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靴下を繕ってきた日々の私の変化

 私はとても品行方正と胸を張って言えない。外ではきちんとしている(つもり)けれど本当は大雑把で、決してマメではなくて。言い方が嫌だけれど、ガサツだと思う。
 でもひとつ、胸を張って言えるのは、お気に入りのものはたとえどんな安価なものでもなんでも、長く使うタイプだと思っている。

 その代表が靴下である。
 猫のワンポイントがあしらわれている、生成り色のスニーカーを履いても見えないというスニーカーソックス(あってる?)だ。

 なんてことない、3足1000円(税抜)で売っていて、目を奪われて購入した1足。今まではUNIQLOの黒地のものを使っていて、もうきっとこれ以外履けない!なんて思っていたのに。
 こんなにコロコロと気が変わってしまった自分の感覚に戸惑ったくらいだ。
 何を言おう、私は柄物(とくにキャラクターもの)を服装に取り入れることに苦手意識が強い。だから驚いた。まさか私が、この靴下を自ら選び履くことになろうとは……。

そんな苦手意識などなかったかのように、この靴下に足を通したとき、とてつもなく「ああ、これだ」となにかパズルのピースがぱちっとハマったようなしっくり感があったことを今でも覚えている。以来ずっと、大切に、そして繰り返し過ごした初春頃。

 足の爪が上向きのため、いつも穴が空くのは親指のあたり。
 梅雨を目前にして、この靴下にもとうとう空いてしまった穴。こんにちは、私の親指。ああ、この前塗ったペティキュアがとても可愛らしく陽の目を拝んでいる。

 ときが来てしまった……。

 落胆する。
 お気に入りは繰り返し身につけていたい私なので、やはりこの靴下も同じものをもう1組買っておくべきだったと後悔するも遅し。恐らくもうこれと同じ靴下はないだろう……靴下屋じゃあるまいし。

 よし、繕うか。

 そう決断するのは本当に早かった。
 裁縫箱を出し、穴を塞ぐのに針に通す糸を選ぶ。ちょうどこの生成色は去年か一昨年、買い足していた。なんたって私の好きなアースカラー。こういったものの在庫は切らさず持っている。

 決してプロの腕前とは言えないが、ぱっと見繕ったとは思えない出来に仕上げる腕にはなったと思う。

 なんたって、これは高校生の頃からやっているのだ。当時入学してからは学校で使う消耗品からなにまでバイトして稼いだお金の中でやりくりし自分で賄わなければならなかった。
 年頃だったので、美容室や化粧品、また学用品や交際費諸々に回したかったので、制服に合わせて履いていた紺ソックスはずっと穴が空くたび繕った。
 友人に一度バレて恥ずかしい思いをしたのも忘れない。けど今は、その友人に問いたい。「どう!?あれから上達したでしょ!?縫ったってわかんなくない!?」…と。笑

 そんな訳でこちらの靴下はまだまだ現役で私の足元で日々、私と共に過ごしてくれている。履き心地もまだまだ柔らかい。高校のときの紺ソックスに比べたら全然まだまだいける。

 要は貧乏性なのだ。ケチだったのだ。

 貧乏性のケチんぼから生まれた私が、気がついたらお気に入りはとことん繰り返し使う。一緒にすごす。そして、(私に)出来うる限り大切にする。

 高校生のとき…思春期のときは正直、なんでこんな…と泣きそうになったこともある。靴下くらい新品を履きたいと何度も店頭で眺めるたび思った(でもやっぱり靴下にお金を使うのは惜しかった)。できるなら毎日履くものだし、都度買い替えたいと思ってたくらいに。

 あの頃のひもじいような思いや気持ち、感情を、今も忘れてはいない。
 でも今は、あのとき夜な夜な繕ってて良かったなあと思う。今となっては懐かしいと思える思い出だし、その繰り返しの作業のおかげで私は今、こんなに繕うのが上手い(自画自賛)。なにより、そのネガティブな気持ちを抱えて繕うのではなく、ポジティブな気持ちのもとで繕っているのだから、何ひとつとして悲しいことはない。

 夫に、年齢にしては昭和の女性みたいなことをしてるね、と言われることがある。
 褒められているのか貶されているのかわからないけど、そんなところが結婚を決めた一因だと言うのだから恐らく褒めてくれているのだろう。

 人によっては眉間に皺を寄せられたり、苦笑されたりしそうな話なのですが。
 私はこんな私に好感を持てます。

 さあて、明日は動き回る予定なのでこの靴下とともに過ごす。楽しみだな。

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すぅ
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