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「魂がフルえる本」 その3《私と私たちの間で— 『いま私たちが考えるべきこと』 橋本治》

私は、「橋本治」さんの本が好きです。
橋本さんの本はいつも、思いもよらなかった「世界に対する見方」に気付かせてくれます。 どの本について語ろうか悩みましたが、「私」という存在を深く考えさせてくれた、この一冊を紹介したいと思います。

この本の概要を「はじめに」から引用します。

私 →私たち →社会と、問題は放っておけば、どんどん複雑化して大きくなって行くように見えます。でも、そうなってしまう問題の「根っこ」は一つです。 それは、「私」と「私たち」との間に生まれてしまう問題です。
               
〜  略  〜
その孤立を「充足」に置き換えてしまうか、あるいは、距離を隔てて存在しているものを「対立相手」と見て、戦い争うしかありません。選択肢は、「孤立充足か、対立闘争か」だけなのです。
人間がものを考え、そのことによって他との調和を図る生き物である以上、この貧しい選択肢は、あまりにもムチャクチャであると、私は考えます。なにしろ、「私は〝私たち〟の一部」なのです。

「世界にさまざまな問題はあるにしても、この〝私〟と〝私たち〟にまつわる問題以上の由々しい問題はない」と考えて、私はこの本に『いま私たちが考えるべきこと』というタイトルをつけました。

この本は、「〝私〟と〝私たち〟との間にあるややこしさ」に関する本で、「ものを考える生き物である人間の選択肢がこんなにも貧しくなっているのなら、きっとそのどこかに思い違いがあるのだろう」と考える本です。
—『いま私たちが考えるべきこと(新潮文庫)』橋本治著

橋本さん自身が書いているので、間違いのない内容紹介ですが、なかなかに分かりづらい・・ でも、そういう内容なのだから仕方がないのです。
このややこしい本に興味をもった方は、ぜひお買い求めいただきじっくり読み解いてもらうことにして、ここでは、佐藤独自の切り口で紹介したいと思います。

この本は「〝自分〟または〝私〟というものの範囲について考察した本」です。 私と思っている〝自分〟は、実は自分ではなく、〝他人〟かもしれませんよ、と橋本さんは考察します。また、自分だと思っている〝私〟は〝私たち〟で、その〝私たち〟は、幾重にも重なり合ってますよ、と、そのようなことが書いてあります。

「自分のことを考えろ」ということになって、「まず自分のことを考える人」と、「まず他人のことを考える人」と、人にはこの二種類があると思う。「自分のことを考える」が、なぜ「自分」を素通りして「他人」に直結してしまうのか?—それを不思議と思う人は多いだろう。
—『いま私たちが考えるべきこと(新潮文庫)』橋本治著

それはこういうことです。

あるグループに所属して、そのグループに所属していることに意味を見出だす人たちは、「自分の考え」よりも「グループの考え」を優先させる、ということである。優先された「グループの考え」は、「我々の考え」かもしれないが、それは時として、「〝自分の所属するグループ〟という他人の考え」にもなる。
—『いま私たちが考えるべきこと(新潮文庫)』橋本治著

「自分のことを考え」て「まず自分のことを考える」ということはどういうことか、私に即して、和太鼓を例にすればこうなります。

Kさんは、〝和太鼓〟が好きだ。

〝和太鼓〟は、Kさんが和太鼓(演奏)を好きな理由付きの和太鼓です。
Kさんは「遠慮なく全力を出せる」という理由で和太鼓が好きです。
この「好き」は個人的な考えなので、基準は自分だけです。

また、グループに所属していることに意味を見出だし、「グループの考え」を優先させる、は、こうなります。

[和太鼓]とは、振りもリズムも一糸乱さず、全員が心を一つにして演奏するものだ。  そう、その通りだ!

[和太鼓]は、「全員が心を一つにして演奏する」と決めた、グループの考えの総和です。

〝和太鼓〟= 遠慮なく自分が全力を出せるもの
[和太鼓]= 全員が心を一つにして演奏するもの

なので、この意味で〝和太鼓〟と[和太鼓]は、まったく違うものです。
この違いを極端に押し進めると、

俺が好きな和太鼓は自分の演奏する〝和太鼓〟だけだ。
・・・ほかの和太鼓がどうであろうと関係ない。俺は楽しいもん!
(孤立充足)

私たちの[和太鼓]は、素晴らしいのだから他も同じようにするべきだ!
・・・そこからはみ出す人間や他のグループのやっていることは、[和太鼓]じゃない!
(対立闘争)

になります。
このように考えてしまうことを、「あまりに貧しい選択だ」と、橋本さんはいいます。

「〝自分のことを考えろ〟と言われるとまず〝自分のこと〟を考える」と、「〝自分のことを考えろ〟と言われるとまず〝他人のこと〟を考える」は、「前提の差」という必要によって生み出された「二つ」で、これが一人の人間の中に共存してしまうのは、この二つが所詮「順序の差」でしかないもので、そもそも「共存しているもの」なのである。
—『いま私たちが考えるべきこと(新潮文庫)』橋本治著

〝和太鼓〟も[和太鼓]も、元はといえば、なんのカッコ付けのない和太鼓からでてきました。 そもそも共存しているもので、その差は「前提」や「順序」でしかないのです。 それを対立するものとしてしかとらえられないことを、橋本さんは「思考技術の未熟」と呼びます。

共存していて、「順序によって使い分けるもの」なのである。つまり、所詮は「順序の差」でしかないものを「対立する二つ」にしてしまうのは、思考技術の未熟でしかないのである。
—『いま私たちが考えるべきこと(新潮文庫)』橋本治著

〝和太鼓〟側から考えれば、一人だから遠慮せずに全力を出せるわけで、そこに複数の人が関わればいろいろ気を遣わない訳にはいきません。 これが大前提。 一方、[和太鼓]側は、「心を一つにする」ということがもっとも守るべき前提であり、そこからはみ出ることは御法度です。でっぱりがあっては整った演奏ができないので、それは大変困ります、という考えです。

この二つの前提をどう折り合いをつけるのか、ここが「いま私たちが考えるべきこと」なのです・・・とここまでなら、「みんな仲良くうまくやっていきましょう!」という、心地良い啓蒙本なのですが、もちろん、この本は違います。

この本は、「みんな仲良くうまくやっていきましょう!」というのはその通りだけど、それに落ち着いてしまうのも、やはり「思考技術の未熟」なのだと話が続きます。

はみ出したのは、自分のせいであって、自分のせいではない。
「はみ出した」は「破綻」で、それは知らないうちに「訪れられてしまっていた」なのである。だから、「個性的」を言われる人間は、まず「個性的でないようにしよう」という方向へ進む。
—『いま私たちが考えるべきこと(新潮文庫)』橋本治著
個性的な〝私〟は個性的である故に、積極的に〝私たち〟になろうとするのです。
—『いま私たちが考えるべきこと(新潮文庫)』橋本治著

ここは、山奥で一人で和太鼓の稽古をし、ソロとして活動している自分にとって、ドキッと突き刺さるところです。 「みんな」からはみ出しておきながら、「はみ出している自分」に「良いのだろうか」と悩んでしまったりするからです。

結論にはまだ早いが、結論めいたことを書いておく。 「個性的」と言われてしまう人とは、「〝自分のことを考えろ〟と言われると、まず〝自分のこと〟を考える人」かもしれない。しかし、その人が「没個性」を目指す人なら、その人はまた、「〝自分のことを考えろ〟と言われるとまず〝他人のこと〟を考える人」かもしれない。この二つは、グルグル回って一つになるようなものだから、それでいいのである。「自分」はあるし、「他人」もある。である以上、「自分のこと」も考えるし、「他人のこと」も考える。これは、一人の人間の中で共存していていいのである。共存していない方がおかしい。
—『いま私たちが考えるべきこと(新潮文庫)』橋本治著

佐藤健作は、佐藤健作なりにまとめてみました。

〝私〟は〝私たち〟の中にあり、〝私たち〟とは、〝私〟と他人を結ぶ共通の土壌である。 そして、その土壌はあちらこちらで重なり結びつきながら、増殖と減少を繰り返す。 つまり、〝私〟は、あちらこちらの他人も含み重なっている、無限の〝私たち〟である。

〝私〟は他人でもあるが、しかし〝私〟は私である。
私の中のどこまでが〝私〟で、どこまでが〝他人〟なのか。
都合のいい正解などはない。
それは、その時々の状況に応じて、自分で判断するしかないのである。

そうして、思考はグルグル周り、やがてボンヤリとなにかが浮かび上がってくる。 それが〝私〟であり、〝私〟とはその程度のものなのである。
そうして生き続けていくうちに「思考の未熟」に気づき、成熟していく・・・のかもしれない、と。

この本は、〝私〟か〝私たち〟という、「貧しい選択」をしてしまうのは「思考技術の未熟」によるものだと、その原因をスッキリと明快に説明してくれました。
また、だからこそ、結論は安易にスッキリ出さずに、〝私〟と〝私たち〟の間で行ったり来たり、フルえながら練り上げていけばいいんだな。

橋本さんのこの本は、惑い続ける私にそんな勇気を与えてくれるのです。

『いま私たちが考えるべきこと』(新潮文庫)
著者プロフィール
橋本治:(1948-2019)1948年(昭和23)、東京生まれ。東京大学文学部国文科卒。イラストレーターを経て、1977年、小説「桃尻娘」を発表。以後、小説・評論・戯曲・エッセイ・古典の現代語訳など、多彩な執筆活動を行う。『ひらがな日本美術史』『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』『草薙の剣』など著書多数。2019年没。
新潮社のWebサイトより引用


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