「魂がフルえる本」 その6《だから私は、さびしんぼう — 『夢の色、めまいの時』 大林宣彦》
大林宣彦監督の映画が好きです。
大林監督の代表作といえば、「さびしんぼう」。
映画界の巨匠・黒澤明は、スタッフ全員に「『さびしんぼう』を観るべし」と言ったそうです。
私は、高校生の頃、映画館ではなく、新聞のテレビ欄で「さびしんぼう」の放映を知り、自宅のテレビではじめて観ました。
感動して、その時録画したものを何度もなんども見返したのですが、その放映中にニュース速報が入ってしまったので、くり返し〝速報〟入りの録画を観ることに・・・。のちに、市販のDVDを観ていても、その場面になると、「ピコーン ピコーン」と速報のチャイムとテロップが頭の中で再生されるようになってしまいました。
「さびしんぼう」を観ると、とても切なく、寂しい思いになり、それと同時に、
「オレはオレなのだ。そのように生きていくのだ!」
と、どこからやってくるのか分からない自己肯定感が、なぜだかフツフツと沸いてきます。
大林映画からは、キラキラとした明るい透明なパワーというよりも、この世のすべてを受け止め、包み込み、それをグラグラと煮て濃縮した、熱く深い血の色のような、圧倒的な生の力を感じます。
このような映画を撮る人はどんな人間なんだろう、と、そんな興味からこの本を買い求めました。
「夢の色、めまいの時」は、編集者の熱いラブコールを受け、ご自身のことを語ったエッセイです。子供の頃のエピソード、映画というメディアについて、表現者という生き方、監督と役者の関わりなど、「大林宣彦の哲学」が、そこにはあふれています。
この本で私がいちばん好きなエピソードを引用します。
イタリア国境に近い、フランスのとあるお店でスパゲティを食べたときのお話。
大林さんのこういう感性がとても好きです。
「みんな違って、みんないい」という言葉がありますが、これなんかは、大林さんの言葉とは正反対の気がします。
大事なのは「違い」の部分であって、それをまっすぐに観察しなければ、互いの存在を認めることにならないのに、「みんな違って、みんないい」は、互いの「違い」を隠して見えなくして、最初から無いものとして扱っているように思えます。
大林さんの語る口調は、どこまでも優しい。
それでいて、揺るぎない決意に満ちた力強さがある。
そしてもう一つ、少しだけ「さみしさ」も感じるのですが、その「さみしさ」は、大林さんが表現者として、「孤独」を引き受けているところからくるのかもしれません。
「夢の色、めまいの時」を読み返し、「さびしんぼう」を観て感じたものは、まさに、大林さんの生き方そのものだったのか、と、あらためて発見したのでした。
大林宣彦(おおばやしのぶひこ)
日本の映画監督。従四位、旭日中綬章。倉敷芸術科学大学客員教授、長岡造形大学造形学部客員教授、尚美学園大学名誉教授、文化功労者。
ウィキペディアより