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竹五郎さんとマナティー〜FUKUSHIMA TRILOGY Ⅰ(47)

〈前回のあらすじ〉
 居酒屋で黒尾と別れたあと、ほろ酔い加減のまこととかおりは千鳥足でホテルへの帰り道を歩いた。その途中、おもむろにかおりが顔の痣のことについて話し始めたので、諒は身構えた。高木との関係を知ったかおりの父親は、そのことに怒り、かおりを殴った。しかし、そこには親と子の関係を越えたいびつな行為が行われていたことを知り、諒は混乱する。そして、かおりを蔑み、突き放し、一人ホテルを出ていったのだった。 

47・そうね、モロモロね

 翌朝、かおりは部屋に鳴り響く電話のベルで目覚めた。かおりの隣には諒の姿がなく、ただ昨夜に脱ぎ散らかした自分の衣類が散乱しているだけだった。

 居酒屋で食事をとった帰り道で諒と口論になり、一人でホテルに戻ったかおりは、身体の中に疼く性欲と諒を可哀想だと思っていた自分の傲慢に押し潰されそうになり、泣きながらマスターベーションをした。

 しかし、何度到達しても、かおりの中で膨張を続ける後悔は止まらず、いつまでもそれをやめることができなかった。いよいよ、カーテンの向こうが薄く白み始めた頃、かおりは眠気に負けて、ようやく自慰行為をやめることができた。

 だから、電話のベルで目覚めたときには、かおりは全裸だった。

 ベッドサイドのデジタル時計を見ると、時刻はまもなくチェックアウト時刻の10時になろうとしていた。かおりは慌ててベッドから飛び起きて、ベッドサイドの電話を取った。すると、チェックアウトを促すフロントクラークの声ではなく、聞き覚えのある男の爽やかな声が届いた。

「かおりちゃん、ちゃんとパンツ履いてるか?どうせ、諒と楽しい夜を過ごしたんだろ?」

 どこかで見ているのではないかと、かおりは慌ててブランケットを引き寄せて陰部を隠し、辺りを見回したが、まさか監視カメラがあるはずもなかった。全て、黒尾の軽口だ。だが、後半の見込みは外れていた。このツインの部屋にいるのは、かおり一人だけだった。

「おはようございます。ちゃんとパンツ、穿いてますよ」

 かおりは黒尾を欺いた。

「そっか、それじゃあ、そろそろオレもパンツ穿かないとな」

 そう言って、黒尾は軽快に笑った。それに合わせて、電話の向こうで女の人の笑い声も微かに聞こえた気がした。

「実は昨夜の帰り道、わたしたち喧嘩をしてしまって、諒くんは夜のうちにホテルを出ていってしまったんです」
「何ぃ!?」
「ごめんなさい」
「どうして、かおりちゃんが謝るんだ?」
「わたしがお父さんに殴られた訳を、諒くんに話したんだけど、うまく伝えられなくて……」

 かおりは電話の受話器を両手で持ったまま、シクシクと泣き出した。カーテンの向こうからは黄金色の陽光が差し込んでいた。おそらく外は快晴だろう。

「オレたちを出し抜くとは、大した奴だ。だけど、行き先はわかってるんだ、カッコつけて一人旅を決め込んでも、オレたちはいつだってあいつを捕まえられる」
「え!?追いかけるんですか?」

 ベッドの縁に腰掛け、ブランケットを柔肌に巻いたかおりが、驚いて言った。

「乗りかかった船だ。いや、待てよ。どちらかといえば、オレの船からあいつが降りていったんだよな。まぁ、どちらでもいい。とにかく、オレはオレなりに、この旅を最後まで完遂させてやる」

 そう言った黒尾を、やはり頼もしいとかおりは思った。

「どうせお前たちのことだから、朝までヤリまくったんじゃないかと思って、チェックアウトの時間を11時にしてもらっていたから、ゆっくり支度していいぞ。もっとも、オレの方もモロモロの事情があって、寝坊をしたんだがな」

 黒尾はかおりの返事を待たずに電話を切った。通話が切れる間際に、電話の向こうで「そうね、モロモロね」という、やはり女の人の声が聞こえた。

 かおりは黒尾からの電話を切ったあと、身体に巻いたブランケットを再び剥ぎとり、裸のままベッドを降りた。しかし、寂しさに任せて一心不乱で自慰に没頭したせいか、足に力が入らず、危うく転倒するところだった。自分の身体の中心がまだ十分な熱を持ち、指で激しく弄んだ陰部は、今も優しい痛みを帯びていた。

 シャワーを浴びて、髪を乾かし、薄い化粧をしてからロビーに出ると、ちょうど黒尾が誰かを見送ったところだった。

「今、出ていった人って……」

 かおりはどことなく見覚えのある女性の後ろ姿を記憶の中に探しながら、黒尾に尋ねた。

「昨日の居酒屋の店員だよ。焼き茄子を運んできてくれた」黒尾はかおりにそう言いながら、フロントクラークから宿泊代金の領収書を受け取った。「驚くなかれ、彼女の名前も『かおり』だったよ。彼女の場合は『香水』の『香』に『機織り』の『織』で『香織』と書くそうだが」

 そうあっけらかんと答える黒尾の前に立ち尽くしたかおりは、つくづく黒尾のバイタリティーに圧倒された。しかし、それこそ黒尾という男の真髄ではないかとも思え、微笑ましくもあった。

「あの……」

 レイトチェックアウトの分の精算も済んだので、いざホテルから出かけようとしたところで、黒尾とかおりはフロントクラークから声をかけられた。

「先に出かけられたお客様が、これを預けていかれました」

 そう言って、フロントクラークは小さな封筒を差し出した。それはただしが獲得し、諒が受け継いだ旅行券だった。おそらく黒尾とかおりが福島に戻るのならば、その道中で使うようにと諒が置いていったのだろう。

「あいつ、生意気なことしやがって」

 そう言って、黒尾はしたたかな舌打ちをした。でも、その顔はどこか嬉しそうだった。

「オレは諒を追うが、かおりはどうする?」
「わたしも、行きます!」

 かおりの意気込みに迷いはなかった。まだ諒に伝えられていないことや伝えたのに伝わり切らなかったことが、きっとあるのだろうと、黒尾は思った。

 ここからは諒を欠いた二人旅になるので、かおりはワンボックスカーの助手席に座った。

「東名高速道路に乗って、悠々と富士山を眺めながら、静岡県に入り、そのまま駿河湾の縁をなめるようにして、清水に入る。そんな行程だ。おそらく日が暮れる頃には、清水に着くだろう」
「はい」
「静岡は茶処でもあるが、みかんやいちご、海の幸もうまいと聞く。一人ぼっちで電車に揺られている諒は、熱海の駅のホームで立ち食い蕎麦を食うのがせいぜいだろうから、たくさん美味いもの食べて、悔しがらせてやろうぜ」
「そうですねっ!」

 黒尾の運転でホテルの駐車場を出ると、ほどなくしてワンボックスカーは東名厚木インターチェンジから東名高速道路に乗った。

 助手席のかおりは、フロントグラスから差し込む日の光とタイヤがアスファルトを蹴る音を子守唄にして、小さく蹲り、すっかり熟睡してしまった。その姿は、まるで厳しい寒さを超えるために冬眠に入った小動物のようにも見えた。眠っているときのかおりは、なんの苦しみもなく、とても幸せそうに見えた。

 竹五郎さんとマナティー〜FUKUSHIMA TRILOGY Ⅰ(48)につづく…。

〈あらすじ〉
 父親を心中で、兄の直(ただし)を自殺で立て続けに失った諒(まこと)は、塞ぎ込んだ母親を見守りながら、希望もなく、しかし絶望もない日々に、ただ身を委ねていた。ある日、父親の墓前で謎の女に出会ったことやその女から水族館に関する本が送られてきたことで、諒の心が少しずつ揺らぎ出した。やがて、水族館で働き始めた諒は飼育係の竹五郎さんや気立てのいい女性事務員、突如現れた直の友人と関わるうちに、兄が残した遺産を辿る旅に出る。生きづらさに翻弄される人々が、遠くの星の輝きを手繰るように、手放した希望や救いを取り戻そうとする物語。福島第一原子力発電所事故を記憶に留めるために筆者が書いた渾身の「原発三部作」の第一部。第二部は『出口は光、入口は夜』、第三部は『CLUB ONIX SEVEN STEPS』。

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