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自己紹介ってなんぞや

 yakoさんのnoteを読んでいて、ハッとした。そうだ、私も改まって自己紹介って苦手だな、と。


 20人近くいる小さな教室の中で、前から順に立ち上がり名前を言って…そうやって自己紹介を促された学生時代。

 わかってくれなくていい。

 なんてツンツンな厨二病丸出しだった私の自己紹介は今じゃネットで探せば出てくるような定型文をいつもなぞらえるようにしゃべっていた(これだけ読むとすごく態度でかそうな印象ですが、恥ずかしがりの人見知りだったので、存在感も薄く声も小さい石橋叩く心配性な陰キャ丸出しでした)。

 働き出してからは、そんな大規模なところじゃなかったのでアットホームな雰囲気のお陰であんまり自己紹介をした記憶がない。

 今現在は、私自身の紹介をする場はあんまりなくて。それこそ息子の学校に「母親」として赴き、息子に関して話をすることが多い。

 自身の紹介とは違って、なにやら感じるプレッシャー。ここでの紹介の印象によって息子の印象が左右されてしまうんじゃないかという恐れに緊張しまくりで、伝えたいことの半分以上うまく話せないで終わる(息子の紹介すらままならない私は一体…)。

 それこそ、好きなものやことを伝えようと思えばでてくる。文章を書くこと、本を読むこと、植物を育てて飾ること、犬と猫と暮らすこと、息子といる時間。最近の息子はわりと作ることに関心を示してくれるので、一緒にできることがあって嬉しい。時々私の想像を超えてくるものを作りたいというときには狼狽えてしまうけど。

 あとはやっぱり、勉強すること。学ぶこと。

 自分の持ってる資格を見返したときに、あれ?私漢字検定2級合格してなかったことに気付いた。記憶をたどり、あと1点足りなくて落ちたことを思い出して、社会人レベルの能力が証明できないことに肩を落とし…今年受けよう。そいでもって、合格しようと決めたのだ。

 勉強(特に国語)に対してどう関わっていったらいいか困っている息子を見ていて、親が勉強している姿勢をそばで見てもらうのも良いのかもなと思う。そして今、息子は(少し気が乗らないながらも)今一緒に漢字検定を受けるべく勉強している。息子は10級。1年生の復習と思えばまあ気楽(なはず)だ。

 それから最近、写真を撮ることを再開した。

 iPhoneを買い替えてから、スペックが上がってカメラの画質も良くなりすっかりお蔵入りしてしまっていたミラーレス。カメラのファインダーを通して写真を撮りたいと思い、近頃はバッグに忍ばせている。執筆するのにPCなど持ち歩いているときは嵩張るけれど、やっぱり撮りたいときに「カメラで」撮れるのはすごく気分がよかった。

原田マハさんの『リボルバー』再読。
記録を残すのに写真を撮りました。

 今はカメラ1つ持ってふらっと普段は歩かないところを歩いてみたい。

 あと、ここではあまり触れてないけれど小説を書いている。最近は詩やエッセイなど幅広く文芸公募に応募していて、今年はまだ小説で結果は出ていないけれど、詩やエッセイではありがたいことに賞を頂いている。作り手である書き手として、やっぱり見てもらえることも心底嬉しいけれど、やはり名だたる賞をいただけることはまた格別に嬉しい。そこからさらに私の作品を見てくれる方が広がっていったら、もう言葉にできない。

 仕事を辞めるつもりはないけれど、兼業でも作家として活動を続けていけたら嬉しいなあと今日もデスクに向かっていました。

 でもやっぱり子ども育てながらというのは時間の確保が難しい。切り替え上手な方ではないので、注意が子供に向いているとどうにも張っているアンテナが鈍くなってしまうように感じて。そこはもう自分の問題なのですが、もやもや。

 ここまで伝わるのかわからないけれど、伝えたいと思ったらとにかく真っ直ぐに相手と向き合いたくなってしまう性分で、ついつい事細かにあれこれ話したいことが出てくる。しかしこれが、口頭でとなるともう全部おじゃん。仲のいい友人にでさえ未だに何言ってるの私?となることがあるくらい口下手すぎるきらいがある。どうにかならないかな…ともう何年も悩んでる。この問題。

 自己肯定感がずっと低くて、今はだいぶ上がってきているけれどまだまだ陽キャの義両親が眩しい。なんなら自称陰キャという夫すら眩しいくらい。

 自分がきらいできらいで仕方なかったけれど、夫に出会って生活環境が変わってからは、なんだかだいぶ“本来の自分”でいられるようになってきたと思う。最近の私を、私はけっこう好きです。

 「そんなこと考えてるの?」

 なんて言われてしまいそうな、言語化できない関係性だったりとか感情とか考えたりするの本当にもう癖で、こういったことをテーマに小説を書きたいな常々。満足のいく表現ができるまでは、形変われどなんであれ書くことは辞められない。難儀な人間という生き物で居続ける限り。

 私は人間だけど、毎日私人間じゃないなって、犬と猫と暮らしていて思っている。なんなら泳げないけど海藻みたいに海、揺蕩ってたい(夫に前世はワカメってよく言われる)。動物になれるならナマケモノになりたい。fu〜

 真面目か!(どこが?)って思われそうですけど、基本的にはゆるゆる〜なちょっと人との感じ方に斜め上くらいズレのある普通でいたくない普通のひとです☺︎(まだ厨二病引きずってる笑)


 ▷yakoさん
 素敵なnote、引用させていただきありがとうございます。またお邪魔いたします。

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すぅ
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