Gの肖像※追記あり
「Gの肖像」。
そんな奇妙な名のつけられた銅板のレリーフが、街外れの美術館で行われている特別展にて展示されていると知ったのは、十一月も下旬にさしかかった頃のことだった。製作者はその道ではちょっと有名な銅版画家で、現代美術に多少なりとも興味のある者ならば彼女の名と作品を一度は観たことがある、といった具合だ。そんな人物の制作したレリーフである。珍しさも相まって、美術好きの界隈ではちょっとした話題にもなっていたらしい。
わたしは早速、週末に車を走らせ、その美術館を訪れた。
自然林の一部を切り拓いて造成された美術館とその周囲は、街中よりも体感気温が一層低い。建物の影になる部分には今週の初めに降った雪がまだ残っている。前庭の池には鴨のつがいがぷかりぷかりと浮かび、時折尻を高く掲げて首を水中に突っ込んでいた。
「Gの肖像」は、特別展の順路の真ん中あたりに展示されていた。
SNSで見た通りの作品で、五十センチメートル四方の正方形の銅板に象られているのは男性の腰から下のうち、腿の真ん中あたりまでの範囲である。画面の中央には必然的に、決して公の場で目にすることのない部分が来ることになるけれど、巧妙に薄布を纏っているような表現をされていて、でもそれは本当に紗のような向こうが淡く透けるほどの布であるらしく、隠しきれていない。
もちろん銅板レリーフ作品であるので、身体もその一部を覆う薄布も、光沢のある銅色といぶし液で酸化させた黒で表現されている。でも、確かにそこにあるのは、肌であり、その奥を透かす繊細なヴェール。触れたら、確かな体温と柔らかさをもって指先に吸い付くような、有機的な息遣いを感じる。
わたしはため息をつきながら布の奥に思いを馳せる。霧の向こうで誰かが迎えに来るのを待っているような。靄の立ち込める中、不安に苛まれながら救いを求めているような。堂々としていながら、その実その身を覆って隠してくれる何かを望んでいるような……。
物哀しさを称えながらも憐れっぽさを感じさせることは一切ない。気高く、触れられそうでそれを許さない凛とした佇まい。こんなに美しい造形がこの世に存在することが不思議でならなかった。弛緩した姿であるのに、滑稽さや情けなさを一切感じさせることはない。むしろ、この状態であることに価値があると心から思った。願わくは、この姿から変化するなんてことは起こらないで。それは野卑な傲慢であり、またこの造形を与え給うた神への冒涜である。そう思わせるには、十分な「肖像」だった。
この造形の持ち主である「G」とは、どんな人物なのだろうか。想像を掻き立てられながら、わたしは「Gの肖像」を見つめていた。いつまでも、ただ、見つめていた。
ヴェールの向こうに、神の造形がそっと身じろぎしている。
この作品は、 #げんちょんのちょんちょんってこんなだったよグランプリ に参加しています。
それでは聞いてください。
めぐみティコ「今日、結婚記念日」
〜♪(前奏)
今日はとても大切な日
あなたと家族になることを誓った日
覚えているかな? あなたの足元にバケツがなかったこと
友達や会社の仲間たちから絶え間なく注がれるお酒
あなた全部飲み干していた
そんな特別な日に
そんな特別な日に
わたしってば他の人のこと考えていたの
そんな特別な日に
そんな特別な日に
わたし誰かのナニかを夢見てた
〜♪
お題で書けない清楚で可憐な奥様代表であるわたしが、まさかげんちょんのちょんちょんで掌編を書く結婚記念日が来るなんてね?
海賊版をせっせと製造していたおかげかもしれない。
これこそ #想像していなかった未来 ではないだろうか。
#どうでもいいか
なんのはなしですか
ティコの部屋 第三夜 11月23日(土) 22:00~ open
今回はわたしのおしゃべりにお付き合いください。
テーマは「来年の手帳買った? てゆーかみんな手帳とか使う?」
ノートや手帳はわたしの大事な相棒。そんなことをお話出来たらいいなって思っています。
だけど……話せるよって方がいらしたら、飛び込み来店も歓迎します。
お好きなお飲み物をもってお越しくださいね🍻🥂🍷🥃🍸🍹🍾
(追記)
げんちょんくん、アイスランドにこんな場所あるらしいよ
年末年始の旅行にいかが?