「きっと、うまくいく」を観て
概要
学校課題のレポートを投稿するシリーズ、久しぶりの更新です。今回は、「きっと、うまくいく」です。有名なインド映画ですね。普通に、ちょっと、涙腺が危なかったです。
優秀レポート的な感じで授業内で共有されていて、承認欲求が掻き立てられての今回の投稿です。文章は未だに稚拙で、芯を感じられるようなものではありませんが、ちょっとは、ちょっとはマシになったと思います。で、このレポートに色々と付け足さねばいけないこともあったので、そんなことも交えてお見せしたいなと思います。それでは
本文
私が本気で打ち込めることは何だろうか。私が本当にしたいこととは何なのだろうか。映画や舞台は、私にとっての、本当にしたいことではなかったのだろうか。そんなことをぐだぐだと考えていた後期の頭、日本一周の後に投身自殺をしたライダーのツイートをリアルタイムで発見してしまった。一連の出来事から何かを感じたわけでも何でもないのだが、それ以来、自ら命を絶つと言う選択肢が、頭から離れなくなってしまった。そんな状態であることもそうだが、何がそんなに嫌で、何から逃げようとしているのかが定かでないことが、今一番恐ろしい。気づきたくないとか、そういうことなのだろうか。ただ単純に、これから先のすべての面倒に向き合いたくないだけなのだろうか。やりたいことのために背負うしんどさに既に押しつぶされきってしまったのだろうか。
自殺願望の根源を辿っていくうちに、私は失敗をひどく恐れがちで、それが様々な自責に繋がっていることに気づいた。きっとこれが、ここ3カ月から半年の間、激烈に重かった精神的な負担の正体だ。『きっとうまくいく』の中で言えば、成功しようとしていたことになるだろうか。最初からうまくこなそうなんてことは、相当な才能があったとか、凄まじく相性が良かったとか、そんなことでも無い限りは、どうしようともできないものだ。高望みも甚だしい。大抵の人は、うまくこなすための術を学ばなければいけない。学ぶ時点で成功を求めているようでは、何事も儘ならない。余計な緊張感が湧き、おかげで何も手につかなくなる。学ぶ立場にあるうちは失敗して当たり前なのだ。それすらも怖がっているようでは、きっと何をしてもだめだ。向いてる向いてないの話ではなく、私は、物事への向き合い方を誤っていたのだ。
この作品は、今の私に深く刺さることばかり語っていた。学びを楽しめだとか、そうして優秀になっていけば、自然と成功がついてくるだとか。点数を重視するような形態の教育をしている学校が数多くある日本において、この作品の言っていることが深く突き刺さる人は多く居るのではないだろうか。若いうちに失敗しておけという大人がなんとはなしに信頼できる理由が、以前よりもはっきりと分かるようになった気がする。
解説と、あとがき
要は、漠然とした出所不明の自殺願望が不安で、その原因となった私自身の考え方が、「きっと、うまくいく」に論破された、みたいな話なのですが、これ、最後の最後『点数を重視するような形態の教育をしている学校が多くある日本において』みたいな、変なことを言い始めちゃっているんですよ。ここがとっても恥ずかしい。わかったような口調で語っているけれどもあんた、って感じ。ここまで自分についてをしっかり書けていたのに、なんでいきなり自分から目をそらしてしまったのだ!!と、自分が残念でならないです。これまたよくは知りませんが、最近の若者は失敗を恐れがちだとか、言われる場面があるじゃないですか、あれって、我々世代に限った話なんですかね?ちょっと気になる。何にせよ、私のように、失敗することや、道から外れることを過度に恐れているような人は、この作品を観たら、なんか、心に刺さるものがあるのではないでしょうか。僕は刺さりすぎて辛くなりました。それではまたどこかで。