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「沈没家族」を読んで

知人から「沈没家族」という本が面白いからということで本を借りて読んでみました。映画にもなっている話だそうで、本の著者とその映画監督は、加納土(かのう つち)さんです。土さんの母である、加納穂子(かのう ほこ)さんがシングルマザーになったときに「共同保育」をしたい思いから始めたものが、のちに「沈没家族」と呼ばれるものになっていったそうです。ですので、著者の加納土さんは共同保育を受けて育った当事者ということになります。

型破りすぎない?!

本を読んだ感想は、一言でいうと「とにかく破茶滅茶だけど楽しく人生送っている人ばかりだな!」です。とにかく普通の発想では「共同保育」なんて思いつかないし、家族でもなんでもない、知らない人がいつも家にいる状況は、なかなかないと思います。しかも、そこにいる大人はタバコは吸うし、お酒も飲みまくっているとか。でも、そこで幼少期を過ごした土さんと幼馴染のめぐさんは、大人になってから沈没家族を振り返った時に、二人して「悪くないな」と思ったそうです。

膨大な記録が残っている!

常識で考えると「そんな環境で子供がまともに育つのか?!」という考えになってしまいますが、結論から言えば土さんもめぐさんも至ってまともに育っています。

その理由は「保育ノート」と呼ばれる日々の活動記録と、フリーペーパーの存在だと私は思いました。共同保育に関わる人々が、日々何をやったのか、どう考えていたのかを詳細にまで記録していたそうです。その文量は、およそノート10冊分。その内容はいたって真面目な内容で、お酒を飲みながら子育て論を語り合っていたとか。

沈没家族に関わる人々は、親である穂子さんやしのぶさん(めぐさんの母)以外は、土さんやめぐさんを育児する義務や責任はありません。しかし、そこにいる人々が真剣に考え、真剣に向き合っていることが、私にとってはものすごく「素晴らしい!」と思ったことですし、その環境があることが非常に羨ましいと思いました。

逃げ場はある?!

穂子さんが共同保育を始める際、保育人募集のチラシを駅で配っていたそうです。そのチラシに「ハウスに閉じこもってファミリーを想い、他者との交流のない生活でコドモを(自分も)見失うのは、まっぴらゴメンです。」という一文があります。

私も子供がいますので、この気持ち良く分かります。そして、自分の場合は子供が小さい時に出張が多くて家になかなかいなかったので、この文章を読んだ時に、妻に申し訳ないことをしたなと改めて反省しました。

小さい子供の子育ては本当に大変です。だいたい言うこと聞きませんし、何するのか予測不能ですから。それを誰の助けもなく行うことは、非常に大変なことです。しかし、今の日本はそういう状況に陥っている母親が、かなりの数いるのではないかと思います。夫がいても帰りが遅い等でワンオペ状態になっていれば、誰の助けもないのと同じです。これは、核家族化による弊害なんだろうと思います。

「沈没家族」は他でも出来るのか?

沈没家族という名称は「男が働きに出て、女は家を守るという価値観が薄れている。離婚をする夫婦も増えて、家族の絆が弱まっている。このままだと日本が沈没する」というチラシを街で見かけたことがきっかけだそう。ちなみに、この話は1990年後半の話です。バブルが崩壊して、価値観が変わっていく真っ最中とも言える時期です。

沈没家族の内容だけを見ていると、流行りのシェアハウスのシングルマザー版とも言えます。ですので、沈没家族が始まった約20年前と比較すると、簡単に出来る気がします。

しかし、この沈没家族の肝は「関わる人々が如何に真剣に人生を生きているか」ではないかと思います。自分の信念があり、相手にも信念があることを尊重した上で、真剣に議論する。時には取っ組み合いの喧嘩になるかもしれませんが、本音をぶつけ合って相手を理解する。これは今の価値観だと「ダサい」と思われてしまうものかもしれません。

でも、本音をぶつけて真剣に議論した先に、お互いを理解して協力して生きていく世界があるように思いました。少なくとも沈没家族に携わる人々やそうやって生きている感じを受けました。

私は世の中で困っている人々を助けたいと思っていますので、この本を読んで、沈没家族のようなスタイルを、いつか世の中に提供したいと思っています。同時に、自分も自分の人生と真正面から向き合い、真剣に生きていかないと、沈没家族のようなスタイルの実現が出来ないことを痛感しました。

日々、生きていることを実感しながら、丁寧に大切に生きていきたいと思います。



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