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司馬遼太郎を追いかけた旅
司馬遼太郎との出会い
司馬遼太郎といえば、歴史小説家のイメージが強い。やはり、「坂の上の雲」や「竜馬がゆく」といった超大作を書いた作家だからだろうか。(以下、親しみを込めて”司馬さん”と記載)
僕が司馬さんを初めて目にしたのはテレビだった。中学生くらいの頃だったと思う。白髪に眼鏡を掛けた司馬さんがソファに1人で腰かけ、そしてひたすら楽しそうにベラベラ喋っている。親父はそんな司馬さんの話を聞きながら時々笑っていた。
正直、僕にとって一体何が面白いのか全く分からなかった。中学生の僕には、何か小難しい話をしている白髪のおじいちゃんにしか見えなかった。
*
そんな僕が、大学時代に司馬遼太郎の「最後の将軍」という本に出会った。海外を1人旅していた時、泊まった宿の廊下にあった本棚に表紙カバーも無く汚れた本を見つけた。
司馬遼太郎という作家の名前は知っていたが、本を読んだことは全くなかった。その本を何気なく手に取った。結局、その宿に泊まっている間に一気に読み切ってしまった。
アメリカを旅をしている最中、また司馬さんの本に出会った。
ニューヨークで暇つぶしに入った書店で見つけた「アメリカ素描」という本だ。
「司馬さんがアメリカに?」
と、僕は思った。結局そのまま購入した。ちょうどアメリカで旅を始めたばかりの時だったので、後々この本を読みながら司馬さんが本の中で訪れたオークランドやサンタバーバラといった街も実際に歩いてみた。
司馬さんもここを歩いたのか!という純粋な嬉しさと臨場感が、僕にはたまらなかった。
その頃から司馬さんの読んだ本は、僕の身近な場所にある。
司馬遼太郎を追いかけた旅
旅から帰国して後、本場アイルランドの酒場に惹かれたこともあって都内のアイリッシュバーでアルバイトをしていた時期がある。
幸運にも、ここで出会った友人と司馬さんの話でたまたま意気投合した。今まで読んだ作品の情報交換をしつつ、あの作品の名場面とか名台詞とか、断続的に「余談ながら...」を挟んでくる司馬さんの魅力を語り合う。
僕がアイルランドのことをその友人に話すと、「愛蘭土紀行」を僕にくれたほどである。仕事中の合間も、司馬さんの話をよくしたものだ。やがて、
「行っちゃいますか!」
とうとう司馬さんを追いかける旅に出るまでになる。その名も「司馬さんを追いかける旅」だ。
僕もその友人も20代前半で体力もまだ有り余っている。いかに旅費を抑えて、いかにたくさん巡るか。
移動手段は軽自動車のレンタカー。男二人の旅だったが、僕たちの意思に反して選ばれたその”相棒”は、ピンク色の軽自動車だった。
確か3日か4日ほどだったと思う。が、なぜかビジネスホテルに1回しか泊まった記憶がない。かなり切り詰めた覚えがある。東京からピンク色の軽自動車で夜中の高速を疾走した。訪れた場所を記すと、ざっとこんな感じだ。
・司馬遼太郎記念館(大阪府)
・司馬遼太郎の自宅(大阪府)
・司馬遼太郎が幼少期を過ごした家(奈良県・竹内街道)
・桂浜 坂本龍馬像(高知県)
・坂本龍馬記念館(高知県)
・坂の上の雲ミュージアム(愛媛県)
・秋山兄弟生誕地(愛媛県)
・讃岐うどんを食べる(香川県)
「讃岐うどん」は、余計だったかもしれない。しかし、なぜこんなに頑張ったのだろうかと不思議に思う。今だったら、間違いなくピンク色の軽自動車でわざわざ夜通し走って行くことはない。
ここでは、それぞれの場所について細かく書くつもりはないが、「司馬遼太郎記念館」でのちょっとした出来事だけ記しておきたい。
打ちっぱなしのモダンな建物の中には、高さ10メートル以上におよぶ高い天井とその壁一面に膨大な蔵書(約2万点)が展示されている。実際、司馬さんの自宅には6万点の蔵書があったというから、館内にあるのはその3分の1に過ぎない。だが、それが地面から天井に至る壁一面に美術館のように展示しているから美しく壮大に見えてくるのだ。
圧巻の光景を友達と一緒に眺めていると、そばにいた案内係の女性が駆け寄ってきた。
「じつは、来館者の方だけにちょっと面白いものがあるんです」
「あの壁の一番奥へ行って、天井を見上げてみてください」
と、その場所を指さしながら言ってきた。
「この記念館が完成した時は何もなかったんですが、じわじわとその染みが浮かび上がってきたんです。その染みは...」
僕はその場所へ行き、天井を見上げた。見上げた瞬間、すぐに分かった。
その染みは、紛れもなく坂本龍馬だった。
決して鮮明ではない。(逆に鮮明であり過ぎたらリアリティがない)
坂本龍馬のあの後ろ髪や輪郭とはっきり分かる。黒ずんだ染みがぼんやりと絵のように浮かび上がっていた。実際に訪れたことがある司馬遼太郎ファンの方は、この天井の坂本龍馬を目にしたことがあるだろうと思う。
案内係の女性は感慨深い表情でこう言っていた。
「坂本龍馬のことをあれだけ想い続けた司馬先生ですから、龍馬を呼び寄せたのかもしれませんね」
司馬さんは、歴史上の人物を主人公にした数々の小説を描いた作家だが、著書「手掘り日本史」の中でこう述べている。例え話は、残念ながら竜馬でなく秀吉だが、主人公の世界にどっぷり入り込む司馬さんの強い作家魂が伝わってくる。
私は、ひとつのことを書くときに、その人間の顔だとか、その人間の立っている場所だとか、そういうものが目にうかんでこないと、なかなか書けないのです。たとえば、秀吉のところに一人の使者がやってくる。そのとき秀吉の前に、小説には書かなくても、どれくらいの人数がいたか、空は晴れていたかどうか、その付近には松林があるか、それは若松で鮮やかな色をしていたかどうか、ということが気になるのです。
司馬さんが龍馬の目となり、本人になり変わってあの時代を生きたことを想像し、難渋しながらも龍馬を眺め続けなければ、あの「竜馬がゆく」という名作は決して生まれることはなかっただろうと思う。
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