【呻吟】理の日
約束の日前日。寝床にて、急に黒いナニカに襲われた。
翌日で、彼とは二度と会えなくなるのだろうか。他人事のようだが、私が殺すことになるはずだ。
彼が苦しむ姿を見たくはなかった。自殺同様、人を簡単に殺せるとも思えなかった。
原因はわからないが、殺すという行為はとても恐怖に満ちていた。殺したくなくなった。
当日、発表直前のアレと似た恐怖心が脳を支配していた。殺害方法や道具の準備を、まるでしてなかったことに気付いたが、見て見ぬふりをした。
彼が来る前三十分間は、特に得体のしれない緊張感が家中に漂っていた。念のため換気もしてみたが、いざ彼が呼び鈴を鳴らして家に入ると、なんのことはない。
予想に反して、双方共に落ち着いていた。
「よぉ」とクツを揃えてーーが上がってきた。目は合わせずに部屋に連れる。
改めて自室を視て、ーーを読んだことを後悔した。これから起こる出来事を考えてではなく、部屋の装飾が深層心理を表しているように感じられることを後悔した自分に少なからず驚いていた。
向かい合って黙りこむこと五分。話を切り出してみる。
「それで、なんでーー?」口の中は乾ききって、続きは掠れて届かなかった。
が、彼は質問の意図を汲み取った。「なにもやりたいことがないんだ。夢も希望も持ち合わせていない。ぐちって生きたり、廃人まがいな生活だけはしたくないんだ」
「それが一番楽になれる道だって?」
一度だけ頷く。少年の目をしていた。
「考えるのがメンドクサイだよ。ほら、君になら分かるはずだろう。めまぐるしく立場を変える脳には、もうウンザリなんだよ」
君と違ってクラスにもなじめないし、息苦しい。と続けて言う。
言いたいことは分かるが、感情までは知り得なかった。
「自殺しようとしてみたけど、怖かった。美しい君も手を汚すようで申し訳ないとは思ってる。ここで、このカンケイも終わらそう」
このカンケイも。存外、ここ最近は1種の青春の形をしていた、と振り返って気が付く。
「良かったよ」と口から溢れる。
互いに微笑みあっていた。キレイな最期だ。
死と立ち会えないよりは、よっぽどイイ感じだ。
世の中で起こる殺人の中には「美」も存在することを実感し、事件の一面だけを垂れ流すニュース番組が、アホらしく感じた。
罪を犯した後のことも、どうでもよくなった。諸々がどうでもよくなったのは、これ以来だろう。
罪でないとすら思った。
「殺人罪なんて、華やかな君の人生に泥を塗ってごめんな。俺だけ何も抱えずに死んじまうし」
周りの人の悲しみや、自分自身のツラさを抱えたままだとは言わなかった。彼の旅の終点の邪魔になる。
少なくとも彼の世界では、一度死ねば全てが無になるのだろう。もしくは、彼の言うバーチャルは宇宙から解き放たれるのかもしれない。
「謝るくらいなら、最低な決断なんかしないでよ」
ーーが、カラカラと音を立てて笑う。「たしかに、最低に低俗な逃げ道だよ。人も巻き込んじゃってるし」
「そうだ、一応買ってきたものは使っとく?」鼻の下をさすっていた。持ってきていたのか。
だが、今日はもうこれでいいのだ。
「ウチの、調理に使う用の包丁でもいい?」
ーーは、こだわりなんてないと、視線を下に投げる。
台所の包丁を手に取り、肘を伸ばす。光沢がまばゆい。
「「ありがとう」」
合わせるつもりはなかったが、感謝の言葉がシンクロする。
嗚呼、今なら、森羅万象に、そして、いつもは照れ臭いが家族にも、感謝の気持ちが伝えられそうだ。
「さよなら また」
「またね」
程よくガッシリとしたーーの胸に穴を空ける。警察も呼んだ。
遺体の保存はキレイにしてくれるだろうか。
残された余分な時間を還らぬ人形と過ごすのは、悪くない人生だと言えた。
憧れがいつまでも憧れであるわけがなく、憧れが自分に必ずしも合っているわけではない。残すところ3話、よろしくお願いします。