「魂がフルえる本」 その3《私と私たちの間で— 『いま私たちが考えるべきこと』 橋本治》
私は、「橋本治」さんの本が好きです。
橋本さんの本はいつも、思いもよらなかった「世界に対する見方」に気付かせてくれます。 どの本について語ろうか悩みましたが、「私」という存在を深く考えさせてくれた、この一冊を紹介したいと思います。
この本の概要を「はじめに」から引用します。
橋本さん自身が書いているので、間違いのない内容紹介ですが、なかなかに分かりづらい・・ でも、そういう内容なのだから仕方がないのです。
このややこしい本に興味をもった方は、ぜひお買い求めいただきじっくり読み解いてもらうことにして、ここでは、佐藤独自の切り口で紹介したいと思います。
この本は「〝自分〟または〝私〟というものの範囲について考察した本」です。 私と思っている〝自分〟は、実は自分ではなく、〝他人〟かもしれませんよ、と橋本さんは考察します。また、自分だと思っている〝私〟は〝私たち〟で、その〝私たち〟は、幾重にも重なり合ってますよ、と、そのようなことが書いてあります。
それはこういうことです。
「自分のことを考え」て「まず自分のことを考える」ということはどういうことか、私に即して、和太鼓を例にすればこうなります。
Kさんは、〝和太鼓〟が好きだ。
〝和太鼓〟は、Kさんが和太鼓(演奏)を好きな理由付きの和太鼓です。
Kさんは「遠慮なく全力を出せる」という理由で和太鼓が好きです。
この「好き」は個人的な考えなので、基準は自分だけです。
また、グループに所属していることに意味を見出だし、「グループの考え」を優先させる、は、こうなります。
[和太鼓]とは、振りもリズムも一糸乱さず、全員が心を一つにして演奏するものだ。 そう、その通りだ!
[和太鼓]は、「全員が心を一つにして演奏する」と決めた、グループの考えの総和です。
〝和太鼓〟= 遠慮なく自分が全力を出せるもの
[和太鼓]= 全員が心を一つにして演奏するもの
なので、この意味で〝和太鼓〟と[和太鼓]は、まったく違うものです。
この違いを極端に押し進めると、
俺が好きな和太鼓は自分の演奏する〝和太鼓〟だけだ。
・・・ほかの和太鼓がどうであろうと関係ない。俺は楽しいもん!
(孤立充足)
私たちの[和太鼓]は、素晴らしいのだから他も同じようにするべきだ!
・・・そこからはみ出す人間や他のグループのやっていることは、[和太鼓]じゃない!
(対立闘争)
になります。
このように考えてしまうことを、「あまりに貧しい選択だ」と、橋本さんはいいます。
〝和太鼓〟も[和太鼓]も、元はといえば、なんのカッコ付けのない和太鼓からでてきました。 そもそも共存しているもので、その差は「前提」や「順序」でしかないのです。 それを対立するものとしてしかとらえられないことを、橋本さんは「思考技術の未熟」と呼びます。
〝和太鼓〟側から考えれば、一人だから遠慮せずに全力を出せるわけで、そこに複数の人が関わればいろいろ気を遣わない訳にはいきません。 これが大前提。 一方、[和太鼓]側は、「心を一つにする」ということがもっとも守るべき前提であり、そこからはみ出ることは御法度です。でっぱりがあっては整った演奏ができないので、それは大変困ります、という考えです。
この二つの前提をどう折り合いをつけるのか、ここが「いま私たちが考えるべきこと」なのです・・・とここまでなら、「みんな仲良くうまくやっていきましょう!」という、心地良い啓蒙本なのですが、もちろん、この本は違います。
この本は、「みんな仲良くうまくやっていきましょう!」というのはその通りだけど、それに落ち着いてしまうのも、やはり「思考技術の未熟」なのだと話が続きます。
ここは、山奥で一人で和太鼓の稽古をし、ソロとして活動している自分にとって、ドキッと突き刺さるところです。 「みんな」からはみ出しておきながら、「はみ出している自分」に「良いのだろうか」と悩んでしまったりするからです。
佐藤健作は、佐藤健作なりにまとめてみました。
〝私〟は〝私たち〟の中にあり、〝私たち〟とは、〝私〟と他人を結ぶ共通の土壌である。 そして、その土壌はあちらこちらで重なり結びつきながら、増殖と減少を繰り返す。 つまり、〝私〟は、あちらこちらの他人も含み重なっている、無限の〝私たち〟である。
〝私〟は他人でもあるが、しかし〝私〟は私である。
私の中のどこまでが〝私〟で、どこまでが〝他人〟なのか。
都合のいい正解などはない。
それは、その時々の状況に応じて、自分で判断するしかないのである。
そうして、思考はグルグル周り、やがてボンヤリとなにかが浮かび上がってくる。 それが〝私〟であり、〝私〟とはその程度のものなのである。
そうして生き続けていくうちに「思考の未熟」に気づき、成熟していく・・・のかもしれない、と。
この本は、〝私〟か〝私たち〟という、「貧しい選択」をしてしまうのは「思考技術の未熟」によるものだと、その原因をスッキリと明快に説明してくれました。
また、だからこそ、結論は安易にスッキリ出さずに、〝私〟と〝私たち〟の間で行ったり来たり、フルえながら練り上げていけばいいんだな。
橋本さんのこの本は、惑い続ける私にそんな勇気を与えてくれるのです。
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