タイに生まれ、日本でハングリーに生きる【タイムカプセル大学 Vol.20】
ーーでは改めて、日本に来てからの話をお願いします。
日本に行くときに、日本語はある程度わかるし、IT企業はプログラミング言語がわかればOKだから、仕事は大丈夫だろうと思いました。今思うと浅はかでしたが。
初任給12万なので感動しました。だってタイの約10倍ですよ。すごい。
でも当時、他の日本人の社員と比べたらめっちゃ低かったんです。
正社員でフルタイムでフル残業でこの値段っておかしいじゃないですか。
なんでこんなに低かったかというと、タイから来た人ということが分かっていて、現地採用価格だったんですね。
ーーそれはものすごく低いですね…。
最初は、すげえ!と感動していました。
でも、すごくないぞ?ということに途中で気がついたんです。
この給料じゃタイに仕送りできないぞ?と思いました。
兄弟とかも、「日本に行った=仕送りできる」と思ってしまっているので、まずいぞ、と。
最初の会社はそんな感じだったので、2〜3年で転職することにしました。
タイの学歴は日本では通用しないし、海外出身の自分をあえて採るメリットを自分で作るしかないと思いました。
これができませんっていうのがあると採ってもらえないので、サーバー・インフラ・フロント・バックエンド等、やったことがない分野でもやれることはなんでもやろうと思ったんですよね。
ーーだから今、いろんな事ができるんですね! 転職先はどうなったんでしょうか?
給料が良くて、なんでもやらせてもらえて、経歴を問わないということで、アダルト業界で就職しました。
その当時、その業界で実力をつけてからホワイト企業へ転職するプログラマーは多かったと思います。
そこで、入社して1日目からサーバー20台を預けられたんです。こんな大規模なサーバーを触らせてもらえる経験はそうそうないんですよ。
でも、会社は「なんでもやらせてあげる」って言うんです。なぜなら上の人たちがITのことをわかんないから。
必要があればなんでもやらないといけなかったので、必死に勉強しつつなんとかこなしていました。
ーーサーバー20台って想像もつかないです。具体的にどんなことをされたんですか?
夜の世界って、1日数十万数百万が舞う世界なんですよ。にもかかわらず、会計関連は全て手書きで処理していたんです!
フランチャイズで何店舗かあって、「貸借対照表(BS) や 損益計算書(PL)をお店に行かずに見たい!」と言われたんですが、まず経理のことがわからない。
仕入れとか原価とか掛け率とか分からないから、図書館で経理簿記の本を借りて読んで、死ぬ気でシステムを作っていました。
それまで全部手書きだったものを、システム化したんです。
そうやって色々なスキルを得たときに、表の世界で真っ当に生きたいと思いました。給料手渡しの世界じゃなくてきちんと振り込んでくれる世界、ホワイトな会社に行きたい、と。
ーー夜の世界は給料が手渡しなんですね! その後はホワイトな会社にいけたんでしょうか?
これくらい色々幅を持つと、”社内SE”の需要にマッチするんですよね。
10年くらい前のIoTの走りです。
アパレルメーカーに就職して、まず全部署一気に回りました。
タグつけ、出荷伝票を書く、通販の梱包作業、一個一個のところは短時間ですが、全部やらせてもらって、その経験から何かを学べ、改善点があればそれを全部IoT化しよう、と言われました。
ーー全部署! それはすごいです!具体的にはどのようなことをやったのでしょうか?
たとえば通販でロスが大きいのは、実は「ガムテープの長さ」なんです。
そこで、段ボールのサイズを揃えて、ガムテープの長さを固定して、コストカットを図りました。
あと、誤発注をなくすようにピッキングシステムも作りました。
持ってきた商品と注文された商品が同じかどうかをチェックするシステムですね。
それを人間の目でやると絶対間違えることがあるので。
そうやって、業務を知る→作るという流れを覚えました。
飲食店だと皿洗いからはじめて、アプリやシステムを作る、ということを、30過ぎまでしていましたね。
ーー日本に来てからもものすごい経験をたくさんしていますね…! ものすごいパワーを感じます。
発展途上国はがむしゃらじゃないと生きていけないんです。
中国とかもそうだと思うんですが、生きるのにハングリーなのは先進国民ではなく発展途上国民のほうだと思いますね。
今の日本の40〜50代の方のがむしゃらさが、タイの我々の世代のがむしゃらさと似ていると思います。ひとまわり以上遅れているんですが、日本の背中を見て走っているので、同じような感じです。