自分自身を褒められないのはなぜかを考察してみた
Boyaです。
自己肯定感が低いと自分を褒められないとよく言われます。
自己肯定感が低くなってしまうのは、色々理由があると思います。
今回はその理由について考察してみたいと思います。
それでは行ってみましょう!
僕自身も含めて自分を褒められない時の特徴は以下の通りだと僕は考えます。
自己肯定感が低い人の特徴
・自信がない
・完璧主義が強い
・ネガティブ思考が強い
・褒められ慣れていない(褒め慣れていない)
・「どうせ」「だって」「なんか」を多用する
・物欲が強く物に溢れている
これが全てではないと思いますが、個人的にはこれらの特徴が濃い人は自己肯定感が低いように思います。
なぜ、これらの特徴が現れるのでしょうか
当然育った環境に大きく依存されると思います。
自信がない人は、自分が行動した結果失敗ばかりが続き、成功体験よりも失敗体験の記憶が圧倒的に多いのだと僕は思います。
完璧主義が強い人は、自分の中に多くの価値観があり、その基準がどれも高いため、自他共に許せない人だと思います。
自身が育った環境が全ての完璧を要求する環境だったとしたら身に付けれなければならない価値観だったのかもしれません。
ネガティブ思考が強い人は、自分にも他人にも懐疑的にならないと自分自身が傷つけられる体験を多く経験してきているが故に、自己防衛本能として身に付けたものなのだと思います。
褒められ慣れていない人は、褒められた経験が少ない故にどのように反応したらよいかわからない。
故に自分が他人を褒めるにしてもどう褒めたら良い変わらない未踏の地のため、
「何が起きるかわからない」という思考から褒めることや褒められることに距離を置いてしまうのだと思います。
「どうせ」「だって」「なんか」を多用する人は、自己正当化が強いように僕は考えます。承認欲求(他人から認められたいという欲求)が強い。
褒められていない人が、認められたいという無意識的な欲求から自分を肯定するために自然と発してしまう言葉なのかなと思います。
物欲が強く物に溢れている人も僕の経験上自己肯定感が低い人の傾向に思います。
お仕事に関連して物を多く持っている人は別だとは思います。
例えば、自分の部屋やリビングなどに物が多いのは物欲で満たされない欲求を埋めようとしているのではないかというのが僕の体験から来る理由です。
僕自身も物欲が非常に強い時期がありました。
積みゲーや積みプラモデルをしていた時期があり、購買欲が渇望していた欲求を埋める手段になっていました。
渇望していた欲求は色々ありましたが、その根底にあった欲求の中で一番強かったのは承認欲求だったと思います。
その当時の会社や家族に自分の存在を
認められたい。
頼られたい。
褒めて欲しい。
自分と積極的に付き合って欲しい。
そんな気持ちが強く、年々醜くなっていく自分の現実を受け止めるのが辛かったことを覚えています。
ちょうど30歳頃の自分がそうでした。
承認欲求が満たされないからこそ、物欲を満たすことで刹那の快感を得ていたように思えます。
この記事を読んでいる皆様が僕の体験と当てはまるかわかりませんし、全ての方に当てはまるとも思っていませんが、色々な人の話を聞くと僕のような方は少なからずいるのだなと思います。
どのようにすれば自分自身を褒められるようになるか
・自分自身を褒められないならまずは他人を褒めることから始める
・他人に褒められたら素直に味わう
・些細なことから自分自身を褒めるトレーニングを数多く意識して行う
・自己研鑽をすることで自分自身が褒めることを納得できる
まずは、自分自身を褒められないならば他人を褒めることから始めてみると良いと思います。
他人に褒め慣れていない場合、最初はとてもぎこちないかもしれません。
相手に違和感を感じられていてもやり続けてみることが大切です。もっと大切なのは素直に感謝することです。
相手が褒められて喜び、安心感を得て心を今よりも開いてくれたら、それを自分自身にしてみることです。
些細な「できていること」を見つけて褒めてみましょう。
注意しなければならないことは「些細なことでも一度褒めたことを後になって否定しないこと」です。
例えば、相手の振る舞いや発言に怒りを感じた時に以前褒めたことを勢い余って否定したりすると、どんなに些細なことでも「この人は褒めてくれても本心では否定してるに違いない」と褒めたことに対して否定的な関連付けをしてしまいます。
その関連付けをされてしまうと、それを解消することは非常に時間と成功体験を与える回数が必要になります。
他人を褒めた時に相手が増長してしまうケース(相手も褒められ慣れていなかったりする場合に多いように思います)があると思います。
そのような場合においても、決して褒めたことを否定せずに、思いやりを持って増長して不快だと感じた出来事にのみ指摘するように心がけると良いです。
自分が不快だと思ったことは、しっかり伝えることは大切です。
自分が他人に褒められたら、しっかりとそこは自分も褒めるようにしてください。
日本人には「謙虚さ」という言葉が美徳とされている文化があります。
この文化はとても良い側面がありますが、これを常にやり過ぎた弊害として、自己肯定感の低くなるという症状として現れている側面もあると僕は思います。
他人に褒められたら、まず素直に喜ぶようにまずは意識することです。
経緯や他人の思惑を一旦無視して、「ここは褒められた」だから、自分もここは褒めてあげたいと自分を褒めることに許してあげると良いです。
慣れていないうちは
「いやいや、自分はまだまだですよ」
「上には上がいますから」
「自分なんて褒められる値しないですよ」
のような反応を発言してしまいがちです。
まずは、そのような自己否定を感じさせる発言することをやめ、
「そう言ってくれて素直に嬉しいです」
「そう言ってくれてありがとう」
と一貫して素直に受け止めるようにしてみると、印象はかなり良いと思います。
他人を褒めていきつつ、同じように些細なことでも自分のできたことを褒めることです。
他人から褒められることがあった時には、その褒められたことをしっかりと記憶して、自分を褒めるようにしてみるとだんだん自分を褒めることが楽になってきます。
相手もそうですが、自分が増長しているなと感じる時があると思います。それは他人に不快感を与えているかどうかで自粛すべきかどうかを判断すれば良いかなと思います。
なかなかここを全て感知するには、どれだけ客観的に自他を観察できているかによります。
客観視できているかどうかも訓練だと思います。
僕が自分自身に絶望してた時期から比べると今の自分はかなり自信を持って生きています。
「生活保護を受けて何も仕事もしていない時自分は本当に褒めるに値しないクズだ」
と思い続けていました。
僕は自分自身を褒めることができなかったからこそ、他人を褒めることから始めました。
そうすると僕は他人の良いところを見つけることが得意なことに気づき、相手が僕に安心してくれると、
今度は逆に褒めてくれるようになります。
最初は、褒められると謙遜していました。
しかし、謙遜せずに相手が褒めてくれたことに「素直に喜ぼう」と決めてから少しずつ自分に自信がつくようになりました。
同時に自信がつくにつれて、自己研鑽を努力していったことも相乗してます。
・ダイエット
・身嗜み
・読書
・生活のリズム
・自己啓発活動
自分が「これに対して努力している!」と自信を持てることを続けることが大切です。
結果が伴っていなくても自信はついてきます。(結果を追い求める姿勢は大切です)
現時点でも僕自身はまだまだ結果を出せていません。だからといって、失敗して諦めてもいません。
このノートを書き続けている通り、現在進行形で少しずつ少しずつ積み上げて行っています。
自己研鑽をし、少しでも前進していることを実感することは自己肯定感を高めること根拠となるので、些細なことでも良いから習慣化することをお勧めします。
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