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「エンドオブライフについての論考」④
■死の先に在るもの
「死」について様々な角度から考察してきましたが、それにしても2500年も前に実在した釈迦の思想は、唯一無二の卓越したものです。「人生は苦であり苦の真因は己の欲にある」と、かなり過激な言葉で喝破したのですから。2500年も前の時代なら、一般庶民は人生の意味を考えることより、明日の食べ物や病に倒れないかなどの世俗の悩みの方がはるかに重要だったはずです。衣食住が満ち足りて生活に余裕がある人だけが、人生の意味について悩んでいたはずです。
ほんの半世紀前までは、ほとんどの人が病気や飢餓や戦争などが原因で死んでいました。人間が老衰で死ぬという概念すらなかった民族もあったのです。それが現代では、人間の生物学的限界まで多くの人が生きていける時代になっています。そんな時代だからこそ、長い長い老後を安心して過ごすため「人生の意味」について考えなければならないのでしょう。
「人が生きる意味」という哲学的テーマに対しては、大昔からは宗教的・神学的アプローチがあります。しかし現代人の大半は科学的思考方法になじんでいるため、「神の言葉」を素直には受け入れられないでしょう。かといって、前節での言葉、「生きている意味は在るものではなく自らがつけるものだ」のようなドライな言説では納得し辛いかもしれません。それでは、つぎのような考え方ではどうでしょうか。
人類は社会を構成し子孫を残すことで、営々と命を繋ぎ繁栄を築いてきた。
つまり生命の連鎖によって、人間は生存競争に打ち勝ち、生き永らえてきました。したがって、人の生きる意味を見出すとするならば、「次世代へと命を繋ぐこと」になるのではないでしょうか。さらに次世代が、命を繋ぎ永続的に繁栄するには、その「生存環境を維持すること」が大切なはずです。この考え方は、国連が提唱するSDGs(持続可能な開発目標)の基本思想と同じだと、私は思っています。子供がいない人は次世代に命が繋げないから対象外、などという狭量な考え方ではありません。人類が永続的に繁栄を続けられるように努めることを、「人生の意味」だとしたいものです。
これで今回の私の論考は、一度区切りをつけたいと思います。タイトルに掲げたテーマ「エンドオブライフについての論考」とは、私自身違和感が若干あります。それは、最後にネタバラシしますが、この「論考」は元々「ウェルビーイングを目指して」というテーマで2万字ほど書いた著作の一部を抜粋したからです。その著作は、1年ほど前に書きあげたのですが、出版社の社長の最終判断で昨年「没」になってしまいました。
私としては気に入っていたテーマなのですが、まあ売れるか売れないかというと、出版社としては売りづらいテーマであることは確かです。このままでは日の目を見ない論考となってしまうので、今回ここで公開したというわけです。
これ以外にもお蔵入りとなった私の論考は大量にあるので、順次ここで公開していきたいと思っております。
-----〈TickTack著書〉-----