小説 ちんちん短歌・第三話『マンヨウ仮名』
https://note.com/tintintanka/n/n53cf515f12e4
歌を、記録する――? 「紙」に?
いかに、その「エチ紙」というメディアが、最先端の優秀な記録媒体であるとはいえ、音声コンテンツである「歌」を、どう記録に残すというのか?
「歌の内容を……漢の言葉に翻訳し、楽府(ラクフ)にして残すとか……?」
建はそう問うが、家持はにこにこしつつ、筆を手にすると
【春野尓 安佐留雉乃 妻戀尓 己我當乎 人尓令知管】
と、描きだした。
気持ち悪い。と建は思った。なんだこの、でたらめな文字の並びは……。
ややあって、いや、と建は気づく
「ハル……ノ、……じ? ……いや、これ、「に」、ですか?」
こいつ、漢字の一文字を、意味も連なりも無視して、ただその読み方の音のみ借りて、ヤマトの歌の「音」を記録してんのか?
「そ、吾の作った歌ね。♪春の野に、あさる雉の妻恋ひに……」
この頃都で流行だした、「仮名」という表記法であった。家持は上機嫌に自分の歌を口ずさんでいる。
冒涜だ、と建は思った。
「漢字」は、一つ一つに意味と、呪術と、魂が込められている。それらは魔除けや札、そして「名づけ」に使われる神聖なものだ。
それを、―音づつ、意味も何もなく切り取るってさあ……。
そもそも、短歌を構成するヤマト語って……でたらめで、法則性もへったくれもない、「流れ」のような、言語未満っていうか、「察し」というエスパー要素がないと満足にコミュニケーションもとれないようなものじゃないか。
その、あいまいでつかみどころのない言語をつかって、作られているものだから、そもそも、字で記録できようもんなのか?
歌って、一音一音、連なって流れているんだ。
血みたいなものじゃないか。
それを一つ一つせき止めて、音だけ借りた字を当てはめるような記録って。
なんだ。
なんだ?
流れや音程はどうするのか。無視するのか。音程、イメージ(というかシニフィエという方がただしいが)、イメージからくる仕草、動き、動くことで風を鳴らす皮膚の触り、匂い、そして視覚、発する者が何者であるか、とかぁ……。
それらをすべて統合したものが、ヤマトのウタ……短歌であると、建は理解していた。
歌にまつわるすべてを、建は、俺は、短歌奴隷として、体に覚えさせてきたんだ。「紙」に、その辺のすべて、記録しきれるものなのか? ダウングレードしたものを記録に残すって、何?
「なんでわざわざ「紙」なんかに、歌は記録させられなければならないのですか」
建は、感情を抑えながらいう。
「だって忘れちゃうじゃない。忘れたら消えちゃうじゃない」
家持は、エチ紙を文鎮で伸ばしながら答える。
「忘れません。そのために、奴隷やってます」
「死んだら忘れるでしょう」
「死にません」
建は死なないと思っていた。死は、肉体のことではなく、精神に属するのであり、他者にその精神忘れられた時に死ぬ。
だから、短歌奴隷として、頭の中を次代に託し、その次代が覚えてさえいれば、永遠に歌の中に我が残り、死というものは、
「死ぬよ」
建の思考を遮って、家持は言を発した。