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【海賊版】音楽が奏でる耳先生への階段

※本記事は本田すのうさん主催「下書き再生工場」企画にて青野晶さんの手により再生された、コニシ木の子さんの下書き『音楽が奏でる耳先生への階段』の海賊推し事版です。


ずっと姉だと信じていた人間が実は母親で、両親だと信じていた人間が祖父母だった時の衝撃といったらなかった。これを上回る「衝撃の事実」に出会うことは、生涯ないだろうと思った。「衝撃」と表現する以外、何と言っていいのか分からない。この打撃の重さを、的確に表す言葉が他にあるのかさえも。

高校の入学手続きの書類、その「親権者」の欄に「姉」の名前が記載されているのを見てしまった。「母親」、正確には「祖母」に「間違っている」と指摘したが、「何も間違っていない」と言われ、この世に絶対的に信頼できるものは何もないと思い知らされた。混乱したまま、「祖母」に詰め寄った気がする。「どういうことだよ」、そう声を荒らげていた。

自分の存在が根幹から揺らぐような、そんな事実に直面してさえ紋切り型の言葉しか出てこないことに自分でも驚いた気がしたが、実際のところ記憶は曖昧だ。だから、昨日のことは断片的にしか語ることができない。

気がつけば、俺は響平のワンルームのインターホンを押していた。用意していたピアッサーを持って。
三月も終わりかけの、空気までもが真っ白に染められたような、重たい雪が降り積もる日のことだった。


「ってぇ……!」
「だから耳たぶよりは痛いよって言っただろ」

バチン、と大きな音とともに、左耳の外側に熱にも似た衝撃が走った。響平に渡された鏡でピアスの位置を確認する。前から開けていた耳たぶに三つ並んだものの他に、先ほどまでは存在していなかった小さな銀色の球体が、耳の縁に鈍く光っていた。

響平は今しがた俺の耳に新たな穴を開けたピアッサーをゴミ箱に放り込み、新しいものを手に取る。ボディ用の、針の太いやつ。

「やめとく?」
「は?  やめねぇし」

だよな、と言いながら流れるように開封。マーキング位置に合わせたピアッサーを握る響平の手にぐっと力が入るのが、気配で分かった。

再びバチン、とやっぱりものすごい音がしたが、思ったより痛くはなかった。先ほどももしかしたらそこまで痛くはなかったのかもしれない。ビビってたんだ、きっと。

「高校デビューおめでとう」
「うぜぇ……」

響平は煙草を唇で軽く挟んで火をつける。俺は吸わないのに、というのは、単純に煙を体内に取り込むことに興味がわかないからであって、別に法律を遵守しようとしているわけじゃないんだが、響平には一切遠慮というものがなかった。

白く霞む向こう、響平の左耳に並んだピアスの数は十をくだらない。「母親」の彼氏であるこの人に憧れ、そしてこの人と同じ耳になったら彼の作る音がいつでも聞こえる気がして、軟骨にピアスを開けると決めていた。

この部屋には、いくつもの音響機材と、そしてエレキギターが並んでいる。すぐそばにあるマーシャルのアンプのロゴを俺は見つめていた。

ワンルームの隅に置かれた、間に合わせみたいな冷蔵庫の扉を開ける。ハイネケン。ギネス。ハイボールを作るための炭酸水。手っ取り早く酔うためだけの、度数の強いレモンサワー。食材と呼べるものはなく、アルコールを保管するためだけの箱と化している冷蔵庫。

俺はいつものようにスミノフアイスに手を伸ばそうとした。響平はこの手のアルコールを摂取しない。だから、これは俺のために用意されているものだと判断している。一度もそう言われたことはないが。

「ピアス開けたばっかりで酒はやめとけ」

血流が良くなりすぎる、と言いながら響平はいつの間にかギターを抱えながらパソコンに向き合っていた。仕事すんの、と聞くと、ん、と返事なんだかため息なんだかよくわからない声を投げてよこす。

「じゃあ帰るわ」

冷蔵庫を閉め、立ち上がった。響平はまた、ん、と喉の奥から声を出した。こういうモードに入った響平は、俺のことなんて全く目に入っていないように音作りに没頭していくのが常だった。

先ほど開けたばかりの二つ並んだピアス穴が、自分の鼓動と同じリズムで脈打っている。やっぱり、痛む気がした。


四ヶ月にわたって地面を覆っていた氷が溶けて小さな川を作り、金網の蓋がのった排水溝に向かって静かに流れ込んでいく。縁石に沿って流れる川は幅十センチメートル、川底にだけ黒いアスファルトが覗いていて、ここまでくると本格的な雪解けの始まりとなる。

昨日の大雪から一転、よく晴れた日だった。降り積もった水気の多い雪に日差しが反射して、きらきらと光っている。

駅前通りから右に曲がり、路地に入る。次の小さな十字路の手前、俺の家の前で、「祖父」ーー昨日まで父親と思っていた人間ーーが、道路の氷を割っているのが見えた。

気まずい。

親、この場合は俺の人生において突然現れた「祖父母」と「母親」の両方を指すのだが、と顔を合わせたくなくて、昨日のうちから響平の部屋に転がり込んでいた。ほとんど無意識のうちに。

これから「祖父母」や「母親」とどう付き合っていけば良いか、その答えを得られないままに俺は耳に新しい穴を開けた。ピアスを増やしたからといってその答えが見つかるわけでもないことくらい俺にも分かっている。増して、「新しい自分になるための決意」とかそんな悲愴な覚悟の表れでもない。

ただ、昨日までの自分と今日の自分とで何かが確実に変わってしまったのは紛れもない事実で、それはこの家の中で俺だけが俺の真実を知らずにのほほんと暮らしていたんだってことに対する何か、不信感とかアイデンティティの揺らぎ、とかそういう類のものが芽生えてしまったということに他ならなかった。言葉にするとひどく陳腐に思えるが、そういうことなのだろう。

「佐野さんのところに泊まったって母さんから聞いた」

「祖父」にどんな態度でいるべきなのか考えあぐねているうちに家の前にたどり着き、声をかけられてしまった。俺がうろたえて「祖母」にかつてない強い口調で詰め寄ったのを止めたのは、こいつだったはずだ。なのに、昨日の記憶がないのだろうかと疑いたくなるくらい、昨日以前と今とで変化がない。

俺はどうしていいかわからずに、結局「祖父」のことを無視する形で家の中に入った。「祖母」は今日は日勤のはずで、「母親」はシフト勤務の日だった。「祖父」は夜勤明けなので、一日中家にいることを思い出した。

こういうときに、響平のところ以外にも俺の居場所があればいいのにと思う。画面の中でしか知らない、夜の街を徘徊する同世代のヤツらのことがよぎったが、彼らに比べて俺はあまりに学校や家庭での安全が保証されていて、そしてここはあまりに地方都市すぎた。

俺はリビングの真ん中から伸びている階段を登り、すぐ左手にあるドアを開けて自分の部屋のベッドに寝転がった。腹が減っている。部屋の時計を見ると、一時を過ぎていた。響平のところで何か食わせてもらえばよかった。

ふと、自分がまとう煙草のにおいが鼻についた。この家にはそぐわないにおいと左耳の痛みに酔いしれる。


進学校と呼ばれている高校を選んだのは、校則が緩いと聞いていたからだった。響平と同じような左耳になりたくて、そのためには成人してからでは却ってダサいと思った。ピアスを開けている生徒を注意したとしても、口先だけの教師たち。俺が高校生活というものに求めているのは、耳を自由にさせてくれることだけだった。

だから、入学してすぐに志望校を書かされたときに、俺には響平と同じ左耳をもつ、という目標以外には何もないという事実に直面してしまった。周りの同級生は何の躊躇いもなく、旧帝の国立大学の名前を、あるいは名門私立大学の名前を、医大の名前を記入していく。

こいつら、それなりに過酷だった高校受験を経て一ヶ月でもう卒業後のことなんか考えてんのかよ。

俺は、第三志望まで書くことができる枠の下におまけみたいに添えられた「未定」の欄に丸を付けた。

担任の田渕が「まさかうちに合格していて志望校決まってないヤツなんていないよな」と言いながら回収の合図を出す。います、と今挙手したらどんな空気になるんだろうと想像したら一気に面倒くさくなって、後ろの席から回ってきたプリントに俺の「未定」を重ねる。

俺は実際のところ、というのは生物学上のではなく社会的な意味でのってことだが、「親」が誰なのかも、これから「親」とどう付き合っていけばいいのかも分かっていない。そんな俺に進路のことなんか分かるわけねえだろ、と思った。


季節が一周しようとしていた。

iPhoneの画面の中で、みんな同じ顔に見えるアイドルグループが曲の間奏部分に合わせて踊っている。二十人近くもの女子が右往左往。ダンスというにはあまりに稚拙で、見ているのが恥ずかしい。

ジタバタする女子の群れの向こうで、かなり激しいエレキギターのフレーズがそれこそ「踊って」いる。この手のアイドルにしては珍しい雰囲気の楽曲で、この曲を作ったのは響平だった。でも、作曲者には違う人間がクレジットされていて、つまり彼はゴーストライターだ。

でもそんなことはどうでもよく、響平の作った音が、このよく知られたアイドルグループを通して世の中に流通することになる。それだけが俺にとっての意味ある事実だった。

アイドルの下手くそでもないが上手くもない中途半端な歌が、再び響平の音の上に乗っかる。俺は早押しクイズにでも挑んでいるかのように、画面の左側をダブルタップした。動画を十五秒戻すとちょうど間奏の始まりと重なる。

「もういいだろ、いい加減にしろよ」

響平はバドワイザーの缶を開けて言った。何回聴くんだよ、うるせえよと吐き捨てるように。事実、俺は新曲MVとしてこの曲が発表になった今日、何度もこの間奏だけを繰り返し聞いていた。

「あのさ、美嘉から聞いた?」
「何を」

唐突な問いかけとともに飛び出してきた「母親」の名前に、俺はあおりかけたジーマの壜を中途半端な位置で彷徨わせる。

「子供ができた。結婚する。この仕事もやめて、マトモな職を探すよ」

俺の音楽で嫁と子供は養えない、と言った響平の言葉の端っこに、滲み出る寂しさや悔しさというものを感じ取ってしまったのは俺のエゴだろうか。そういえば、この人は今日は一度も煙草を吸っていない。このことが「母親」とその体の中で起きていることと関係ない訳がなく、響平は新しい人生を歩もうとしているんだということを嫌でも思い知らされる。

この部屋でヘリックスを開けてから来月で一年になる。俺の進路は相変わらず未定のままだ。響平と同じ耳になる、という展望以外に何ももたない俺は、その展望さえも途中で取り上げられて放り出されようとしている。進路希望調査に、旧帝大を、名門私立を、医大を書く同級生の中に、丸腰で。

ギターリフが終わり、アイドルのいい加減な歌ーーもちろん悪い意味でーーがiPhoneのスピーカーから流れているのを、俺は止めることも出来ずにいる。

次の週、雪解け水に汚れて黒く濡れた道を「母親」は響平と暮らすためのマンションに引っ越していった。荷造りのほとんどを「祖母」が行い、積み下ろしのために「祖父」が同行する、極めて幸せな旅立ちだった。俺は何もせず、ただその様子を傍観していた。

「母親」が俺の妹か弟かわからないが、とにかくそういうものの親に今度は本当に・・・なることに対し、どんな感情を抱くべきなのかがわからない。

俺は「母親」と響平の子供と会うことはないだろうと思った。父親になった響平なんて、見たくもない。


二年になってクラス替えがあった。進路が未定のままの俺は、ほとんど自動的に文系クラスに放り込まれた。

揃って医者をしている「祖父母」は何も言わない。

「孫」がどんな進路を選んだとしても、どうにかなるという小金持ちの余裕なのかもしれないが、俺にはその余裕がそのまま無関心の表れなのだと思われた。
文系クラスに振り分けられた時点で、医者になる可能性はほぼ潰えたわけだが、それに関しても「祖母」は「別に医者だけが仕事ってわけじゃないでしょう」と言い、「祖父」に至っては、「やりたいことをやればいい」と言ったきりだった。つまり、俺に対して有益な助言をしてくれる大人は誰もいない。

だから、一人娘が十四で出産するようなことになるんだよ。

そう言いたいのをこらえたのは、我ながら賢明な判断だった。

この人たちは子供に自由な生き方を選択させることと、放ったらかしにしておくことの区別がついていない。そのことに気がついて彼らに軽蔑の念を抱いていないわけではないが、だからといって無遠慮に伝えて意味なく傷つけたいわけでもない。

どうして良いかが分からないので、俺は始業式の日のうちにトラガスにピアスを開けた。今度はひとりで。

響平はワンルームを三月末で引き払って俺の「母親」と暮らしはじめ、楽器店併設の音楽教室でギターを教えている。アイドルグループの新曲のギターリフだけを繰り返し聞いたあの日以来、俺は響平に会っていない。

彼の作った曲は一週だけ再生数ランキング三位になったが、その後は話題になることもなかった。


昼休みの名残りで弁当のにおいが教室に満ちていて、誰かの胃袋の中を覗いたみたいだった。春だというのに教室の暖房機は止まることなく作動し続け、そこから絶えず吐き出される温風が眠気を誘う。

隣の席になった女が、授業中に俺のことばかり見ていることに気がついたのは、進級して最初の木曜、晴れているのに細かな雪がちらついている日の五時間目のことだった。

正直、こんなことは中学の頃から「よくあること」だった。自分ではよく分からないが、俺の顔は「整っている方」らしく、俺のことを好きだと言ってくる女子も少なからずいた。

だから、最初の数日はこいつも同じだと思っていた。数Ⅱの授業中、唐突に「宮村」と指名されたこいつが慌ててノートを閉じるその一瞬、紙面が見えてしまうまでは。

そこに描かれていたのは、耳、だった。

それも、ヘリックスとトラガス、耳たぶにいくつかのピアスがついた耳。俺の耳だった。

「きも」

口の中だけでつぶやいたつもりだったが、思った以上に大きく響いた。「宮村」と呼ばれた女には確実に届いてしまったことだろう。彼女はその日は俯いてそれっきり、俺の方を見ようともしなかった。

この耳は、俺の耳じゃない。

そんなことも知らずに一生懸命に耳を描いていたのかと思うと、この女がとてつもなく馬鹿で、そしてなんだか哀れに思えてきた。

その日の帰り際、SHRで進路希望調査用紙が渡された。今度は志望校を書く欄の下に、「未定」の文字はなかった。


少しずつ日が長くなっている。六時を超えてもほのかに明るく、それでいて空気には冬がまだほんの少しだけ気配を残して冷たい。西の空には一際強い光を放つ星が、一つだけ見えていた。

家の窓からリビングの光が漏れていて、玄関を開ける前から少し憂鬱になる。俺だけが「祖父母」と「両親」、「母親」と「姉」のことを気にしている状況は変わらず、あの日入学手続きの書類で見てしまった「親権者 前田美嘉」の文字は妄想なのではないかと思わされる。

鍵を開けて家の中に入ると、「祖母」がキッチンに立って夕食を作っているのが見えた。米の炊ける匂いと味噌が溶けるにおいが漂ってくる。生活のにおいだ。「祖父母」と「孫」の、身を寄せ合って生きているそのにおいだ。俺はいつまでこの家で米と味噌のにおいを嗅いでいなくてはいけないんだろうと思うと、途端に怖くなった。

「帰ってきたんならただいまくらい言いなさいよ」

「祖母」が顔を上げて言った。
いつまで、この人に「ただいま」を言わなくてはいけないんだろう。いつまで、「祖父」に「おかえりなさい」と言い続けるのだろう。

いつまで、いつまで。

そういう今まで当たり前だと思っていたことに、足の裏からじわじわと冷えていくような恐怖がわいてくる。当たり前に俺の親はこの夫婦だと思っていたのが当たり前じゃなかったように、俺のこの状況は普通じゃない。

本当はとうにこの怖さに気がついていたのに、進路を「未定」のままにして考えないようにしていた。
俺は、無言で階段を上る。上りながら、リュックの中にある進路希望調査用紙を皺になるのも構わず取り出した。今度こそ、書かなくてはいけない。

トラガスが痛みはじめた。耳の奥では、響平が世に出したあのギターリフが鳴っている。



コニシさんの下書きに残っていたという不思議な言葉の羅列たちから妄想をふくらませ、再生工場産の正規品とは別に、闇ルート経由で海賊版を密造・流通させるという推し事に取り組む試み。
第三弾は『音楽が奏でる耳先生への階段』。第二弾で同級生の耳ばかりスケッチしている女の子を描いたので、今回はその耳の持ち主に登場願いました。連作短編というものに挑戦したくなったのです。
彼を呼び出してみても、思春期男子だからなのかなかなか口を開いてくれません。しばらく待っていたら、ぽつりと「姉だと思っていた人間が母親だったんだよ。どうかしている」と言われたので、「なんのはなしですか」って聞いてみたら少しずつ語ってくれました。
お姉さん、もといお母さんの彼氏を寝取るBLなのかしら……とワクワクしながら話を聞いていても、全然そんなことにはならなくて、少しがっかりしました。でも、きっと「結婚する」と聞いたときにしっかりめの喪失感は味わっていたんじゃないかな。どうでもいいか。

あとがき

⬆️このお話とゆるやかに繋がっています


『音楽が奏でる耳先生への階段』技適マークのついた正規品、コニシさんが落とした物語はこちら。


正規品はこちらの工場で丁寧に再生されました。現在は閉鎖されています。

工場長さんは現在、家事を好きにさせてもらう業を営んでいます。わたしは家事しない女なので貢献できません。


上記工場にて再生されたコニシさんの取り戻した正規品一覧はこちらから。


工場跡地にて再生されたサードパーティ製品もございます。


サスペンステイストなのに変態再生工場が強く香るのはなんなんだろう。




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