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英霊の渇く島“硫黄島”に問う

 私が最近感動した著書の一冊に、「ぼくらの死生観 ~英霊の渇く島に問う」(著者=作家・参議院議員・青山繁晴氏)があります。

  本書の表紙裏の紹介文の一部を抜粋しますが、“第二次大戦末期、アメリカ軍との激戦の末に占領され、返還後は立ち入り禁止となっている「硫黄島」。この島には今も、1万1千人以上の兵士の方々のご遺骨が取り残されたままである...”。本書は、東京都小笠原村の硫黄島(いおうとう)で日本防衛のため戦死された多くの英霊について、当時、民間人であった青山氏が初めて島内を歩き、その時の心の痛みを死生(しせい)感として記したものです。

 硫黄島の戦いの、驚愕の現実に、胸が張り裂けんばかりの思いで一気に読み進みました。

 死(し)とは、命がなくなる、亡くなる、生死に関わる危険etc.の意味があります。因みに、この“し”という音で、死をイメージさせる文字を探すと、屍(=死んでまだ葬らないからだ)、至(=行き着いてその先がない)、止(=やめにする)、祠(=神を祀っておく建物)などがあります。次に、生(せい)は、生きて行く、生かす、命のある間などの意味となります。

 先の大戦と言っても、終戦は、昭和20年(1945年)8月15日。今が、令和4年(2022年7月)ですから、たった77年前の事です。本書に触発されて思うのですが、私達日本人は、長い時間を経て、ようやく本来の日本民族の死生観に覚醒し始めていると感じています。


 しかしながら、戦後の我が国の教育では、日本の歴史を正視することが、如何にも罪悪であるかのような自虐史観によって、歴史の真実が意図的にねじ曲げられてきました。今現在においても、文部科学省の悪しき教科書検定制度によって、学校教育の現場では、真実を教えないケースも多々あります。この硫黄島の戦いの真実もその一つ。

 戦後80年近く経って、日本人がようやく覚醒を始めた今が、日本国の極めて重要な転換点になっているような気がします。