ここにきて生理かよ
生理がきた。
フルリモートで在宅勤務をしている夫が珍しく不在にするという日の前夜のことだった。コロナ禍によって通勤というものから解放された彼が家を空けることは滅多になく、その日はわたしも久々に罪悪感なく自分だけの夜を謳歌しようと思っていた。
最近、気になって気になって仕方がない場所。夫は十七時のJRで学生の頃の友人との飲み会に向かうというので、わたしも彼を駅まで送った足でそのまま向かおうと思っていたのである。夫の予定を聞いて二週間あまり、そのことだけを励みに労働に勤しんできた。それなのに。
ここにきて生理かよ。
心の中で自分の子宮と性ホルモンを司る視床下部に悪態をつく。すみません、と謝りながら翌日、キャンセルの電話を入れた。
人生で、と大袈裟なことは言わないまでも、日々暮らしていく中で「ここだけは生理がこないでほしい」と願ったことは女性ならば誰しもが経験のあることだと思う。試験の日とか、長時間の移動を伴う日とか、夫の実家に帰省する日とか、楽しみな旅行の日とか。
そして大抵の場合はその願いも虚しく、わたしたちはナプキンを取り替える羽目になる。試験会場の、空港や駅の、夫の実家の、宿泊先のトイレで。
ここにきて生理かよ、と悪態をつきながら。
今年の夏は、久しぶりに生理のある自分を恨めしく思っていた。不妊である事実と向き合い続けた日々を越えてからは、初めてと言っていいくらいのことだった。
きっかけは同僚の妊娠だった。わたしとさほど年齢の変わらない彼女が妊娠したという事実は、少なからずわたしにダメージを与えていたようだ。その知らせを聞いた時には、あまり自覚していなかったけれど。
ここにきて生理かよ、にプール学習の日に直面したのもしんどかった。去年までは生理が重なったときにはプールに入らなくても良いようお互いにカバーし合っていたけれど、今年はそれも望めない。打ち合わせをした訳ではないのに、生理のない彼女はプール学習には参加しない、という暗黙の了解が出来上がっていて、生理がきたわたしはあの日、十数年ぶりにタンポンを買った。
使い古された言い回しではあるけれど、頭が理解することと、心が受け入れることとはまったく違う。腹の底でぐちゃぐちゃに腐敗したざらりとした感情を知りながら、何でもないふうを装ってプールに入った日のことを、わたしはたぶん死ぬまで忘れない。
しばらくは生理がこない彼女と、相も変わらず二十六日周期で無意味に剥がれるにまかせて子宮内膜を垂れ流しているわたし。比較しなくていいようなことをわざわざ比較して、帰路につく車内でわざと舌打ちをしてみたり、「こんなこと妊婦には出来ねえだろ」とVentiサイズのスターバックスラテを頼んでお腹を壊してみたり、弟の奥さんであるまきちゃんと弟のアホエピソードを肴に飲んだくれ、そのついでにシーシャを吸いに行ってみたり、勢いで意味のないことばかりしていた。
もう吹っ切れたつもりでいたのにそんなことは全然なくて、わたしはまきちゃんとまた冬休みにシーシャバーに行く約束をしている。アラフォー女二人並んで、きっとまた馬鹿みたいにぽわぽわ煙を吐き出しながら、アホみたいにぐいぐいお酒を飲む。その頃にはもう出産しているだろう同僚の顔を思い浮かべて、「こんなこと授乳中には出来ねえだろ」って思うに違いない。
産めなかった自分と、産めた誰かを比較して、「三十八歳の今、こんなことができるのは産まなかったわたしの特権なの」と事実を曲げてまで、目の前に存在しない相手にマウントをとりに行く。
その虚しさに気がついてはいるけれど、アルコールと一緒に脳内から洗い流して、綺麗さっぱり消えたことにする。吸い込んだ煙でお腹の底からふわふわ浮かせて空気中に撒き散らし、なかったことにする。
翌朝になれば、その虚無感はまたどこからか集まってきてどうせ体の奥底に澱むことになるのだろうけれど。
この思考のくせみたいなものは、一生抱えていくのかもしれない。
夫が不在の夜に行きたかったところは、サウナだった。たまに行く市境のスパ施設でも、大浴場の中にあるその薄暗い部屋には入ったことがない。
サウナが苦手だった。暑さと湿気で肺を上手く膨らませることができない。熱気と湿気に弱いのは、生粋の北海道民であるゆえかもしれない。
でも、わたしも「トトノウ」世界を知りたかった。「トトノウ」ことができたら、わたしの肺の底やら脳みそやらにこびりついて剥がれない思考もその癖も、綺麗にトトノウことができるのかもしれないと思った。
ついでに体表面にこびり付いた古びた角質も落としてもらおうと、エステルームの予約もしていたのに。食事処で夕食を済ませてこようと思ったのに。帰りにはコンビニでハーゲンダッツを買ってこよう、とそこまで計画していたのに。
ここにきて生理かよ。
ナプキンには血液と一緒に一人の夜を謳歌しようという気持ちも吸い込まれたようで、何をする気力もなく、一人きりで家の中にいる。
小分けにして冷凍していたご飯を電子レンジで温めている間、薬の効かない下腹部をさすりながらリビングのソファに座っていると、前日に皮膚の腫瘍を切除する手術を受けたもねがそっとその身体をわたしに預けるようにもたれかかってきた。
独立心の強い彼女が甘えてくることは珍しい。黒い糸で留められた傷口が未だ痛々しく、固まった血がこびりついている。
痛いよね、お互い。
もねの頭や背中を撫でながら、わたししか知らない体温がここにあることに気がつく。
電子レンジが温め終了のメロディーを奏でる。その軽薄な電子音を聴きながら、わたしはお腹の上で目を閉じるもねを撫でていた。いつまでも撫でていた。
「トトノウ」を知りたい、と思ったきっかけ⬇️