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ロンドンの路地裏からジャスミンの街へ


ロンドンの路地裏

ここはパブ。ロンドンには数えきれないほどたくさんのパブがあるが、この店は特別だ。
表通りに面しているわけでもないし、目立つ看板も出してはいない。
ただドアの上に、通りに向けて、黒いハート型のボードを下げているだけだ。ボヤっとしていると見過ごしてしまう。

だが、ここには世界中から人々が集まってくる。
もう二度とあうこともない人もいれば、一生の友達と出会うこともある。
それから、今回のように、思いがけない「旅」にいざなわれることも。

その夏の夜、パブはぎゅうぎゅう詰めだった。大音量の音楽。客同士会話するのも耳元で叫びあわなければならない。                      暗く、暑い。ビールと汗、香水の混ざったにおい。
俺はビールがしみ込んでベタつく床をよろめきながら外へでた。ふう、やっと一息だ。
外にはすでに轟音と熱気から逃れてきた連中が、のんきにタバコをふかしている。
タバコのにおいの混じったひんやりした空気が心地よい。
この路地裏はいつもタバコの煙でかすみがかっている。タバコを一本取り出す。ライターを探してポケットにもう一度手を突っ込むが、ライターは家出したらしく見つからない。
あたりを見回して、長い髪をしたギタリストのような若者に声をかけてみた。
「火、貸してくれないか?」そいつはニヤっと笑って大げさな身振りでライターを差し出した。名前はジェイク。
そしてこれが、予期せぬジャスミンの街への「旅」の始まりだった。

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                                                                                             (credit: Bradley M)

それから何カ月かたった春の宵。暮れなずむ空をみやり、窓をしめる。春だっていったってここはロンドンだ。日が落ちると空気がヒヤリとする。それに海をこえた国からかかってくる電話に集中しなければ。ロックダウン下では、友人の声が水のように貴重だった。
「ヘイ、元気にしてたか?」
「あ?なんだって?」
またネットの接続か…。
「ったく。この国のネット環境は最悪だぜ。」
電話の向こうで苦笑いする顔が見えるようだ。
なんとかうまくつながって、彼は笑いながら思い出話を始めた。
「授業の間中、バンドのロゴのデザインを描きまくっててさ、そしたらバレて教室から追い出されっちまったんだよ。でもな、このバンドってのが、俺の一番でかい夢になったんだ。」
ジェイクはメイサルーンという自分のバンドを持っていて、ヴォーカリストでギタリストなのだ。音楽と神話のことになると、もう話が止まらない。
そしてもう一つ…彼が青春時代を過ごした、ジャスミンの街のことも。
ジャスミンの街では、詩人が尊敬されている。
人々は街角やカフェで、詩人たちの歌に耳を傾ける。音楽は人々の暮らしの中に溶け込んでいて、人生のエッセンスになっていた。
ラジオからは、人気の歌姫のビブラートのきいた歌声が、宵闇の風に乗って流れていた…。

ジャスミンの街へ

それから数日後、俺はジャスミンの街について書かれた本を読みふけっていた。Among the Jasmine Trees - ジャスミンの木々の間から、という本。
ただその街についてもっと知りたかった。
その本は、音楽と温かな思い出に満ちていた。


著者のジョナサンは、本物の伝統音楽を探して、いくつもの歴史ある街を旅していた。
彼が初めてジャスミンの街を訪ねたとき、そこで一人の芸術家に出会う。その芸術家は彼に言った。
「もし本物の音楽を見つけたいのなら、この街の古い地域を訪ねなさい。そこでジャスミンの木の間から零れる音楽に耳を傾けるといい。それから、白い大理石の街も訪ねてごらん。そこで、レモンとオレンジの木の間から聞こえてくる鳥の声に耳を澄ませるんだ。」
ジャスミンの街と白い大理石の街──ジョナサンは二つの街を旅して、いまだかつてない、豊かな音楽体験をした。彼は、街の学者や音楽家、芸術家たちと、お茶を飲みながらいつまでも語り合った。時には、伝統楽器の弾き方を教わることもあったし、掘り出し物を探して何時間も小さなカセットショップで過ごすこともあった。クラブでショーの始まりを3時間待つこともあった(これでも地元の人たちにとっては、「時間通り」なのだ)。そして、いったん音楽が鳴り始めると、人々は明け方まで踊りあかすのだ。

ジョナサンはここで、「TARAB」という美しい言葉に出合う。
TARAB(タラブ)──音楽家と聴衆が創り出す陶酔した世界──。
どの国の言語にも翻訳できないし、すべきでもない、特別な言葉。
経験するしかない言葉。
紆余曲折があったけれど、ジョナサンはとうとう音楽の魂に触れたのだ。

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                                                                                (credit: Muhammad Khaled)

ジョナサンは、アンダーグラウンドの音楽シーンは体験しなかった。残念なことだ。もし彼が、街の薄暗い裏通りを探検していたなら、きっと、おもしろいことになっていただろう。彼は爆音に混乱したかもしれない。
だが、アングラなライブハウスに何か親しいものを感じ取ったにちがいない。巨大なスピーカーから流れてくる重くて破壊的なサウンドが、熱気のこもった空気をつんざく。
そこはまさしく「TARAB」──音楽と魂がつながった真の歓喜であふれた場所なのだから。
ジェイクの音楽もまたTARABであり、しかもそれ以上のものを秘めている。
彼が作るのは破壊と再生の歌、ダイナミックな命の環の音楽。
それは現代都市の下に、深く葬り去られていた古代の神話への、賛歌でもある。音楽の力というのは、聞く者たちを旅にいざなうものなのだ。
時代だって国境だって関係ない。


さて、ジャスミンの街は、おとぎ話の世界だと思われたかもしれない。でも、ジャスミンの街は現実に存在する。「ジャスミンの街」はダマスカス、「白い大理石の街」はアレッポとして知られている。二つの街は、数年前から続く内戦で破壊されてしまった。ジョナサンが訪れたクラブもカフェも今は瓦礫となり、ジェイクは国を去らねばならなかった。けれども、音楽を通して、言葉を通して彼らの物語は続いてゆく。そしてそれに耳を傾ける者は彼らの物語に思いをはせ、その旅路を共にすることができる。



自己紹介などすべてすっ飛ばして初めての投稿です。気合い入れすぎて暴走気味です。長文失礼しました。

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