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『聖霊をもとめて祈る』

2025年2月16日

 普段はルカによる福音書に沿ってお話しさせていただいているのですが、今日は番外編として聖霊の話を少しだけさせていただきます。

聖霊なる神は使途言行録の時代にキリストの弟子たちに降り、キリストの福音を全世界に広げる力となってくださいました。しかし、それから時が経つに及んで聖霊の現れは人の内から消えてしまい忘れられるようになってしまいました。
ところが、アメリカのカンザス州トペカにあった聖書学校で1901年1月1日、祈っていたところに女性の学生が突然、霊的な不思議な体験をしたのです。彼女の口から出る不思議な異言を聖書に基づいて調べた結果、それが聖霊のバプテスマ(聖霊降臨)であり異言はその「しるし」であるという結論に至ったのです。
そこから聖霊の働きは学校全体を呑みこみ外に向かい、ロサンゼルスのアズサ街で聖霊の働きによる集会を開いていたところに世界中から人が押し寄せて、皆、聖霊を受けるという体験をしました。
こうして聖霊の働きは再び世界に爆発的な福音宣教を引き起こし、その流れのなかで私たちのアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団も1914年に設立され、アッセンブリーの教会だけでも僅か111年で今、世界に6,900万人の信徒がいる大家族となりました。

(※私たちの教会には各国の教会から人が集められています。こういうと怒られてしまうかもしれませんが私自身、アッセンブリーの教会に拘るつもりはまったくありません。)

■使途言行録1:8
あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。

ただ、この聖霊の働きが懐疑的に見られている面もあります。
初代教会時代の聖霊についての働きは新約聖書が完成するまでであり、新約聖書が完成するに至り、神の啓示は完結したため聖霊による働きは必要なくなったというものです。パウロは愛との引き合いに「預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう」(1コリント13:8)と言っています。実際、千数百年に渡って異言も預言も無かった時代が続きました。
では、聖霊なる神は必要なくなったということでしょうか。あるいは、聖霊なる神は私たちの気づかないところで慎ましく働かれる霊なのでしょうか。多くのクリスチャンが聖霊なる神についてぼやけたイメージしか持っておらず、ともすると聖霊を受けた私たちも同じような認識でしかないかもしれません。


1.聖霊の働きは終わったのか

聖霊の働きは初代教会時代、新約聖書成立と同時に終わり、異言も預言も必要なくなったと考える人もいます。
確かに新約聖書成立における神の啓示は完結したかもしれません。しかし、だからといって福音における神の啓示は終わったということにはなりませんし、人がそれを判断していいものでしょうか。

■ヘブライ3:7~8
だから、聖霊がこう言われるとおりです。「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、荒れ野で試練を受けたころ、神に反抗したときのように、心をかたくなにしてはならない。」

私たちが聖書を読んで真理を知ろうとするとき、身近な人にキリストの救いを語ろうとするとき、力不足を感じることはないでしょうか?

最近、私は興味があって、Microsoftの生成AI「Copilot」を試してみました。非常に優れていて巷の膨大な情報のなかから人の知からでは及ばないAIを用いて情報をまとめて整理してくれます。試しに「パウロの伝道旅行をまとめてほしい」と入力すると、簡易にまとめてくれて「さらに詳しく」と指示すると細かくまとめてくれます。Google検索では情報が得られなかった聖書に出てくるギリシャ語でさえ、瞬時に答えを出してくれます。知識という面では人の能力をはるかに越えています。恐らく聖書学者の知識領域を超えるのも時間の問題だと感じます。
でも、いろいろ試しましたが聖霊が教えてくれるキリストの言葉とはまったく領域の違うものだと感じました。どれだけAI技術が進んでもそこに至ることは決してないと私は断言できます。
(Microsoftアカウントがあれば無償で「Copilot」を試せますので興味のある方は試してみてください。)

聖書を知ることは知識の集大成で可能な領域ですが、キリストが語る本当の言葉を知るのは聖霊の助けなしには不可能なのです。そして、聖霊なる神が変わるということはありません。

■ヨハネ16:13
しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。


2.聖霊なる神はどういう方か

父なる神、子なるキリスト、聖霊と3つの性質を持たれるひとつの神というのは聞いたことがあるかもしれませんが、聖霊だけちょっと修飾する言葉というか、説明が足らないですよね。
では、私たちは聖霊なる神をどうイメージしたらよいのでしょうか。はっきり言ってしまうと、前回のこのバイブルクラスでお話ししましたが、聖霊なる神は福音において全権を握られている方です。
私たちクリスチャンには、まだキリストを知らずに歩んでいる人たちにキリストをひき会わせる仲介者、祭司の役目があります。けれども、ひとりで誰かを救うという訳ではなく私たちはチームです。キリストの救いを語る者だけではなく、礼拝で賛美や奏楽でキリストを現わし、教会の入り口で出迎えて神に受け入れられていることを伝え、喜んで仕える人たちが清掃した教会の温かい空間で憩い、隣に座って祈る人がおり、ともに食事をするものが神の家族であることを伝え、多くの人が携わってひとりの魂が救われるのです。
そのひとりひとりに神の賜物、力を与えられているのは聖霊であって、全体を御旨のうちにコントロールされるのも聖霊なのです。
私たちはそれぞれに考えているようであっても、聖霊によって御旨に従い与えられている力を活かすかぎり、ひとつとなり得るのです。教会の働きにおいてこの奥義は非常に大きいと言えます。

■エペソ4:11~13
そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。


3.聖霊を受けるとはどういうことか

私たちは12弟子たちのように、この目で今、キリストを見ることはできず、耳でその声を聞くことは叶いません。そういう意味でキリストと同時代に生きた弟子たちはズルいです。そりゃあ、すぐそばにキリストがいてくれるんだったら海だって歩けちゃうって思いますよね。
キリストが「やってみなさい」と言うのなら、私たちはきっと何だってできる筈です。何故か?
それは神たるキリストの御旨であり、キリストが成されようとしておられる事だからです。

聖霊を受けるということは聖霊なる神を通して「キリストなら今、どうしようとされるか」(WWJD:What would Jesus do?)という問いの答えをリアルタイムで得られるばかりでなく、キリストがともにおられるということ(臨在)をはっきりと知ることができます。
これは実は目で見、耳で聞くよりも優れた反則級の恵みなのです。
さらに、聖霊は私たちが受けたことをアウトプット、キリストを伝えるということに対して、あなたに力を注がれます。御旨にそって願う力は惜しみなく与えられます。

■ヨハネ15:26
わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。


4.聖霊を求める祈り

まず、聖霊の力は聖書の知識や信仰のレベルに応じて与えられるものではないということを覚えてください。「私はふさわしくない」という考えは払しょくして捨てましょう。信仰の年数も立場も関係ありません。
ただ、キリストに罪を赦されているという確信が必要なので、もし、そこにまだ確信がないと感じていたら、一緒に祈ってくれる人に話し、確信が与えられるところから祈り始めていきます。
聖霊は人の内に住んでくださる神ですが、内に住むということは私たちが完全な清さを持っていなければなりません。神と罪ある者は絶対に同居できないからです。でも私たちは完全な清さとは程遠い人間でしかありません。本来は聖霊を内に迎えることなどできない筈でした。ところが、キリストの十字架の救いによって私たちの罪は忘れ去られ、罪のないものとして扱われるようになったのです。ですから、その罪の赦しを確信してください。

【重要!!】
そして、聖霊を求める上で最も大切なのは自分にゆだねられようとしている福音について思い、自分自身を神の前に差し出すこと、福音のために力を求めて祈ることです。教会で奉仕をされている方はその働きの上に聖霊が知恵と力を注いてくださるように、キリストの香りを放つ者として用いられるよう祈ってください。

祈るときにはほかの人に助けてもらい、どんな祈りの言葉でも構いません、恐れず声を出して祈ってください。口から知らない言葉が出て主に向かって祈るとき、聖霊を受けたことをあなた自身が知るためです。
そして、聖霊を受けるタイミングは人によって違いますので、まわりの人が受けても焦らないこと。もし、すぐに受けられなくても落胆する必要はありません。待たされることには理由があり、あなたにはあなたの福音の計画があるということです。期待をもって待ち、祈り続けましょう。


5.異言と預言について

聖霊を受けると、聞いたことのないような言語が口から出るようになりますが恐れずに祈ってください。
最初は一言、二言の知らない言葉が出るだけかもしれませんが、気にせずキリストとの会話するように祈り続けてください。もし、知らない言葉を自分が口にしていることに気づいたら、聖霊を受けたことに確信が与えられるよう祈り続けます。一緒に祈ってくれる人にもそれを伝えてください。
異言での祈りは内容がわからなくても自身とキリストの間での祈りであなたを力づけるものです。

■1コリント14:2
異言を語る者は、人に向かってではなく、神に向かって語っています。それはだれにも分かりません。彼は霊によって神秘を語っているのです。

異言での祈りはまわりの霊的な雰囲気の影響を受けやすく、初期の段階ではそれが助けとなるので頼りにしていただいてよいと思います。でも、次のステップとして周りに影響されない異言の祈りを徐々に心がけるようにしていってください。聖霊はあなたの内にあるからです。

それから聖霊なる神の力は内向きではなく、自分から外側に向くように意識することが重要です。
今度はあなたが助けを求める人の助けとなる番です。感情に任せた異言ではなく理性をともない、ほかの人の思いに合わせて静かに語りかけるような異言の祈りをするようにしてみてください。自分の感情に任せた異言の祈りはほかの人を脅かせてしまうので、相手の感情に寄り添うことが大切です。
それによって様々な祈りの言語が口から出るようになり、祈る相手の思いを知るようになっていきます。
ときには聖霊が相手に語り掛ける言葉を与えてくれることがあるかもしれません。その際は口にするのを少し待ってください。それは聖霊を通して語られる預言かもしれません。
でも、もしかしたら自分の思い込みの言葉であるかもしれません。預言を語ることを恐れてはいけませんが、それが本当に聖霊からくるものかはよく吟味しなければなりません。

【重要!!】
預言の賜物には訓練が必要です。預言の言葉が与えられているかもしれないと思ったら、それが聖書の言葉に沿っているか確認してください。聖書の言葉に沿うものなら特定の人に語るのではなく、そこにいる皆に語ってください。
そうすることで、語るあなたと受け取る人が主が主に引き合わされて心ふるわれ、預言であることが皆に認識されるようになります。あなたも預言が自分を通して語られたのだと確かめることができます。また、そうでなくても聖書の言葉を語るのであれば、間違いと言う事にはなりません。
聖書の言葉に沿って語っていくことが預言の賜物の訓練になるのです。
決して「神はあなたにこう言われている」というような語りかけはしないようにしてください。そのような預言は過ちのもとになり、自分に高慢さを引き寄せることにもなります。聖霊なる神が自分という器を通して語られているだけと、謙虚な思いを常に保つことが絶対に必要なのです。

預言かもしれないという体験をしたら迷わず、牧師に相談してください。預言の賜物は教会全体を活かすものです。

■1コリント14:3~5
しかし、預言する者は、人に向かって語っているので、人を造り上げ、励まし、慰めます。異言を語る者が自分を造り上げるのに対して、預言する者は教会を造り上げます。あなたがた皆が異言を語れるにこしたことはないと思いますが、それ以上に、預言できればと思います。異言を語る者がそれを解釈するのでなければ、教会を造り上げるためには、預言する者の方がまさっています。


【まとめ】

本来は私などが聖霊についての話をすることではないのですが、クリス先生による聖霊についてのマイホームクラスが1か月、伸びたため時間ができました。これをただ待つだけでは勿体ないので前段として、少し聖霊の話をさせていただきました。どうか、皆さんが聖霊の恵みにあずかって、それぞれのミッションにおいて力強い聖霊の助けが得られますように。
教会の福音伝道とは聖書を語るのみのことを指している訳ではなく、ひとつのチームとしてさまざまな役割があり、どれも欠かすことはできないのです。そのことを聖霊なる神が私たちに油注いでくださることによって、教えてくださるように祈ります。

■使途言行録1:10
イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」

私たちも信仰的に天を見つめて立ち尽くしているというようなことはないでしょうか。
恐れず遠慮せず祈りの場に出ていき、委ねられた福音のため聖霊を求め続けてください。

祈り求めるすべての人に聖霊なる神が応えらえ、キリストの証人として力が満ちますように。


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皆さんの働きが祝福されますように。