別に書かなくたって生きていけるけど。

書いては消して。

書いては残して。

うーんと頭をひねって、言葉を変えたり増やしたり残したり、そういうことを画面に向かってうんうんとやっていることが多い毎日なんだけど、noteに書くものはもっとラフでゆるりと書きたいなと思って9月からは、「まいにち日記」とかかげてやっている。いた。

でも、どうしたってかっこつけの文章になってしまうみたいで。日記というだけあって、書くときはそれなりに自分をさらけ出す必要があるでしょう。

そういう日記は人様に公開してやったことがなかったから、難しいなあとちょっと立ち止まってしまった。

そういうときにとりあえず書いてみよう!とずんずん行ける性格だったら良いのだけど、変なところで頑固者で。納得いくまで進むもんかと自分と攻撃し続けてしまうやつなもんで、なんだかもやもやと滞ってしまっていたのです。

でもなんども立ち止まってもうやめちゃおうかなーなんて気持ちになっても、しばらく経てばこうやってまたPCに向かっているんだから、もう、これはそういうことだと思う。

自分の気持ちや考えを表現したり発信しなくても生きていける人だってたくさんいるのに、それでもやっぱり結局のところやめないのは、やめたくないからなんだろうなあ。

ずうっと前になんとなく観たテレビで、たしか、生田斗真くんだったと思うのだけど。その人のインタビューで「苦しいからやめてしまおうか、諦めてしまおうかと思うことはないのか」というような趣旨の質問をされたときに、どんなに苦しくても結局やめられないんですよね、と笑って答えていたのを思い出す。「だから、あるとき、諦めることを諦めたんです」と、彼は続けた。

諦めてしまうことが苦しいならいっそ開きなおってしまうことで楽になれることもあるのか、とそのときすとんと落ちてきて、いまだに思い出すときがある。

それから、これもまたずっと前に歌手のLiSAさんのライブに行ったときに「自分の好きなものくらい自分で守れ」と強く強く言っていたことも。彼女のことは、ソロでデビューしたときから見ていたから、言葉通りに戦って生きてきたことも少し知っていて。だから、それを聞いたときは自分と重ね合わせて少し泣いた。

自分のすきなものに忠実に生きるってとっても難しいし、しんどいし、苦しいけど、でも結局自分の機嫌って自分でとってあげるしかないと思うし、その方法もきっと自分しかわからないものなんだから、適度にうまく転がしてやっていくしかないんだよなあ。

いつ聞いたのかも思い出せない、彼や彼女の言葉を時折思い出してはううんと唸る。

別に書かなくたって生きていけるけど、わたしがどうしてもやっていきたいことのひとつがこんな風に書くことみたいだから、これからもやだなあやだなあと思いながらも続けるんだと思う。

きっと自分の機嫌を取るのが人一倍下手だし、今でも方法は全然わかんないけど、まだまだ諦めたくないし、守りたいし、その先に見えるなんかに向かって笑っていたいなと思うのです。

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