机の下には夢がある
小さい頃、学習机の下に潜り込むのが大好きだった。
机の下にある棚にお気に入りの本を並べて、ときにはお茶や牛乳とをいれたマグカップを持ち込んで、毛布とランプと一緒に潜り込んで、自分だけの秘密基地を作った。そこで読む物語は何もないところで読むよりもずっと”特別感”があって面白くて大好きだった。
ドラえもんは机の引き出しからやってきたけど、私がちょっと不思議に出会えるのなら、それは机の下からそっと出てくるんだとあの頃の私は信じていた。
いつしか大きくなって学習机を使うこともなくなってしまったけど、すきまとかはじっこが妙に落ち着くのは、あのときのわくわくがあるからなのかなとちらりと思う。
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石井睦美さんの『つくえの下のとおい国』。
この物語のマナが不思議な世界に入り込むのは学習机じゃなくておじいちゃんの古い机だ。
学習机よりもおじいちゃんの机のほうがずっとずっと素敵かも。
その机に妹のリオと一緒に入り込んで、ふたりだけにしかわからない遊びが始まって、なにがなんだかわからないけど爆発的に面白くて笑いが止まらなくなる感じ、そういえばわたしも兄と経験したことがある。
あとから思うと何で笑っていたかもわからないけど、あの瞬間は確かに世界に私たちしかいなかった。
あそびはこれからおもしろくなるのはたしかでした。それも、いつもよりずっとおもしろくなるぞ、すごくおもしろくなるぞという感じを、マナはからだじゅうで受けとめていたのでした。
そんなふうにして、マナとリオは近いけどずっとずっととおい国へほんとうに行ってしまって、ちょっぴりだけ冒険をします。
だけど、その国はマナとリオのための国じゃなかったから一面にもやがかかっていて。
近くて遠いのは、その国は誰もが小さい頃行ったことがあったから。そして、大人になるにつれて少しずつ行かなくなっていったから。
誰もが自分だけの小さな小さな国を持っていて、その国には今でもたくさんの人がいて、いつでも本当は帰ることができる。
だけど、いつからだろう。もう行き方がわかんなくなっちゃったなあ。
わくわくする感じ。楽しく楽しくて、世界に私だけしかいなくてもいいかもって思っちゃうくらい没頭できる瞬間。
そういう時間を無理やりにでも久しぶりに作ってみようかな、そんな風に思える読後でした。