大傑作『十二国記 風の万里 黎明の空』の祥瓊を通して世界はなんか変わる気がする
こんにちは!!!
人が真剣な空気を出すと気まずくなってギャグを言うけど別にそれで場が和むことはなく普通に滑るタイプの男こと遅筆マンです!!
それで、どうですか?
みなさんは最近真剣に喋ったりしていますか?
俺はしていません
なぜなら、蓬莱には真剣に語るのがちょっと気恥ずかしいみたいな奥ゆかしい国民性が渦巻いているから……
政治についてちょっと語ると「え……」みたいな空気流れるから……
これだから若者の政治への無関心さは改善されないんだ……
いやまぁかく言う俺も表立って語りませんけどね、政治とか時事問題とかそういうの……
とはいえ、かくいう真剣に語るの恥ずかしい民族である俺にも真剣に語らずにはいられない瞬間というものはあります
それはなにか?
本当に面白い小説に出会ったときだよ!!!!
ということで、本日は十二国記シリーズより『風の万里 黎明の空』について超真剣に語らせてください
恥を忍んで『十二国記 風の万里 黎明の空』を真剣に語る
まず、この風の万里については読む前から相当高くハードルを設定していました
というのも、Xで頂いた『十二国記、⚪︎⚪︎までは読んでほしい〜』的なお声のなかで、もっとも多く名前が上がったのが『図南』とこの『万里』だったからです
シリーズでも人気の巻なのは明白でこちらもかなり身構えて拝読しましたが、とにもかくにも考えさせられる巻だったと思います
なかでも俺が最も心を痛めながら読んだ主人公は祥瓊です
今回、語りたいことは本当に多くあるんですが……
(イケメン王過ぎて女性読者落としにきかかってるとしか思えない陽子について、泰麒のこと思い出してニヤニヤしてた景麒について、桓魋強すぎズルだろナーフ調整待ったなし、楽俊お前またヤケになった女落としてんのか、などなど)
ですが、今回は彼女について語りたいと思います
肩入れするにはあまりにつらい語り手・祥瓊
祥瓊は芳国の公主として豪奢な暮らしをしていたものの、暗君である父が殺され、自身もその立場を追われることに……というバックボーンを持つ語り手です
同じく語り手の鈴の場合もそうですが、祥瓊の物語はとにかく辛かった
小野不由美先生はホラー小説の大家なので、人を不快にさせるグロテスクな描写は精神的なものまで含めてとにかくうまい
おかげで読むのがしんどい
専横を極めた父に甘やかされて育ち、民から恨まれてきた祥瓊がその民に混じって生活する姿はあまりにもキツく、生き死ににまで及ぶ嫌がらせで徹底的に痛めつけられるシーンが長く続きます
数多の作者が物語の主人公をしばしばいじめるのには、「弱いものの味方をしたくなる」という読者の判官贔屓からくる同情を狙う、という作劇的な意図があります(必ずしもそれだけじゃないけど間違いなく優れた構造)
ハリポタをはじめ、古今東西の物語において永劫に擦られ続けるやり口と言っていいでしょう
しかし、祥瓊が彼ら彼女らと違うのは判官贔屓で同情するにはあまりにも重たい罪を背負っているという点です
その上、彼女はそれを心から反省するでもなく父親の専横についても「悪法に従わない民が悪い」とまで言い放ちます
フィクションでは弱者はその心根が善良であることが多い(そのほうが共感値高いので)ですが、実際は弱いことと善良なこととは別問題だし、可哀想な人が必ずしも同情できる人柄なわけじゃない……という嫌なリアリティのあるキャラでした(これは鈴も同様)
強烈なキャラクター過ぎて、いま十二国記が再アニメ化とかしたら彼女についてSNSでは激論が巻き起こるのでは、と思います
そして、個人的には同情派の立場で読んでいたので、彼女の劇中での扱いにはとにかく心を痛めました
祥瓊の弁護人による口頭弁論
そもそもなんですけど、俺は自分にとことん甘い分、他人もとことん甘く見ることで帳尻を合わせてるタイプのカスなので、どうしても鈴や祥瓊には同情してしまいます
祥瓊はたしかに暗君の娘で、世間知らずで大切なことを知ろうともせず、どこまでも自分本位でした
でもそれは暗君である父からなにも知らないよう育てられたからです
何も教えない、というのは色んな可能性を人から奪うということでもあります
それは優しい虐待に他なりません
知らないことを知ろうともしない、公主としての責任を果たさない、たしかにこれらの行いは糾弾されて然るべきです
でも、知らないことを知ろうとすること、そもそも『知らないことがあると知る』ことは、実はとても豊かな教養がもたらす恩恵の上に成り立っています
祥瓊はたしかに富む者ですが、その点ではあまりにも貧しかった
知らないことを知ろうとするには、まず『知らないことがあること』を知らなくては
そして、そういう大切な気づきを祥瓊は与えられなかった
彼女はたくさんのものを持っていたけど、本当に大切なものはきっと一つも持ってはいなかった
責任を果たすのは辛いことでしょう
しかし彼女はその果たすべき責任さえ与えられず、だから責任を果たすチャンスさえありませんでした
どうしてもそこに同情してしまう
だから、誰からも糾弾される祥瓊を見るのはつらい
知らないことはそこまで罰される罪か?
と俺は何度も首を傾げました
それは翼もないのに飛べと言われるようなもので、たしかに民からすればそんな祥瓊だからこそ憎くてたまらないのもわかります
自分が先王に家族を殺されていたらと思うときっと我慢なんて出来ないでしょう
それはあまりにも難しい問題で「どっちが悪い」と一概に言えない問題だからこそ、祥瓊が悪いと糾弾してしまうことに肩入れはできないし、かといって祥瓊に完全に肩入れもできない……そんな難しい気持ちでこの巻を読み進めていました
そして、そんな彼女の変化のきっかけは楽俊でした
あまりにも万人の『理解のある彼くん』こと楽俊
祥瓊は彼に出会い、自分には多くの知らないことがあるのを知り、その知らないことを少しずつ知ろうとしていきます
読んでいて感じたのは、祥瓊は楽俊から逆算して作られたキャラクターじゃないだろうか?ということです
片方は王の娘、片方は被差別種族の半獣
富める者、貧する者
そしてそれ以上に、なにも知ろうとしなかった者と知ろうと努めた者
こうした対称性には筆者の意図を感じずにはいられませんでした
物質的には豊かだったはずの祥瓊は、けれども精神的豊かさという意味で楽俊とは比べるべくもありませんでした
楽俊は貧しいけれど、誰よりも豊かな心を持っています
思えば、楽俊は心ひとつで陽子を救ったし、祥瓊を変えてみせました
楽俊、あまりにも万民にとっての理解ある彼くんでつらい
色んな弱った女を救って依存させては、いざ付き合おうみたいなこと言われたら急に「ん〜。でも、おいらネズミだからそういうのはわからんチュウね〜……」とか言って来そう
殺鼠剤持って楽俊を追いかける女性たちの行列が俺には見える……
ともあれ、楽俊が祥瓊に与えたものは多いですが、その中で最も貴いものはきっと「なにかを知ろうとする心」みたいなものじゃないでしょうか
祥瓊が磔刑にされる罪人を救うために石を投げたとき、自分をあれほど責め抜いた沍姆の気持ちを理解するシーンはそんな楽俊が蒔いた小さな種が芽吹くシーンでもあるように思います
祥瓊はすべてを失った代わりに、とても大切なものだけは手に入れることができました
他者の痛みを知る心です
と同時に、これって別に他人事じゃなくね?ということにも気づきました
あまり政治的なことは語らないタイプですが、イスラエルやガザ地区のニュースを見て、「俺はよくもまぁこんなに長い間続く大変な問題をあまり知らずにのうのうと生きて来たな」と感じたのを思い出しました
調べれば調べるほど心が暗くなるし、複雑な問題過ぎて俺には意見を持つことさえ難しい問題は他にも色々あるでしょう
それを深く知らないで生きてこれたのは俺が幸せなアホの証拠だし、世界にはこういう俺や以前の祥瓊みたいな人間が憎くてたまらない人もいるはずで……ってことを考えていくと俺は祥瓊を庇ってたんじゃなくて普通に俺自身を庇ってただけだな〜とも思います
けど祥瓊はそこから一歩踏み出して、磔刑される人を救うために石を投げました
すごいことです
石一つ分でも祥瓊は世界を変えたと思いました
そしてその石を動かしたのは、元を辿れば楽俊が彼女に与えた「知らないことを知ろうとする心」です
思えば、王としての生き方に悩む陽子もまた市井での生活でたくさんのことを知り、『よりよい国とは?』という難しい問いに一定の答えを出します
己の苦しみばかりを訴えるだけだった鈴もまた清秀との出会いと別離を経て、他者の痛みを知りました
「人は自分のためにのみ涙を流す」とはあらすじにある一文ですが、陽子も鈴も祥瓊も自分以外の誰かの痛みを知ることで成長を遂げます
他者の痛みを知ること、それが自分や国や世界をよくする最初の一歩なのでないか、的なことを彼女たちを通して学ばざるを得ない、とそんな気がします
まぁ俺がそれを学んだとて俺の人生とか世の中のなにが変わるわけでもたぶんないけど、そういう小事を成すのが小説の本分だと思いますし、その小事の累積が世の中をちょっっっとずつ変えたりするはずだと信じています
それは些細なように見えて途方もなくすごいことだな〜と思います
だから俺は十二国記が好きです
語りたすぎる初勅のシーンについて
最後に、歴史に残る名シーンである陽子の初勅について
万里における2人の主人公
祥瓊と鈴はそれぞれが象徴的な役割を与えられているように思います
不当に誰かを踏みつけにしてきた祥瓊
不当に誰かに踏みつけにされてきた鈴
対照的な2人はつらい旅路を経て、祥瓊は自分が踏みつけにしてきた民の気持ちを、鈴は自分を踏みつけにしてきた梨耀の気持ちを理解するに至ります
もしそうでなければ、祥瓊はいつか呀峰に、鈴は虐げられたことで誰もが助け合えない拓峰の民たちのようになっていたかもしれません
人に頭を下げさせること、人に頭を下げること
他人の尊厳を足蹴にしたり、自分の尊厳を足蹴にすることの危うさを陽子は知りました
東の海神において、どんな国が欲しいかと問われた六太は「誰も飢えることなく、家に住み、子供を捨てる必要がない国」と答え、尚隆はこれに頷きます
それが、尚隆と六太の目指す雁の国向かうところなのでしょう
実際、500年の治世で雁は豊かな国になりました
そして、陽子は慶の国を「誰もが自分の王になれる国」にしたいと決意し、その思いを初勅に込めます
誰かの尊厳を踏み躙らず、自分の尊厳を踏み躙らせず、誰もが心から胸を張れる国
延王は民の豊かさを大切にする王なら、景王は民の心を大切にする王様なのかもしれません
そして、その二つは違うように見えて辿り着く場所は同じであるようにも思えます
あまりの名シーンに、今後このページを何度も読み返すことになるだろうなと思いました
風の万里がここまで人気なのも納得です
まとめ:十二国記は世界を変える(かもしれない)超傑作
というわけで、俺は断言します
十二国記は100年後も読まれる得難い傑作です
ただのエンタメじゃ終わらない、ちょっとずつでも世界をいい方に変える力がある
不由美……いや、俺の土日破壊ザウルス(学名)……
いや、小野不由美先生…………
あんたが最強っす!!!!
……という感じで、真剣に語り過ぎたので照れ隠し気味に無理くりまとめましたけども今回はこのへんで
ではでは