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愉快なオトナたちのリアル講義〜Niche〜前編

高校生によるオトナたちへのインタビュー第8講
革細工の技術を職人として極め、我を通し続ける”革職人”chelseaさんによるリアル講義
ニッチな世界で自分の好きなことを生業とし、ひとつひとつの作品へ一心入魂を込めるKitazakiさんの思考を聴き解く今回のインタビューは〜Niche〜。Chelsea Leather Art Work工房で生きるプロフェッショナルの思考法をここに書き留める。





1,革職人です!


1,革職人です!




私は平たく言えば革職人です。もっと大衆受けらしくとなるとレザークラフトだとかレザークラフターと言われたりもしますけど。
あえて堅苦しく、革細工・革職人というようにしていますね。



職人とクラフターでは言葉の受け止め方が違うっていうのがあって。自分にとっては革細工はアートだとかは思わなくて、技術を上げることだけをひたすら精進している身ですから。その結果人がどう称するかは別ですよ。
自分の革細工を芸術的だと人から評価を受けることもありますが、評価は自分でするものではないと思ってるし、人のやることなんですね。だからそういうことは好きにしてもらっていいんですけども。

自称としてはそういうことなんですね。革職人です!

chelsea leather art workというこの工房は今年で5年目で、それまでは自宅兼工房、のようなカタチでした。作業スペースの隣に布団を敷いて寝てるって感じですかね。起きた瞬間革と向き合うのを9年、革細工だけをする仕事が合計で14年になりますけども。趣味だった時間も含めて21年とかなり長く続けているような感じです。




2,数奇な運命


2,数奇な運命




トータルでみるとレザーアイテムってのはファッションに不可欠で。私、洋服の専門学校に通っていたので、服が作れるなら革細工を作るのも不可能じゃないだろうと。ずっと今まで独学で作ってきました。


実は専門学校卒業後は洋服が作りたくて、ロックンロールな洋服屋関連のお店へ就職するために広島へ出てきまして。でも、その間も革細工を不思議と止めることなくずっと続けていましたね。ずっと洋服を作りたいが強かったんですけど。

そこで何がどうなってか、何がどう狂ったか、何かの間違いか、はたまた運命か天命か。なぜか革職人として独立したんですね。

私自身のことを知ってらっしゃる方は、私が自分でその道を求めて自分の腕でメシを食うためにこの道で切り拓いてきたかのように思われるんですけど、大体の場合は流れに身を任せている方なんですね。意外と、という言葉が正しいかわかりませんが。
我が道をいくようなタイプでもないんですよ。

勉強することや就職は自分で決めて行動してきましたけど、与えられた目の前の試練や課題をただひたすら一生懸命こなし続けた時代もありまして。

なんにせよ、人生とは数奇な運命が待ち構えているものですよね。




3,I:狂気たる勉学


3,I:狂気たる勉学




専門学生の時はキチガイじみた様に洋服の勉強をしてたんです。今それをやるってなると死ぬかもしれないレベルでですね。そのレベルが当然だと思って、入学して卒業するまでもちろん成績はトップでいましたね。


みんなよりも頑張っているんだから、トップじゃなかったら舌噛むくらいの勢いで勉学に励んだ生活になりますかね。でも、それも楽しくてやってたんですね。

好きなこと、好きな勉強をやりたくて仕方がなかった高校までの洋服の勉強ができなかった期間。ずっとフラストレーションが溜まってたので、専門学校にいた3年間、トチ狂ったように勉強して洋服を山ほど作って。しまいには革屋さんに借金までして。

そんだけ取り憑かれたように勉強してましたけど、今は革しかやってないですね。もちろん革ジャンは作りますが。

だけど、やりたいことに対する努力の仕方、姿勢は無駄にはなっていない。あの頃に比べたら全然マシだと思えるんですね。なので、なんでも身になる努力はした方がいい。

専門学校時代には、パターンメイキングと呼ばれる裁断や手縫技術の勉強を少なくとも人の4倍、単純に数字的には勉強していました。
人が例えば学校の授業でのみ勉強していたら、12時間私は学校で勉強していて。人より早く学校に行って、人よりも遅くまで学校にいましたから。夏休みなども毎日行って。「もう来ないでくれ。」と学校に言われても行きました。それこそ、学校が開く前から正門でうずうずと待っていたことも。革細工はその学校でやることにプラスで独学になりますかね。学生時代にも革ジャンを作ったりもしましたよ。




4,II:ハングリー精神


4,II:ハングリー精神




ファッションとしてのカルチャー。パンクロックやロックンロールの音楽の影響が洋服より前にあって。音楽へはファッションから入りました。


オシャレしたい時期みたいなのが誰にだってあるじゃないですか。それが自分の場合は小学6年の時にきまして。お年玉でアメカジのファッションを揃えて、そのくらいませた、オシャレに対する深い興味があったんです。意味なんてわかんないんですよ、その頃は。英語のプリントだってわかりませんし。要は、カッコいいは感性なんです。

セックス・ピストルズのビデオを後輩のアニキで持ってたのがいて、なぜか回ってきて。それを観るとものすんごい衝撃を受けましたよ。どえらくカッコいいファッションだと。

音楽を聴いてファッションを勉強して、音楽を聴いてファッションを勉強して、音楽を聴いてファッションを勉強して、、、と繰り返して徐々に徐々に。

その想いが福岡の専門学校に来て爆発して。レコードも洋服も生地もメチャクチャにあるし、学校じゃ勉強し放題だし。

寝てるヒマなんてなかったですよそりゃ。やりたかったことや憧れのモノがそこら中にありましたし。

音楽も聴きまくって、ライブにも行きまくって。今まで自分が求めに求めていたものに囲まれた最高の環境に身があって。いわゆるハングリーな状態。

今あんなにハングリー精神剥き出しになっちゃうとカラダ壊しちゃうでしょうけど。それが糧、自分を構成する要素。すごく大きな3年間でしたよ、福岡にいた時は。
2,3時間睡眠が普通で。今もそんな時はあるけど、当時とは全然集中力が違くて。21時間起きて作業し続けてても、21時間フルタイムで集中し続ける力がないという情けない状況なのが今現在ですが。そんなこと今やったら1日で倒れちゃいます。当時は起きてる時はずっと頑張れてたんですけどね。1番えげつない時は100時間寝ずに集中してましたから。若さという武器はとても使い勝手がいい時がありますよね。







“私”という一人称を使わせてもらってるんですけど、“わたくし”と打ちながら“私”と変換しています。今回そんな方です(?)。

次回、中編。読んでね!

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Tiger
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