たましいの楽しみ
おはようございます
わたし、たましいにできることは
決めること(意図すること)
と
観察すること
の
2つです
そして
わたし、たましいは
言葉を必要としません
思ったり
考えたり
評価したり
判断したり
感じたりするのは
心と身体の振る舞いです
わたし、たましいにできることは
決めることと、観察すること
思ったり
考えたり
評価したり
判断したり
感じたりできません
心と身体が
思ったり
考えたり
評価したり
判断したり
感じたりできるように
しています
わたし、たましいは
この身体に宿ったら
わたしを直接
認識すること
観察することが
できません
その必要がないから
なぜなら
この人生で起こりうる全てを
創ったから
心と身体は
そんなこと知りません
だって
心と身体は
創られた側
わたし、たましいは
創った人生のすべてを
心と身体が
どのようにつなぐのかを
知りません
だけど
「こんな風につないでくれたらうれしい」
という希望は持っているけれど
心と身体は
そんなこと知りませんし
わたし、たましいの
楽しみがあるから
分からないことが何もない
できないことが何もない
完全に満たされ
何の変化もない
とても退屈な
わたし、たましいの
楽しみ
分からないを
できないを
分からなかったことが分かることを
できなかったことができることを
楽しみにして
これを創ったのだから
Ryosuke
『靈(たましい)はわたしであり、心と体はわたしではない✨』
今日も素敵な一日を!
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