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子どもを守るナイトになりたい、といつかきっと/クローバーナイト
将来、結婚するかもわからない。ましてや、子供がいる想像なんて。
わたしはまだまだ自分のことがいちばん心配で、不安。だから結婚に対して特段何かを思うことはこの年でお恥ずかしながら正直全くと言っていいほどない。それでも同年代の人たちが結婚したり、子供を産む話も聞くようになってきて、縁遠い世界とは言えなくなってきた。
ただ、それでもあまりにもピンとこなくて子供の話を聞いても「かわいいねえ」という感想しか思い浮かばない。「小さい子どもは生きてるだけでひたすらにかわいい」というのがここ1、2年でやっと芽生えたわたしの辛うじての母性だ。
ところが今回『クローバーナイト』(辻村深月:光文社)を読んで、誰かと「家族」になるってとんでもなく尊いのかもしれない…と胸が熱くなってしまった。
【あらすじ】
鶴峯裕は同い年で大学時代からの付き合っていた志保と結婚し、5歳の長女と2歳の長男がいる。裕は公認会計士、志保は起業家。共働きの夫婦として保育園に通う2人の面倒を見つつ、子育てに関するさまざまな問題と接してゆく。
この物語はいわゆる保育園時代に一通り経験するであろう「保活」「お受験」「ママ友問題」「不倫」などなどさまざまな出来事が章ごとに触れられている。
それぞれの家庭があって、それぞれのやりかたがあって、そんなの当たり前のことなのに、他人の事情が気になってしまって「普通」に翻弄されてしまう。
自分の人生もあるいはそうだったかもしれない。だけど、きっと「子どものため」という自分じゃないからこそ「無理させたくない」「辛い思いをさせたくない」のフィルターがかかってしまってつらさやしんどさが浮き彫りになってしまうのだろうなと、読んでいて胃がぎゅううとなる感覚に襲われた。
育児にはまだ縁遠いわたしは基本的に共感しながら読むことはできないけれど、主人公の裕が感じたこの言葉だけは大きく共感できた。
「自分が子供のころは親というともっと圧倒的に達観した大人の存在なのだと思っていた」
どんなに理想の年齢像があってもそこに近づけない自分を感じる日々。
10代のころは25才くらいになったらある日突然、かっつかつのピンヒールが似合うようになるんだと思っていたけど、長時間歩くと疲れてしまうのであっさりやめてしまったし、似合っていたかも自信ない。
いつかの自分を変えるには結局今の自分を少しずつ変えてゆくしかないわけで、「出産」なんていう人生でもそうあるかないかのビッグイベントを乗り越えてさえ、いきなり「親」になれるかというと、それはまた別の問題なのかもしれない。
いつかわたしも「親」になるんだろうか。親になったときには裕みたいに、家族を守る「ナイト(騎士)」になれるんだろうか。なれたらいいな。
もしかしたら近い将来起きるかもしれない。だけどもしかしたら一生起きないで終わるかもしれない。そんな不確定ななんにもわからない未来のことを、丸ごと引きずりこんで自分ごとにさせて、感情揺さぶってくるから、だから読書が好きなんです。
— 佐倉 ひとみ📚 (@timmit46) June 2, 2019
あらすじだけみると辻村深月さんっぽくないって思うかもしれないけど、各章ごとに、ちょっとした「なぜ?」があってそれがきれいに解決する感じや、最終章で起こる、「自分に置き換えたらしんどすぎる…」って胃が痛くなるほどのやりとりは「これぞ!」の連続なので、感想読んだなかで出てくるほど異色作だとはわたしは思わなかったな。
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