真っ黒な日々
前回の投稿では真っ白な日々について綴ったが、今回は真っ黒な日々について発信したいと思う。
なぜ"綴る"と"発信"を分けたかと言うと、前回は決意を固めるために自分に向けて書いたようなものだが、今回は誰かに届いてほしいと願って書くからである。
実は、今から書く内容は友人にも家族にも打ち明けたことがない。
今回その内容についてオープンにすることが自分にとってプラスかマイナスか分からないが、これを見て励まされる人がいればいいなと思う。
"皮膚むしり症"
"皮膚摘み取り症"
"スキンピッキング"
このワードを耳にしたことがあるだろうか。
最近でいうと、約1年前になるが、有村藍里さんが「皮膚むしり症」を公表したことが話題になり、聞いたことがある人もいるかもしれない。
そして、私もこの「皮膚むしり症」に悩まされている1人である。
なんだそれ?と思う方も多いと思うので簡単に説明すると、何かしらのストレスや不安がきっかけとなり、自分の皮膚を引っ掻いたり剥がしたりを繰り返す行為で、強迫症と似たものである。
むしる行為をしている時やむしった直後は安堵感や満足感を感じるのだが、傷だらけになった皮膚を見て強い後悔の念や嫌悪感を抱く。
やめたいのにやめられず、気づいたら何時間も鏡の前で皮膚をむしり、日常生活にさえ支障をきたしてしまう。これを皮膚むしり症と言う。
なぜそんなことをするのか?と思うだろう。
当事者の私でさえそう思う。
...が、やめられないのである。
私が皮膚むしり症に悩まされるようになったのは大学受験期からである。今思えば小学生や中学生の頃から、口の内側の粘膜?皮?を歯で噛んだり、親指の爪を深爪になるほど剥いたりと、その兆しがあったと言える。しかし、その時は自分の中で問題視していなかった。
高校3年生の受験シーズンに入り、家に引きこもって勉強するストレスと、ニキビができる時期が重なり、最初はニキビを潰す行為から始まった。そして、ニキビを潰す快感が癖になり、初めは手で潰していたのが、次第にピンセットやプッシャーを使ってより強くむしるようになった。
しかし、顔の傷をみた友人に「え?大丈夫?」と言われたことに強い恥ずかしさを感じ、高校生の頃は何とか自分で気持ちを抑え、行動をセーブすることができた。
そのため、高校時代はそこまで酷くならずに済み、あまり気に留めることもなかった。
そして、無事受験を終え、いよいよ待ちに待ったキャンパスライフがスタートした。
....はずだったが、人見知りで臆病な私は新しい環境になかなか馴染めず、そのストレスが再びむしり行為への衝動を駆り立てた。
最初は軽くむしる程度であったと思うが、いつしかそれがエスカレートし、気づいたときには何十分、ときには数時間にもわたってむしるようになり、顔が傷だらけになっていった。
そして、傷を隠すようにキズパワーパッドを顔中に貼りまくり、外出するときは顔の傷を隠すようにマスクを常用し、人の視線を避けるように顔を伏せた。いつしか人の目を見て話すことも怖くなった。
大学生活で一番困ったのは食事のときである。傷が酷いときは友人に何かと理由をつけ、人目につかない場所で一人で食事をとっていた。
休日は外出するのが億劫になり、ほぼ家に引きこもっていた。
そんな生活が、そんな自分が本当に憎くて、苦しくて、
死にたいほどだった。
そんなどん底にいたある日、ネットで自分の行為について調べてみた。すると、当時は今ほど情報は多くなかったが、皮膚むしり症に関するサイトをいくつか見つけ、「自分はこれだ!」と即座に思った。そのサイトを見つけたときは、「これは一種の病気なんだ」という驚きと、「悩まされているのは自分だけじゃないんだ」という安堵感が入り混じったような気持ちだった。
皮膚むしり症の治療に取り組んでいるクリニックも見つけたのだが、ほぼ引きこもり状態でバイトをしていなかった私には、金銭的にクリニックに通うことが難しかった。
家族に打ち明ければよかったのだが、当時は(今もだが)その勇気が出なかった。
結局、今でもクリニックに通うことなく自己治療?を行っているわけであるが、大学時代に比べたら幾分かマシになってきた。それは、特別な治療方法を見つけたという訳ではなく(ネットで調べていろいろな方法を試してみたが、結局どの方法も長く続かずダメだった)、ただ、就職して外出する時間や人と関わる機会が増え、相対的にむしる時間が減ったからだと感じる。
今でも日によって波があり、強い衝動に駆られコントロールできなくなることもある。
皮膚むしり症になってから、
「なんでこんな風になってしまったんだ」「皮膚むしり症さえなければ...」とネガティブに考え、塞ぎ込む日も多かったが、最近は「この経験があるからこそ、同じように悩んでいる人の痛みが分かるようになった」とポジティブに捉えるようにしている。
そして、誰かの心の救いになればと思い、この経験を発信しようと決心した。
長々と話したが、今これを読み共感してくださっている方に私が伝えたいことは、
"きっと、大丈夫"
ということである。
「.....?何を根拠に?」と思うかもしれないが、これは私がよく自分に言い聞かせている言葉である。別に根拠などないが、でも、繰り返し言い聞かせている。
そのうちに、何だか気持ちが落ち着き、「まぁどうにかなるか」と、思うようになる。
この言葉を心の片隅においていただければと思う。
それでは、今日も一日おつかれさまでした。
またね。
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