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老子と犬と、私の生き方ーーProcreate で愛犬を描く


何者かにならなくても、私はここにいる


子供の頃、ドッジボールが驚くほど得意だった。
輪の中に残る最後の一人になるまで、誰も私にボールを当てることができなかった。
固まっていると狙われやすいけれど、単独行動をすればなかなか当たらない。
私は相手の裏をかくのが得意で、素早く逃げることもできた。

それなのに、体育の通信簿は「2」。
その才能は、評価の対象にならなかったらしい。

1人を恐れないこと。誰かの価値観に己を委ねないこと。
そんなことを考えていたら、この記事が自然に湧き出てきた。


先日書いた記事にスキを押していただき、ありがとうございます。
私が常々思っていることが、誰か一人にでも伝わったら嬉しい。
そんな気持ちで書きました。

老子に近い私

ふと、私の考えって「老子」に近いなと思い、ChatGPTに聞いてみた。

「そうですね、老子の思想にすごく近いと思います。」

老子は「無為自然(むいしぜん)」を説いています。
何かを無理に求めたり、競争したりするのではなく、
自然の流れに身を委ねることを大切にする考え方です。

「何者かにならなければならない」というのは、人が作った価値観であり、本来の自然の流れではないのかもしれません。

老子の言葉に「大器晩成(たいきばんせい)」というものがあります。
これは「大いなる器は、すぐには完成しない」という意味で、
「焦らなくてもいい、無理に何かになろうとしなくてもいい」
ということを示しているように思います。

「何者にもならなくても、私はすでにここにいる」

これこそ、老子が説いた「あるがままに生きる」という境地なのかもしれませんね。
老子の『道徳経』を読むと、今の気持ちにしっくりくる言葉が見つかるかもしれない。
まさに「求めないことの豊かさ」に気づいた今、すごく共鳴するはず。

ChatGPTの回答

加島祥造(かしま しょうぞう)の『タオ―老子』

郊外に越してから、自然とこういう考えになったのかと思っていた。
でも思い返せば、昔、老子(タオ)に関する書籍をだいぶ読んでいた。

加島祥造(かしま しょうぞう)の『タオ―老子』という本を夢中になって読んでいた時期があった。
当時は今のような生活ではなく、子育ての真っ最中だったけれど、
たまたまテレビで流れたドキュメンタリー番組で彼を知ったのがきっかけだった。

加島祥造は英文学者でありながら、老子やタオイズムに深く傾倒し、
彼の解釈は哲学的な概念ではなく、「生き方そのもの」として語られているのが特徴だった。

長野の山の中に住み、「タオ(道)」に身を委ねながら暮らした彼の姿勢は、
まさに今の自分の考えと重なっている。

「誰にも影響を受けていない」と思っていたけれど、
過去に読んだ本が、私の中でしっかりと根を下ろしていたようだった。

「毎日、何事もなく穏やかに過ぎていけばいい。」

こんな風に考えるようになったのは、犬という生き物を飼っているせいもあるかもしれない。

私の犬 by青葉 プロクリエイト

私の犬


今日はProcreateで我が家の犬を描いてみた。
じっとしてくれないから、写真を撮って、Procreateに貼り付けて描いた。


いろんなブラシを使ってみる
レイヤーを増やしてみた


モデルご苦労さん、と撫でようとしたら。
フンっと言って向こうに去っていった。

犬は、そのままで完結している。

「それ以上も求めずに、ただそこにいる。」

犬は何かになろうとしないし、
「もっと人気モノにならなきゃ」「もっと稼がなきゃ」とは思わない。

ただ、そこにいるだけでいい。
それだけで、すでに完結した存在になっている


誰にも媚びず、自然のまま。

彼らこそが、老子の思想を完璧に体現しているのかもしれない。

Apple intelligenceで生成

生成AIも楽しい😀これもやめられないな。

今日はイカを肴に。

春の甲イカ。シャトレーゼのワインで頂いた。
どっちも安いのに新鮮で美味しい。

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