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不妊を武器にしたわたしには、5児の母と向き合う責任がある。【創作大賞感想】
普段の自分なら、タイトルを見て読まない判断をしたと思う。
母であることや子育てを全面に押し出している作品には、そもそも興味を惹かれない。
自分とかけ離れているようで、微妙に重なるからだ。
選べなかった方の人生が展開されていると分かっていて、ある程度の時間をそこに割く気持ちが起きない。
これは毎号買っている文芸雑誌に載っている作品でも同じこと。
そうしたことがメインテーマに掲げられている小説は、好きな作家のものであっても読まずにとばす。
でも、わたしには読む理由があった。読まなくてはいけないと思った。
その理由が、以下の記事にある。
わたしのエッセイの感想を頂いた。
筆者は子供という点に関しては、わたしとは真逆の人生を歩んでいる。
そんな彼女が、『わたしの子宮は胎児を殺す。』を読んで自分と向き合うことを決めたという。
そうして生み出されたのが、この小説。
とても傲慢な言い方になると分かっていてあえてこういう言い方をするけれど、わたしが彼女を駆り立て、書かせたのだ。
生半可な気持ちで向き合うべきではない。きちんと受け止めなくてはならない。
そう思った。
愛という主人公を、わたしは好きになれないと思った。
自分は頑張っているのに。自分は一生懸命やっているのに。自分はこんなことをやりたいはずじゃないのに。
そんなエゴが透けて見えるのが、単純にしんどい。
特にわたしが嫌だなと思ってしまったのは、就活に励む学生・坂神さんの面接練習の約束をすっぽかす場面だ。
坂神さんに対して、子供の通院のあと在宅勤務にしてしまったと弁明している。
仕事、なめんな。
子供が理由なら何でも許されると思うな。
そんなにしょっちゅう休むくせに、「私ができる仕事は、これじゃないのに」なんて言わないでほしい。
あなたが休む裏で、誰が尻拭いしてるか分かってる?
誰かが負担を被っているから、その負担を少しでも少なくするために誰にでもできる仕事の比重が大きくなってるの理解して?
これは、わたしが日頃働く中で抱えている鬱憤そのもの。
子なし教員であるわたしは、マジョリティである子持ちの同僚には「いい加減にしろ」と思っていても言えずにいる。
子供が好きな人で構成される学校現場は、特にコロナ以降わたしにはいつ還元されるのかわからない「お互い様」で回るようになってしまった。
そのことにわたしは今も割り切れなさを感じている。
わたしがカバーした分を「明日はティコさん休んでいいよ」って誰か言ってくれるんですか?
あなたが放った「お互い様」の中に、わたしは入っていますか? わたし以外みんな未成年の子いますけど、あなたたち同士の中だけの「お互い様」なんじゃないですか?
あ、その「お互い様」の範疇に、「天気がいいからパグ姉妹をドッグランに連れて行きたいんです」っていうのも入ります?
参観日に行きたいというのと、ドッグランに連れて行きたいというのと、何が違いますか?
あと、子育ての話をわたしの頭を飛び越えてするのやめてもらってもいいですか。
こんな鬱屈を抱えながら働いている。
だから、わたしは愛が好きになれない。
分かっている。これは八つ当たりだ。
わたしに子供がいないことも、愛が子供のために仕事を休むのも、誰も悪くない。
分かっている。でも、頭で理解することと、心が訴えることは違う。
これは小説だから、最後にはどうにか上手くいく。
かなり特性強めな坂神さんも、愛が勧めた職種に切り替えて就活崖っぷちを脱するし、特性がありそうだと指摘される愛の娘・幸も発達の相談に連れて行ってもらえることになる。
愛の夫は穏やかで、幸の特性にも理解がある。
全部、全部、いい感じで収まっていく。
でも、わたしは名前すら出てこない、描写さえされない愛を支えている人々へ思いを馳せることを止められない。
そこにいるのは、わたしだから。
名前もない、わたしだから。
自分のエッセイの中で、子どもをもつ側を「照らす側」、それを鬱々と見ている自分を「翳り」として描写した。
やっぱりわたしはまだ翳りの中にいる。
愛は間違いなく照らす側にいて、わたしは翳りの中で除草王でも太刀打ちできないレベルの頑固な根を生やしている。
光が強ければ強いほど、影はより暗く、濃く染みつく。
今はそれでもいいか、と思う。
時がくれば、マンドラゴラよろしく勝手に翳りの中から出ていくだろう。
そのときには、不用意に叫んで無関係の人々を巻き込まないように気をつけたいと思う。
ねえ、わたしはかっこよくなんてないです。
「命を削って記事を書いた彼女に恥ずかしくないものを自分も書きたい、と考えて。居ても立っても居られなかった。」と言ってくれたあなたが書いた小説の主人公に向かって、自分の鬱屈をぶつけることしかできません。
そしてそんな自分が割と嫌いじゃなかったりします。
でも、生半可な気持ちで向き合いたくないと思ったから。
きちんと受け止めたいと思ったから。
自分の心に嘘をつかないで感想を書こうと思いました。
一応物書きの端くれなので、取り繕おうと思えばいくらでも取り繕うことはできたと思います。
「愛さん頑張りましたね!」って言おうと思えば、1500字くらい書けたと思います。
でも、あなたはそれを望んでいないだろうって。
わたしなりにこう受け止めました、という正直なところを知りたいだろうなって思いました。