【インタビュー】『世界で戦うフィルムたち』公開記念 亀山睦木監督に伺う、世界の映画祭の実態と魅力<前編>
みなさん、こんにちは!
東京国際映画祭学生応援団です!
今回は、映画監督・亀山睦木さんへのインタビュー<前編>をお届けします!
取材のきっかけは2023年01月06日、コロナ禍の中、自身の作品を海外の映画祭へ出品する様子を記録したセルフドキュメンタリー映画『世界で戦うフィルムたち』の学生鑑賞料無料の上映会へ参加したことでした。
<前編>では『世界で戦うフィルムたち』という作品の魅力について、<後編>では監督のご経歴や映画の道へ進むきっかけ、そしてTIFFや海外の映画祭と日本の映画祭の比較、監督が考える映画祭の魅力など盛りだくさんの内容になっています!
ぜひ最後までお楽しみください!
《Profile》
《Interview》
はじめに、簡単な自己紹介と今回のインタビューのきっかけにもなった作品についてお伺いしたいです。
亀山睦木と申します。現在は映画の監督やドラマ、広告などの映像作品の企画と演出をしております。今回は『世界で戦うフィルムたち』という、ドキュメンタリー映画を監督、撮影、編集、出演、その他いろんなことをやりまして、この度 5月の20日から池袋のシネマ・ロサさんで上映させていただくことになりました。
»『世界で戦うフィルムたち』が完成するまで
ーー作品の制作経緯について教えてください。
なんでこの『世界で戦うフィルムたち』を作ることになったかっていうと、2019年〜20年頃、2年くらい前に『12ヶ月のカイ』というSF映画を自主制作で作ってたんですね。それをコロナ禍に海外の映画祭にドシドシ出していって、実際に「アメリカとか、イギリスとかの映画祭に通りました」ってなった時に、「コロナの最中だけれど、 海外に行くとどうなるのか」みたいなことと、実際に海外で映画祭に参加してみると、 どんなことが起こるのか。期待も絶望も色々あると思うんですけど、そういう実体験をロードムービー的に映画にまとめてみたいなと思って作ったのがこの作品ですね。
(相馬)ありがとうございます。私自身がこの作品に出会ったのは、亀山監督が「学生の鑑賞料無料の上映会」という、すごく太っ腹な企画を行っていることをTwitterの方で拝見したことがきっかけなんです。
ーーやっぱり若いクリエイターや、映画を目指す人に見てほしい気持ちが強い作品なのですか?
はい、そうですね。自分自身が日大の芸術学部の映画の監督コースを出たんですけれど、 その大学の4年間で学んでいたことというと、やっぱり作ることがメインだったんですね。で、実際に作った後に、例えば映画祭に出すとか、配給会社さんと一緒になって、劇場に持っていくとかっていう「作った後の部分」の勉強がすっぽ抜けていたんです。実際、今の学校でどういったことを教えてるかわからないんですけれど、自分が学生時代に教わらなかったことって、今の若い方も知りたいはずではと思って。そういった経緯で今年の1月に学生さんは無料で試写できますよっていう形でご招待させていただいたんですね。
(相馬)本当におっしゃる通りだと思います。それこそ日芸だったり、映画系の学校の生徒はもちろんなんですけど、ただ映画が好きで、なんとなく将来的に映画業界に行ってみたと思っていたり、関心があるって人たちは本当に「どうしていいかわからない状態」っていうのがやっぱりあると思っていて。そんな中でああいう風に、それこそまさに「映画祭に出品するっていう行為自体」も、その言葉面は様々な媒体で聞くと思うんですけど、実際にどうすればいいのかっていうのが、僕自身もはっきり言うとあの作品を見るまでは視覚情報として見たことがなかったですし、勉強になる作品でした。
ーー「映画祭出品」という出来事を「作品」にすることについて、それを1つの「映像作品」にするのは難しいと思うのですが、そこの部分で1番こだわった点や、面白くするために1番力を入れた点を教えてください。
このコロナ禍にわざわざ海外行く人間なんてそんなにいないから、ドキュメンタリーとしてまずそこ自体が面白いんじゃないかと思って映像作品にしようってなったんですね。なので、映画祭に出品することをテーマにドキュメンタリーを作ろうということから始まった作品ではなくて、なんというか、なり行きで始まった作品ではあります。なので、アメリカに行って帰ってきて、イギリスに行って帰ってきてっていう亀山が経験したストーリーと別に、「他の方々が映画を作った後映画祭で経験すること」だったり、「映画祭を経験した後に、次のキャリアで直面すること」とかっていうものを、若手監督・俳優さんたちや北村龍平監督、清水崇監督、深田晃司監督、寺島しのぶさんといった方たちの経験も一緒にインタビューとして入れさせていただきました。 ドキュメンタリー映画として、様々な方に見ていただきたいなって思っていたので、そこを自分の経験と他の方々の経験と考えていることとっていうのを、 編集という1つの作業でまとめ上げるっていうのは、結構大変なところがありました。
ーー他の方たちのお話だったり体験だったりというところで、本当に多くの方にインタビューを監督ご自身がされていたと思うのですが、インタビュー自体はどのような経緯で行うことになったのでしょうか?
元々フィクションを作っていた人間なので、 ドキュメンタリーを作ることになるとはこれまでの11年間の中で一切考えてなかったんです。一応会社員として、映像の会社でディレクターとして色々な映像のお仕事やらせていただいていて、インタビューというものも仕事の中でする機会はあったので、インタビューをするっていうことにまず抵抗感がなかったっていうのと、身の回りにいる同じようなインディペンデントの監督たちに、 結構話を聞きやすい環境だったのもあるんですね。
なので、野本(梢)監督とか石橋(夕帆)監督とか、松本(卓也)監督とかっていう同世代、若手の監督さんたちに、まず話を聞きに行って、もっとキャリアのある、それこそハリウッド作品の経験値もある北村(龍平)監督とか、清水(崇)監督みたいな方のお話も聞きたいよねってなって。そこからいろんな方に広げてインタビューしていったっていう感じですね。
≫海の向こうの映画祭では…
ーーコロナ禍の中、海外で日本人が単身。知らない世界でまさしく「戦っている姿」っていうのがこの作品の見どころの一つだとと思うのですが、海外での映画祭の中で、1番困難を感じたエピソードと、その逆に一番自分の中で嬉しかったり、感動したエピソードを教えていただきたいです。
これはもう超紙一重なんですけど、やっぱりネイティブスピーカーではないので、英語がうまく話せないし、自分の人間性的にもそんなにガツガツいけるタイプじゃないんですよ。そんな中で周りが全員アメリカ人の映画祭で「コミュニケーションが取れない」ってなって、 グワっと距離が彼らと空いてしまったんですね。
(相馬)作中でも親睦会の後、そこでのコミュニケーションの難しさを語るシーンがありましたね。
はい。あのようなパーティーみたいなところでうまくできなかったっていう、コミュニケーションの挫折みたいなものがありつつも、でもやっぱり映画を見ていただいて、拙い英語でQ&Aとかして、その後に自分の作品を見てくださった方と通じ合ってるのか通じ合ってないのかわからないですけど、なんとなくこう、コミュニケーションが取れたり感想を言ってくれたりする。この伝わる・伝わらない、うまくできる・できないは紙一重で。現地に行って、お客さんやあるいは同じ映画製作者とコミュニケーションとるっていうところが1番印象に残っています。
ーーそれはやっぱり国際映画祭だからこそ感じられた喜びでもあり、困難でもあったのでしょうか?
緊張感とそこで得られたもの、「グワっていう感じ」は、同じ国内の国際映画祭ではない、日本の方がほとんどっていう映画祭の中では得られないものだと思うので、そういう浮き沈みはいろんな方に経験してみていただきたいなって思います。
ーーアメリカは特に多民族国家で、地域の差はあれど様々な人種や出身国の人がいると思うのですが、その中で多様性みたいなものを肌で感じることはありましたか?
実は私がいたアリゾナ州の真ん中あたりにあるフェニックスっていう町は結構保守的というか、白色人種の方が8割7割くらいっていう街でした。なので、有色人種の方はあまり見かけなかったんですよ。なのでお客さんについては、多様性はそこまでは感じなかったんですけど、でも、選出作品を見ると、スパニッシュの作品だったり、他のアジアの作品だったりっていうものも短編などで選ばれてはいたので、 プログラミングの段階では、様々な作品を彼ら自身見たいと思っているんだなという熱量が感じられました。
ーーアジア人として映画祭に参加する中で制約や差別のようなものを感じることはありましたか?
そもそも英語をそこまで話せるわけではないので、相手がアジア人に対して、あるいは日本人、私に対して「誤解をしているかもしれないな」みたいなことが空気で感じられても、「それ違うよ」って言えないっていう。その辺のもどかしさはすごくありましたね。
≫作品に込めた想いと亀山監督の映画観
(相馬)作品を拝見して、特に次の世代の若いクリエイターがこの作品から感じるものが多いのではないかなという風に思いました。作品を作って、それを広げる、その「挑戦」 を描いていると感じたんです。
ーー「挑戦」という部分に関して、若い人に伝えたいメッセージだったり、テーマがあったのでしょうか?
挑戦...タイトルは「戦うフィルムたち」っていう風にしたんですけど、実際に海外の映画祭に応募していたり、アメリカやイギリス行ったりしている最中は、全然戦ってる気持ちはないんですよ。「やらなきゃいけない」「やるべきことをやってるだけ」っていう感覚なので。もちろん、作品のために行ったからには、何か賞が欲しいみたいな気持ちはもちろんあるんですけど、戦ってるっていうような、客観的な目線は持っていなくて。 とにかく『12ヶ月のカイ』を楽しんでもらいたい、いろんな人に見てもらいたいっていう、そこだけに集中していたような気がしますね。なので、ある意味余計なことを考えずに、ちゃんと体と頭を動かせていたのかなっていう気が今はしています。
作品制作を通じて、作中には「コミュニケーションできない」みたいな自分の暗い姿とかも映ってるわけじゃないですか。でも、そういううまくいっていない自分を見ることによって、 すごく客観的に過去の経験を見れるようになったんです。これ、ちょっと面白いなと思ったんですけど、 こうこうやって自分自身を撮ったことによって、初めて「あ、こういう風に自分は挑戦してたんだ」みたいな。こういう風に戦ってたんだっていうのが後から分かったって感じです。
ーー映画製作における監督の考えを教えてください。
やっぱり人がやってないことをやるのが好きなので。「そもそも映画は発明品である」みたいなエジソンでしたっけ。言葉があるじゃないですか。映画っていうものが生まれた瞬間、それが手品の技法の1つとして使われていたみたいな。そういうアイデアが個人的には結構好きで、映画を映画として見せるからには、 やっぱりびっくりしてほしいというか。「なんだこれ初めて見る」みたいな感覚になってほしいってずっと思ってるんですね。
なので、まさにこの「コロナ禍」と「海外映画祭へ行く」この掛け合わせ。そこに対していろんな方がこれまでの日本映画の経験とか、海外映画祭での経験っていうのを話すこのミックス具合は、多分発明したかもしれないなって、ちょっと思ってます。
(相馬)ありがとうございます。
以上で、<前編>は終了です。
<後編>では亀山監督が映画の道をどう歩んできたのか、そして「映画祭」についてたっぷり語ってもらっています。
ぜひこちらもお楽しみください!
取材日 2023年05月04日
取材・執筆・編集/12期相馬