苦は自分が土壌
帰り道、駅でぶつかりそうになった相手にしたうちされにらまれたので、言い返してしまい「キモイ」と言われた。冷静になると確かにその若者の言う通りで謝ったら「死ねよ」といわれ改札の向こうに逃げて行った。
本当に彼がそうして逃げてくれてありがたいと今では思っている。いわれた刹那は悲しさのあまり、肩をつかんで引き倒そうと思っていたからだ。
駅から出て歩いている間、暫く心が痛くて耐え切れず、本当に死んでしまうのいいかもと思っていた。
・寒さ・空腹・疲れ この3つが重なってるときはとにかく心が弱くなりやすい。思い出して買い物をし、家でおなか一杯になってお風呂に入ると冷静になってきた。
冷静になれば、いい服を着ていたし、身だしなみも整っていたし、桜木那智さんのような男前の青年だったので、自分のような「むてきのひと」をそう思うのは当然であったろう。
ただ、気になったのは自分自身のことだ。こんなに切れやすかったろうか。少なくとも切れても一瞬で冷静な側面がでてきて、実際に揉める段階までは進まないのではなかったか?
こういうときは違うことで負のエネルギーが溜まっているのだ。
考えてみると理由は2つ。
ひとつは会社でのこと。仕事が忙しいとかもあるのだが、言われることである。例をあげると
「結婚してないの?」
「髪の毛やばいね植毛しなきゃ」
「盗撮してない?」
別に悪意なくいってるだけなのだがそこそこクリティカルするあたりなのだ。
特に結婚のあたりは後悔しきれないことがあるので。禿もわかってるだけに対処法もなく。そして、写真に関しても。
そういうところ以外はとてもいい社員さんなんだけど三日間一緒だったのでつらいのがたまっていたのだろう。
こうして書きだすと大したことでない。
といってごまかすこともできるんだけど。
何が辛いかって、少しづつ辛いものを外して、生きなおそうと思っているのに、結局「苦」を生み出すのは自分自身なんだよなということ。外を変えても、この脆い自分がどうにもならない限り、結局苦しいのがついて回る、