小説 ちんちん短歌 第33話『フヒト④、ていうかウマーイ、そして、女の口まんこから産まれた国土』
ウマーイは手勢を連れて常陸に入るやいなや、毛の蝦夷と一戦こいた。
合戦になるかと思われたが、上手いこと敵将と相撲に持ち込み、萱を刈り取った円形の場にて、はっけよいよい、ハッキネンってな感じで蝦夷の勇将をころがし、踏み殺した。のちにその土地は「萱丸」と呼ばれる事となる(〒305-0871 茨城県つくば市上萱丸)。
「はい、じゃあ殺したんで、あと毛の蝦夷の皆さん、もう他には殺しません。従ってくださいー」
って事になって、なんか、国境線争い? みたいないざござを平定してしまった、ウマーイ。もともと毛の蝦夷の方でも揉める気はなく、なんか、平定したら貢物あげるんで、っていう流れで、手打ちになった。
そんな感じで、ウマーイこと、藤原宇合は武官として卓越した能力を持ってしまっていた。なんか、不意に身についた感じ。
たぶん、ちんちんのせいだろう。
ウマーイのちんちんは、あの日、ミチヨを抱いてから全然立たない。
そしてちんちんが立たなくなってから、スポーツ、特に、お相撲が上手くなった。当時の相撲は立ち技よりグラウンド技術が重要視され(地面に倒れてもいいというルール。今でいうレスリングに近い)、ウマーイは細身ながらよく関節を取り、関節を折り、首や背骨を折って人を殺した。
人一人殺す技術を経て、それが二人になったら、四人になったら、十六人になったら……とバイバインで想像力が膨らんでくると、「あ、基本、戦争には大量殺戮がなんでつきものなのかーって、結局納得感なんだ、所詮は。じゃあ、一人を残虐ザンボットして収められたら、それでいいじゃん。納得感、つまりは説得力なんだから」というところに至り、「どう敵を面白おかしく華々しく一人殺して、皆納得するか」というプレイととらえるようになった。
その戦略が、蝦夷相手にはうまくいった。とても劇的になるよう、ショーアップして殺したんだ、萱丸にて。銅鏡、そう、道中、古墳を暴いて手に入れた三角縁神獣鏡を一人一人持たせてピカピカと萱丸(リング)を照らし、マイクパフォーマンスし、銅鐸鳴らして、取組前にはこの戦いに至る前の、蝦夷とヤマトのもめ事を再現した演劇も上演して、お互いの兵士、地域住民のご理解を得た。
合戦、そんな感じでなんか祭りっぽく楽しかったので、蝦夷もヤマト寄りの常陸民もみんな集まってきて、なんか合戦してる感、なくなってきた。このあたり、遣唐使経験もあり、イベントプランナー的文官なあれこれを学んだウマーイが上手かった。
そして、お相撲ガチンコバトルに至り、ついに敵を殺す。
ウマーイも死ぬかもしれなかった。なんか、死んでもいいかもと思って相撲取ってたところがある。
死ぬかもしれないから、相撲決着に説得力が出たんだと思う。
相手の蝦夷の勇将はちんちんが勃起していた。でもウマーイは垂れていた。全裸で組み打っているとき、よく、蝦夷の将のちんちんが、ウマーイの腿に触れた。
熱いな、ちゃんと。
生きていたんだな、と思う。そう思ったうえで、殺した。
倒して、転がして、首を絞めて殺し、とどめにちんちんを踏みつけた。
殺すと、熱が消える。ちんちんがしぼむ。
ウマーイは、その熱が消えたところ、敵の肉体が倒れ、ちんちんも横に倒れたところを、じっと見ていた。
戦のあと、常陸の果てのツクバに陣を敷き、しばらくぼんやりすることになった、ウマーイ。
現地の者を殺し、権力を持った殺人者、ただ居る。
ただそこに居るというだけで、蝦夷の皆はプレッシャーになるし、ヤマト側は「ああーここヤマトの土地って事でいいんだ」という説得力が増す。
こうして、土地は国土となっていくんじゃないか。そう信じて、ウマーイはただ居た。何にもせず、ただ居た。
戦後処理を部下たちに任せて、ウマーイ、ごろごろした。もちろんその間にも諜報奴隷を駆使して蝦夷たちの動きを取っていたけれど。
毛の蝦夷たちの小規模部落たちは、次々と恭順の意を示し、貢物と、女たちを送り込んでくる。
どうか私たちを殺さないで。殺す代わりに、私の一族の女とセックスしてください。それで勘弁してください。なんでもします。そんなメッセージを、ウマーイは、はいはいはいなと上の空で対応する。
派遣された女性たちは「常陸娘子」と呼ばれた。
遊行女婦(うかれめ)という名目で、宴会コンパニオンとして派遣。実態は性奴隷、生活奴隷として、ウマーイの逗留生活の世話することとなる。
まあ、せっかくだからセックスするか、とウマーイは常陸娘子を呼んで裸にし、おっぱいを揉んだりするが、やはりちんちんは立たなかった。
「殺さないでください」
最初はそう懇願していた常陸娘子だが、ウマーイが優しいというか、ぼんやりして、あ、別に殺さないんだなってわかると、だんだん調子に乗ってきた。いまや娘子たち、へらへら笑いながら、簡易陣屋の中で一人一人暮らしやすく掃除したり、家具を入れたり、畑を耕しだした。
もともと常陸娘子たちは、部族から生贄に出されたような感じだから、家庭環境が複雑だったり、メンタルがヘラっていた人も多い。あと産まず女である人も多かった。
「ぶっちゃけますけど、実は密偵で、なんとなればウマーイさんから情報とったり、なんとなれば殺そうとしてました」
と、ちんちんを舐めながら、常陸娘子の一人はそういう。
ウマーイのちんちんは立たない。
でも、ちんちん舐められている感じは、性的ではなく、普通にマッサージとしてなんか気持ちいいので、してもらっている。
「それはよくないね。どこの部族から派遣されたんだっけ?」
「ムツです。あいつら殺してください。あの部族。全員殺してください」
「そういかない。でもヤマトに敵対的なんだねー。あとで部下の坂本君(坂本宇頭麻佐)に言っとくよ」
そう言いながら、常陸娘子の頭をぽんぽんとやる。
俺は、人でなしなんじゃないか。ふっと頭をよぎる。
俺は、人ではない人の子。フヒトの子だ。
俺の半分は、人ではない。人を殺すし、現地の生贄女子にちんちんを舐めさせる。人でなしとは、人を殺したあとも、ぼんやりと心安らかにいられるような、俺みたいな、俺みたいな、俺みたいな、不人な生き物なのか。
ちんちんがずっと立たないので、ミチヨの顔とおっぱいを思い出そうとする。でもビジュアルが全然像を結ばず、ミチヨの口にしていた詩歌、短歌、漢籍の一文だけがよみがえる。
フェラされながら、ウマーイは詩の言葉を想った。
すると常陸娘子は、ちんちんを口にしながら、気づく。
ウマーイは微笑む。
「詩について思っていてね」
常陸娘子は、ちんちんから口を離す。
「ヤマトには詩があるんだ。ヤマトだけじゃない。漢土――唐にも、すごい詩があるんだ。唐の詩は、すごかったよ。でも、ここにはないな、っておもったんだ」
「遠いところ」
「ここも、ヤマト。中央から遠いけれど。でも、遠くはない。遠くはないんだ。……アンダーグラウンドだって遠くはない。そしてアンダーグラウンドにすら詩歌はある。ヨモツヒラサカ(黄泉比良坂)に咲く花もある。詩もある。だから、ここにも詩があってもいいかもだよな、って」
そんな事、思いもしなかったけど、つい口に出た。
「東(アズマ)の言葉では、詩歌になりませんか?」
「ん?」
「蝦夷にも、詩があります。言葉があります。今はクゥ(一人称)もヤマト語を話してますけど」
「歌える、の?」
不用意に、ウマーイは、言った。
常陸娘子は、ゆらりと立ち上がった。
あっ、と思った。
天と地の間に、人として、正しい立ち方をされる、名もない常陸娘子。
「待て」
ウマーイは制止するが、その言葉は日常の言葉。
歌の世界、フィクションの世界、黄泉の世界――詠みの世界に至った演者に、現実世界の人間の諌止は、法は、届かない。
常陸娘子は、舞いだした。
長い脚が、すっと、着物からはだける。
その腿の当たりに、朱の黥(入れ墨)が見える。幾何学模様が描かれている。
その足が、大きく円を描く。まんこがチラ見えすると、まんこのまわりには、まん毛が多く茂っていて、それは深い森のようだ(きっと彼女の故郷のように)。
そして東国の声と言葉で、歌が出る。
ヤマト語でも漢語でもない、彼女の母国語。彼女が、命を育んだ言葉。
あめつちが、うごく。
空気が塊になり、この空間が言葉で、異世界になる。
伊毛我可度 伊夜等保曽吉奴
都久波夜麻
可久礼奴保刀尓 蘇提婆布利弖奈
ウマーイには、本気の東の言葉はわからなかった。
ただ、涙が出た。
女の身体は、舞っているうちにどんどんと、小さく、極小の点となり、それがいつの間にか、ウマーイの居る外の、奥の光景――ツクバ山となり、そこから、離別を示すのか。手を振る。
山であって、女であって、土地であって、国であるものが、今まさに、別れ、消えようとする。
いや、消えたのは自分ではないのか。
ウマーイは分からない。
ウマーイは、歌の中にいた。舞う常陸娘子。既に彼女は、ダンスそのものになって、消えている。
消える女。去る女。女の後ろ姿。
ミチヨ。
ウマーイは思い出される。働く女。こちらに振り向かない女。振り向かない女に育てられた。乳を吸った。ミチヨの小さな乳。だが、乳を吸うと、ミチヨのすべてを見ることはできない。近づけば近づくだけ、遠い。
働く女の顔が思い出せない。乳を吸わせてくれたかの女の顔が、思い出せない。
彼女はいま、遠くにいる。ナラにいる。今、平城京という新たな都に、彼女はいる。ここからでは、見えない。ナラの山々は、当たり前のようにきっと今もあるのに、ここからは、何も。
「ツクバ山、もう登られました? いい感じですよ、宇合さま」
記録官、そして斥候長として連れてきたのは、取材に定評がある高橋虫麻呂という男だった。
ウマーイはスーパーぼんやりしつつ、ツクバの簡易官舎で横になって、虫麻呂の報告を聞く。
「蝦夷共を手名付けましてな。そしたら仲良くなっちゃって。へへ。ピクニックどうですって言われて。いいですよー山。今度、中央から大友卿(大伴牛養)が来るんで、一緒に登ろうかなって」
「旅行気分だね」
「ええー。ピクニック長歌作ったんですよこの間、登った時、ツクバ山。天気が良くてサイコーでしたよ。聴きます?」
虫麻呂の長歌は、取材すると輝く。
逆に言えば、取材しないといまいち。
こいつは自分の中に、何か重要なものがない。そして何もないのを自覚しているのか。軽い。ただ、軽さの中に、どうしようもない寂しさがある。だから、こいつのもたらす斥候の情報は、いつだって悲しみが入り込む。
「……中央から帰還の命令が出ております。長屋王の御増長のこと。兄上様からの密命の事もありますでしょう?」
虫麻呂が、おどけてへらへらしながらウマーイに近づき、耳元でそう囁く。その一瞬だけ、虫麻呂の顔は猖獗が極まる。えぐい顔する。
藤原一族にとって、長屋王の台頭は脅威だった。や、単体で見れば、長屋王、気のいいおっさん。歌う詩歌もいい感じだし、ちょっとパワハラ気味だけど、振舞ってくれるお菓子もいい感じのナイスおじさんなんだけどな。
藤原家的に、ちょっと殺さないともう、無理かもしんない状況に、政治がなっている。
そして、政治に「殺す」という選択肢が、常に入りこんじゃってるのが、藤原家ってものなのだろう。乙巳の変(蘇我イルカ殺し事件)以来の、中臣≒藤原家の呪いなのかもしれない。
「大友卿のご訪問は、長屋王の差し金?」
「然り。大伴グループは長屋王サイドについちゃったっぽいです。この度の訪問はたぶん、宇合さまのお人柄――つまり、乱を起こしうるかを計られにいらしたのでしょう」
権力の中枢を握る長屋王はこの年、陸奥と筑紫の公民に対して1年間の調・庸を免除する令を発するが、ウマーイの赴任する常陸国には、その租税免除が発せられなかった。地味な嫌がらせだ。今だ混迷する常陸国に当然ありうる税免除がない事から、乱がおこることは必至であった。
「兄上に従い、帰還するか。あるいは、この地の乱の目をつぶさに殺し尽くし、常陸国を私領の如くまとめあげるか……」
「もともとこの常陸の国は、大伴グループがまとめ上げておりました。常陸に固執しすぎては、近衛兵を担う大伴グループと対立することになりましょう。得策ではありませぬ」
虫麻呂は軍師っぽい顔でウマーイにひそひそと話す。
「ここは、兄上さまと合流するため、一度奈良へご帰還を」
ウマーイはぼんやり、ゆうらりと立ち上がる。
帰るしかないのか。
ミチヨのいる奈良へ。平城京へ。
「わがせこを(我背子乎)
いつそいまかとまつなへに(何時曽旦今登待苗尒)
おもやはみえむ(於毛也者将見)
あきのかぜふく(秋風吹)」
倭歌を作るのは、あんまり慣れてはいない。
だが、ウマーイはこの常陸の国にいる間、意識的に詩歌を作った。
斥候長の虫麻呂の表の顔が歌人という事もあり、一緒に宴会や、朝礼のシメの場で詩を吟じるようにしていた。この地に、歌が残る様に。
蝦夷の人にもわかりやすく、文学がピンとこないヤマトの住民にも楽しんでもらえるように。ただそうなると、やっぱり漢詩は何を言っているのか分からないらしく。
しかたなく、簡単なヤマトのことばで。
短く。
短歌。
かんたん短歌。
何を言っているのかわかりやすく。平易な言葉で。共感しやすく。初心者でも舞いやすい音節で。
我が背子をいつぞ今かと待つなへに 面やは見えむ 秋の風吹く
あの人をいつか、今かと待ちながら、思い出せずにいる秋の風。
もう顔も思い出せないあの人を、待つって、それは、なんだろう。風。
ウマーイは、思い出せないミチヨの顔を想いながら、秋風の中に身体を揺蕩わせた。武人として、体を意識的に使う事は馴れている。だからといって、じゃあ舞いはどうかというと、これが難しい。
「いつぞ今かと」でリズムがとれると思って作歌したけど、舞ってみるとその畳みかけが結構うまく行かない。「いつぞ今かと」と「秋の風吹く」で振り付けをリフレインさせたいが、「いつぞ」と「秋の」が、いい感じに上手く重ならない。なんか無理してるミザンスになってる。
何度も、ウマーイは振り付けを変え、手の動かし、脚の動かしをトライしてみるが、しっくりこない。わざとらしくなってる。詩歌の方が、自然ではないからか? それとも「背子」と「面や」の対応の方を強くした振り付けの方が体の流れ的にいい感じになるのか?
「ウマーイさん」
常陸娘子が入ってきた。行李にはウマーイの荷物が丁寧に畳まれている。
「お仕度、出来ましたけど。舞ってました?」
「舞ってないよ」
「うそ。あめつちがうごいてました」
本当かよ。まだ未完成だよ、この歌。あと少し、何かが決定的に欠けているんだ。
「すきですよ。ウマーイさんの、その歌」
「俺は……遊行女婦みたいに、舞えないんだって」
「でも、クゥはすきです。だいすき」
一人称が「クゥ」って不思議だ。この常陸娘子は、毛の蝦夷よりさらに北の、北の、方から来たという。
「ウマーイさん。お別れですね」
ツクバの簡易陣屋は、すっかり家になっていた。なんだかんだ、常陸国を平定してから1年近く経とうとしている。陣のまわりには、なんか、畑もできちゃった。常陸娘子たちが種まき、収穫までしようとしている。
庭に出れば、青々と育った麻畑。
「ウマーイさん」
常陸娘子はウマーイの肩にもたれる。
「何」
「ちんちん、けっきょく一回も立たなかったですね」
「まあね」
「都には、ちんちんを立たせてくれる方がいるんですかね」
「どうだろう。もう死んでるかも。もう結構おばあちゃんだったし」
「年上好きなんだ。へえー、熟女好き。初めてみたかも」
「熟女というかおばあちゃん子なのかもね」
「でも顔、思い出せないんですね」
「あんなに好きだったのにね。俺、人じゃないからかもな」
「そうなの?」
「お父さん、不人って言って、人じゃないから」
「へえ」
「俺も人を殺すし。人じゃないかもよ」
「公務員なんだから、人、普通に殺すこともあるよ」
「そうか」
「クゥ、実は王族の娘なんだよね。生贄にされてきちゃったけど。はじめていうけど」
「えー知らなかった。ムツ部族のプリンセスなんだ。えーもっと大切にしたのに」
「王族、わりと人殺すから。でも、殺した人のことを、忘れてしまうようになったら、それは人でなしなんだよ」
「そんなもんかな。」
「おとうさん、クゥの事、きっともう、忘れてるしね」
「あー。……君、手ぇ、ぼろぼろだね。皮も剥けてる。酒粕塗るといいよ」
「ウマーイさん」
「なに」
「クゥがウマーイさんを好きになったら困りますか?」
ふくよかではない、栄養の足りていない肌。ごわつく髪の毛。そして、ゆるゆるした黒い瞳が、ウマーイをまなざす。
「どうだろう。人じゃないからわかんないかもなあ」
「そうか」
「忘れちゃうかもしれないしなあ」
「人でなしだから?」
「うん。人じゃないから」
どこかでずっと、人じゃない感覚がある。父・フヒトのような法作りマシーンみたく、分かりやすく人を捨てた感じじゃあなくて。
遣唐使行って、武官になって、戦って、殺して、政治して。どこか自分の意志ではなくて。「藤原」というポジションが、そうさせているっていうか。自分で自分のかじ取りをしていないっていうか。
詩歌を作ることも、そもそもはそこから抜け出せる楽しみがあったから作ってたのに。今や、自由に作れていない。いや、作るのは楽しい。ただ、作った後に、うまく舞えてないっていうか。
世のため、人のため、公民のため、詩歌をいかに遣うか、役に立たせるか。そんな方向で歌をプロデュースしようとして、振り付けをつけている感じがする。その振り付けが、とてもとても不自由で。彼女のように、上手く舞えない。
「最後に、舞っていいですか。作ったんです。うた。ウマーイさまのクニの言葉で」
常陸娘子は、気が付けば庭に立っていた。
背の高い麻の畑を背に。
その奥には、凛麗なる筑波山が見える。
「待っ」
制止しようとしたウマーイ。
歌われたら、きっと、何か起きてしまう。
「詠いますね」
聴かず、常陸娘子は、舞いだした。
長い脚が、すっと、着物からはだける。
第一声が、口からこぼれる。
ああ、国が。国土が、口から産まれていく。
その国は、この東の女のクニなのか。藤原の姓に縛られた、俺の住まえるクニなのか。
ウマーイは、この女の名を、忘れている。
「常陸娘子」としか、認識していない。数多く居た、遊行女婦――性奴隷、生活奴隷としかみなされなかった女。
でも、居た。
ここに、居た。
彼女は、忘れないで、と、詠った。
権力者のちんちんに、まんこ扱いされていた口から、ヤマトの言葉が流れ出た時、その垂れ流れたところが、国土になっていく。
その土は言う。
わすれたまふな。
ここにいた私を、わすれたまふな。
庭に立つ、麻手刈り干し布さらす東女を、忘れたまふな。
・・・・・・・・・・・・・
724年。やっぱり蝦夷が反乱を起こして、陸奥大掾・佐伯児屋麻呂を殺害してしまう。
一度は奈良に帰還していた藤原宇合は、持節大将軍として遠征軍を指揮し、常陸以北・陸奥の地の蝦夷たちを殺し、平定した。
のち、宇合は藤原家にとって政敵であった長屋王を殺す。
で、殺した後、ヤマトに疱瘡が流行し、宇合を含めた藤原四兄弟はみんな死んだ。
そう、そんな感じで、藤原宇合は死んだ。
子どももたくさん作ったが、長男が乱を起こして死んだ。みんな死んだ。
そう、みんな死んだ。
いろいろあったけど、みんな最後には全員死んだのだった。
(つづく)