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伝える愛 伝えない愛 無条件の愛とは②~思い出された母親からの1文~




心身を休めて、体力も気持ちも回復すると、また思考が巡りました。向き合いを始めると、途中で待ってはもらえますが、心身状況が整うと、自動的に向き合い再開になりました。


私が手紙を書こうか迷っているその気持ちの、本当の理由はどこにあるのだろう。私は両親に謝罪をしてほしいのだろうか?どうなんだろう?
両親の、素直な気持ちは、聞きたい。
そう、普通に、親としての素直な気持ちを言ってほしい。それだけかもしれない。そう、ただそれだけでした。
以前、母親から手紙が届いた時、1度読み、私は馬鹿にしないでとの怒りの気持ちで、破り捨て、内容も覚えていませんでした。
あの時、何を書いてくれていたのだろう...?
そう考えた時、忘れていた手紙の内容の一部分を僅かに思い出しました。
母親からの、'自分達は未熟な親だった' という言葉でした。母親の筆跡で書かれたその一部分だけが、脳裏に思い浮かびました。
その頃、日々生きる事に精一杯で、心に少しの余裕も無かった私は、手紙に書かれていた母親の身勝手な言い分に頭に血が登り、怒り心頭で手紙を破り捨てました。
そんな手紙の中の1文で、たった1文での謝罪で、自分達は未熟だった、たったそれだけの言葉で片付けないで欲しいと。こんなひと言で謝罪になんてならない、と思いました。
たったそのひと言で、今までの私が受けた事、私の辛さや苦しみが、無かった事になんてならないし、無かった事になんてさせない。無かった事にしないで!と思い、その激しい怒りの気持ちに任せ手紙を破り捨てた、その気持ちを思い出しました。


あの時は、その1文で、幼い頃からの抑圧され我慢する毎日の辛かった事、苦しかった事、高校3年時の1年間の実家での扱いの過酷さ、実家を出て大人になってからも続いた両親の身勝手な言動、私の気持ちには寄り添う事無く繰り返された事とそれらすべてについてを、一緒にしてまとめて謝罪されるような事。手紙で、ほんの数行の僅かな言葉で片付けられようとする事が、全くもって納得がいきませんでした。


それが、不思議な事に、今、そのひと言を思い出した時、...母親は...あの手紙で、謝罪してくれていたんだ...と思いました。
私は、この向き合いをする前、いつか両親に謝罪してもらいたいと思っていました。(note記事 私の過去⑭~自己受容・赦し~)
でも、この時(note記事 私の過去⑨)の手紙で母親は謝罪していて、私はそれを、その時に、謝罪だと受け取っていた事に気づきました。
謝罪だと読み取りつつも、手紙の他の文面にも反応し、前面に出た強い怒りの気持ちでかき消して、謝罪を謝罪と認めず、受け入れず、跳ね除けて、謝罪なんかされていないという思いで、気持ちを押し込めてしまっていました。
今、思い出し、この頃に両親は、自分達の子供の育て方や、関わり方が間違っていたと、反省する気持ちを感じ、考えて、あの手紙を書いてくれたのだろうか...と思いました。
初めて、手紙を破り捨てるんじゃなかった...と後悔しました。今更、遅く、どうする事も出来ませんが、何が書いてあったのか...もう一度読んでみたかったと思いました。
そして、母親の言葉は、本当に僅かなひと言、1文で、当時はそこからの気持ちは私は読み取れず、受け取れませんでしたが、今は、伝える事が不得手な中、考えながら書いてくれたのだろうか...、と思いました。

そう思った事で、再度、私も素直に、伝えるしかないかもしれない...と思いました。
私は何を伝えたいか。よく考えようと思いました。
ぐるぐると、本当に頭を悩ませますが、きっとこの事も、私は自分で感じて考えて、この道を辿る必要がある事だと。途中で向き合う事を辞めないで、自分で答えを出す必要があると、思いました。
あの時に、母親からの手紙を読んだ時に、自分の怒りや悲しみの気持ちを強く感じたのに内側に抑え込み、未消化にしたから、自分自身で未完了のままにしてしまったから、自分の中で思い込みになって残り、苦しさや生きづらさになってしまった。
だから今、こうして辿り、思い出して当時の気持ちを感じ切る事で、未完了だった気持ちを完了させていく事が、必要なんだと思いました。ひたすらに、これを繰り返していく向き合いです。


手紙を書くか、書かないか...。
1度きりの人生、両親から生まれたこの人生は、今回だけのもの。だから悔いの残らないように書いて伝えようか...。それは今、この身体があるから出来る事でもあると思いました。
分かりやすくシンプルに。この向き合いで気づいた愛と感謝の気持ち。自分を大切にして、両親の事も大切にして話す(書く)。
そしてこの一週間、仕事の時以外ずっと考えている事、何をどこまでどんなふうに伝えるか??
思考を緩めて、もっと弛めて、頭を楽にして考えようと思いました。両親の耳に届きやすい言葉を選んで伝える事。両親が耳を傾けて理解しやすい、両親が受け入れやすい、言葉を選んで伝える事。
素直に。焦らない。執着しない。考え過ぎずに。そして結果は求めない。...


葛藤が続きました。
手紙を書いたほうがいいだろうかと、○○したほうがいいだろうかと考えるなら、辞めたほうがいいのでは...?無理をしない。頑張らなくていい。迷うのなら、今、その時ではないのでは?
今は、私が私のままでいられる事が大事。...
今は、決める事が出来ませんでした。書くか、書かないか、気持ちは揺れ動き、白でもない黒でもないグレーな気持ちでした。
その細かな感情の動き、その全ての気持ちが全部、今の自分の本当の気持ちだから、今はそのグラデーションな気持ちのままでいようと思いました。揺れる気持ちの濃淡を味わい、大切にしようと思いました。
その中で日々気づきがあるから、その気づきを得ながら、自分の気持ちを見つめていきたい。
揺らがない芯のある自分でいながらも、揺れる自分も受容するしなやかな自分でいたいと思いました。
いろんな周波数を感じながら、そこに重ね合わせられるような自分でいたいと思いました。


入浴を終え、夜寛いだ時、音楽を聴いた途端、不意に気持ちが込み上げてきて涙が溢れました。
父親と母親、妹に、ありがとう、ありがとうねという言葉と、義理の両親と今の家族にありがとうという言葉と、今まで関わってくれたいろんな方々にありがとうございましたという言葉が自分の中から、涙と共に湧き出てきました。しばらく言葉を繰り返しながらその感覚を味わいました。


その後に... ...もう...伝えなくてもいいかな...と。
何も、伝えない...。そういう愛もある...そう思いました。
今、敢えて伝えて分かり合おうとしなくてもいい...繋がりは切れない...。ただ存在してくれていたらいい...。
両親は好きな事をして、好きなように生きてくれていたらいいんだわ...。そう思いました。


手紙を書いて気持ちを伝えたい、その思いは、私の事を理解してほしい...わかってほしい...、というエゴの気持ちの名残りからだったかな...と思いました。
もしかしたら両親と出会えるのは、私の事が自分の娘だとわからなくなってからかも...、と思っていたので、今のうちに1度伝えておきたいと、そういう気持ちも湧いたのだと思います。
そして、結果は求めないはずなのに、両親からの愛と承認の言葉を最後まで欲しがっていた...、その気持ちだったと思いました。


(私の心の中で)両親の手を離して、前を見て、自分1人で立って歩いて行く。その直前の、振り返りのように思いました。
私は私を生きていい。私は私で幸せになっていい。
自分で自分にそう許して、自分で自分を1番大切にして、自分で自分を守って歩んでいく。
だから今は何も伝えない。今、手紙は書かない。
もしもいつか、迷いなく伝えようと思ったなら、その時は伝えよう。
今は心で想っているだけ。それでいい。と思いました。





お読み頂き、ありがとうございました。





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