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ブックレビュー「クララとお日さま」 カズオ・イシグロ(著)

「クララとお日さま」 カズオ・イシグロ(著) ★★★★☆ 早川書房 440頁

優しくも美しい小説だ。ノーベル文学賞を受賞した英国の作家カズオ・イシグロのSF小説である。子供のお友だちとしてAIロボットが普及している世界で、少女にひたむきに尽くすAIロボット「クララ」を、クララの視点から描く物語。

長い間お店で売れ残っていたクララを、やっと選んでくれた利発な女の子ジョジー。病弱でベッドで臥せっていることが多いジョジーを、ピュアで優しいクララは話し相手として常に見守っていた。太陽光をエネルギー源としているクララは、お日さまに対して信仰に近い「感情」を持ち、ジョジーの病気も必ずキラキラと輝くお日さまが直してくれると信じている。幼馴染の男の子が来ると、ジョジーとの間を取り持って世話を焼き、意地悪な女の子にも冷静に対応する。感情的で理不尽な人間たちを、どこまでも信じることができる純粋で心優しい存在なのだ。やがてジョジーの病状が悪化していくと、平穏な家庭が少しずつ崩壊していき、クララも巻き込まれていく。

僕は、カズオ・イシグロの著書を、「日の名残り」と「わたしたちが孤児だったころ」しか読んでいない。もっともカズオ・イシグロは、この「クララとお日さま」で長編8作目という寡作な作家なので、半分近くを読んでいるともいえるのだが。それにしても、この作家の小説は、物語の話者というか視点が特徴的だ。特にこの「クララとお日さま」では、全編クララというAIロボットが語るユニークな物語となっている。クララの眼に写る世界は、画像処理の基本に沿って、大雑把なブロック分割から次第に解像度を上げ、画像が断片化されていく表現方法で、クララの眼に写る世界を描写する。しかし画像処理の原理を知らない大半の読者は、読みはじめの頃は、いったい何でこんな変な描写をするのか違和感があるはずだ。人間の言葉や態度から、その人の気持ちを推測できる程の高度なAIの眼が、古典的な画像処理しかできないというのも、非常にちぐはぐな進化系世界なのだが。まぁそこは正統派SFではなく、ファンタジーSFとして読むべきなのだろう。

この物語だけではなくすべての小説に言えることなのだが、物語をどう読むかはすべて読者に依存している。作者は、読者に対して「材料」だけを渡したのであり、それをどう料理し味わうかは、読者の読み方に任せられている。人間には千差万別の価値観があり、作者と同一の価値観を持つ人間は存在しない。作者が紡ぎだした言葉には、作者の想いが込められているが、その言葉から想像力を膨らませ、意味を掘り起こすのはあくまで読者の役目だ。だから読み手の数だけ感想の数もある。

僕はこの小説を、純粋無垢なAIロボットの眼を通すことによって、複雑怪奇な人間関係に悩む醜い人間社会を、見事に照らし出した物語だと読んだ。もし読んでいる小説の中に、純粋に与えられた使命をこなし、他人をどこまでも信じられるピュアな人が登場したら、そんな人が現実にいるわけがないだろう、と突っ込みたくなるはず。しかし単純な思考能力しかないAIロボットだったら、それほど疑問も抱かずに物語の中に引きずり込まれてしまう。
イシグロは、ジョジーとその母親が住む不気味な近未来の世界を、なにも説明しない。読者は物語の世界観が把握できず、初めは戸惑うはずだ。しかし読み進めていくことで、歴然とした格差社会の中に居ることが分かってきて、次第に物語の中に取り込まれていく。そして意外な展開と予想外の結末へと突き進むのだ。
僕はAIが専門なので、読んでいるとどうしてもクララの認識能力やクララが把握している世界観の内容が気になってしまう。しかし物語の中盤からは、いつのまにかそんなことは意識しなくなり、最後は夢中で読んでしまった。そんな物語なのである。

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