、学校に、なにかに認めてもらわないと、そこに生きている価値を見いだせない。
それが、「間」を生きる「人」。
だから他人事、「命」は二の次。
誰かに、社会に、会社に、認めてもらって評価された「命」は所詮、評価が落ちたら、評価をしてくれる対象がなくなったり変わったら、その「命」は無価値になってしまう、自分にとって。
勝手だよね。
勝手に「命」に価値があるとかないとか勘違いをしている。
「命」そのものを見ていない。そこに付随している、地位だ名誉だ、金だ、成績だ、そんな付属品しか見ていない。
持ち物が古くなったっら、もうだめ、って。
俺のiPhoneはXだし、彼のはⅪだし、彼の命のほうが価値がある、と言って生きているようなもんだ。
バカらしいと思うだろうが、これが今生きている人間の事実だろう、とくに日本では。
そんな社会だから、生産性で命の価値を量る政治家やが出てきても何ら疑問を感じない人間もでる。応援する人間もでる。
「世の中の役に立たないやつは生きている価値がない」なんて理由で人を殺す人間もいよいよ出てくるのではないか、と、不安にもなる。その、描いている世の中と役立つ立たないは、その人間の勝手な思い込み、妄想でしかない。
自分は、勝手に決めた自分のルールー上でしかないのに、そこでですら役立たない奴に成りたくなくて、自分の勝手に決めたルールで弱者を作り出して、嵌めて、差別して、自分はあいつよりは上だとほくそ笑む。
哀れだ。
ほくそ笑んだその顔を、そのつまらないルール上で上だと決めた人間に向けるときは、ひたすら媚びる、もしくは、一切の感情を破棄し、表情なく唯々諾々と従う、古い、古いコンピュータのように。
理由はもういい。
一切の命は五分だ。
一切の命はただ在るだけだ。
理由理屈なく、無条件で、量れない、わからない、そんなすごいもんだ。