そうだ、飛鳥に行こう(前編)
「最近研究室とバイト先と家の往復ばかりで遠出していないな」
そう思った私は、ボサボサの寝癖を急いで直し、上着を羽織って家を飛び出た。
研究が思うように進まないという苛立ちもあったかもしれない。日々の中でやらなければならないことの多さと、それに対する時間のなさ、また先行研究に向き合えば向き合うほど浮き上がる自分の無能さにむしゃくしゃしていたようにも思う。
そんな様々な思いを胸に、家を飛び出した私は地下鉄に飛び乗り京都駅へ向かっていた。
京都駅に着くと、そこは多くの人で賑わっていた。ここ数年コロナの影響があり、インバウンドだけでなく国内旅行者も減少していた京都であるが、だいぶ活気が戻ってきたように思う。修学旅行生の団体を横目に私は近鉄電車のホームへ向かった。
目的地は飛鳥。飛鳥に行くのは実に15年ぶりである。
橿原神宮前駅行きの特急券と駅弁を購入し、特急の発車時刻まで喫煙所で時間を潰す。
タバコに火をつけながら、飛鳥に着いてからのプランを練る。すでに時刻は14時。橿原神宮前駅に到着する頃には15時を過ぎてしまう。高松塚古墳と石舞台古墳は行きたいな、そう思いながらホームページを見ていると、高松塚古墳の壁画館も石舞台古墳も17時には閉まってしまうではないか。私の中に焦りが生まれる。
そうこうしている間に、特急の発車時間が迫ってきた。タバコの火を消し、急いで電車に乗り込む。
どのみち特急に1時間近く乗らなければならないのだ。ここでジタバタしても仕方はない。先ほど買った駅弁を頬張りながら、プランを再度考える。
高松塚古墳はなんとしても行きたいな、できれば石舞台古墳まで行きたい。でも今日はいきなり決めたプチ旅行だし、そんなにたくさんの場所を無理に回る必要はない。一番の目的は飛鳥の空気を感じてリフレッシュすることだと自分に言い聞かせ、自分の中の会議が終了した。
駅弁を食べ終わると、ずっと窓の外を眺めていた。田畑や民家、そして時々工場やパチンコ店が立ち並ぶ、ごくありふれた田舎道の中を電車は駆け抜けていく。田んぼの多くはすでに稲が刈り取られ、少し物寂しげな中に力強さも感じられるような青々とした絨毯がそこには広がっていた。
車窓から景色を眺めているとあっという間に橿原神宮前駅に到着した。ここから飛鳥までは歩くと30分、電車に乗ると4分で着くが次の電車が来るまでには25分かかる。さてどうしようかと思ったが、今日の私は迷わずタクシーに乗り込んでいた。こんなところでゆっくりしている暇はないのだ。早く飛鳥に向かわねば。
タクシーに揺られること10分、飛鳥駅に到着した。
時間的にはタクシーでそのまま高松塚古墳まで行った方が良かったような気もしたが、なんとなく今日は自分の足で歩きたかった。歩かないと、わざわざ飛鳥まで来た意味がないような気がした。
とにもかくにも飛鳥まで辿り着いた。15年ぶりに降り立った飛鳥は、とても雄大で小さな悩みなんて吹き飛ばしてくれそうな気がした。時折私の頬を撫でる風は、私を歓迎してくれているようだった。
さて、ここからまずは高松塚古墳へ向かう。飛鳥駅を背に緩やかな上り坂となっている県道209号線を歩いていく。
県道209号線は片側1車線ずつの道路で、歩道は一応整備されているが、道路脇から伸びた草や木から垂れ下がる葉っぱが時折私の体に絡みつくような道だ。そしてその脇には田畑や民家が並び、のどかという他ない景色が広がっている。
秋晴れの下、草木に捕まりながらも足早に歩を進めていると「高松塚、国営飛鳥歴史公園館0.3km」の標識が見えてきた。
ここまでの道のりでほとんど人とすれ違うことはなかったが、高松塚古墳が近づくとちらほらと人も増えてくる。歳が変わらないような若いカップルから子ども連れの家族、老夫婦まで様々であるが、ここにいる人々はどのような想いを持ってここに来ているのだろうか。考古学に興味があるのだろうか、それともただ自然を感じに来ているのだろうか、家が近くで散歩コースの一部なのだろうか。道ゆく人々に想いを馳せながら、ついに高松塚古墳に到着する。
そこには快晴の下で西日に照らされた芝生が光り輝く、お墓と言うには美しすぎる小高い丘が存在していた。
高松塚古墳が築造されたのは約1300年ほど前だと言われているが、ここら一体の景色は当時から変わっていないのではないかと思わされる。それほど現代社会とはかけ離れた空気と景色が確かにそこに広がっている。特別規模が大きいというわけではないが、それでもやはり圧倒的な存在感を放っているように思う。
そんなことを考えながら古墳の周りをぐるりと一周し、壁画館の中で発掘された副葬品や壁画を見て回っていると、時刻は16時を過ぎようとしていた。
(後編へ続く)
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